作家と言う名の独裁者
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

作家と言う名の独裁者

2017-06-23 15:08

    小林麻央さんお亡くなりだそうで、謹んで、お悔やみ申し上げます。


    こういう方が亡くなって、そうじゃない奴が結構元気、状況に混沌は今もある訳だけど。

    「中華思想の皇帝」それは、本来は「王の権威」を持っていた”秦の始皇帝”の、後継者らの事ではあり。
    恐らく秦の始皇帝、その時代は当時の彼らにとって忘れがたい楽園だった、のかもしれない。今の40代、その昭和への望郷にさえ近い、或いは”同じ”だろうか。しかも、秦の始皇帝の頃は「本当に勝者で有り最強の国家」だったのだ。昭和の様に「アメリカの御慈悲で生かされている」妙な失意は無い我らこそが神の民である!その位の、何かのブランドが或いは発生していた、そう言う事は考えられて。

    もちろん?始皇帝も結局、長生きは…しなかったのだが。

    問題は、その後継者になった人々に「王の権威」は”無い”のだ。その結果、「始皇帝の様に!」それを求められた次の皇帝らは、何をどうやろうと「ヘタレ」前任以下、の評価を受ける事になり、続くとやがて、精神が歪んでいく訳だ。民がどれだけ苦しもうと知った事かとか、中国と言う国はやがて、ブランドだけを抱きそうして滅んでいく事になる時。

    …誰が悪いの?

    理由が、ハッキリしない。単に皇帝に対しての「人々の期待が過ぎる」だけだ。結果、皇帝に問題が集中しても何故か、この皇帝には被害が及ばない?と言う奇妙が発生する。DOS/Vにしろ、根幹にあるのは「誰かの主観」であり、それは中華思想の皇帝と大差ないのだ。要するに人々?が、独裁性へ何らかの夢を見る限り、中華思想の皇帝がどれだけクズでも、それを呪い殺そうとしても、それを選んだ”他”へと責任は廻ってしまう。

    テレビにとって必要だった「皇帝」それは、一応解任はされた、にせよ?(そうだろうか?)「王の権威」が形而上の存在である様に、中華思想の皇帝だって”同じような存在”で。概念的にはまだ、”それ”は消えた訳でもなく、憤慨はその矛先を探している。ただ皇帝は?現状は「確信犯」些細な中傷やプライバシーの侵害もどき、その「軽犯罪では罰として殺せない」場所、”そこ”に潜んでいるだから。

    「軽犯罪は、繰り返すと累積して重いマイナス評価になる」

    100円の万引きも100回後には55万円を万引きしたマイナス評価になる、と言う「軽犯罪の重過失」そう呼ぶ罰則が形而上かで提案され、恐らくは受理されてる、訳だが。”それ”が果たしてその許し難き皇帝らに、相応の罰を与えているのか否か…そこはまあ、良く解らない。

    一応「関わると失敗する」評価的にはそう言う感じにはなっている、筈。

    だがちょうどコミケも近いのだ。どうしたって皆、自分の創った作品を評価して下さい!そう言う衝動を抱いて、時には無茶もしに行く訳で。独裁性への願い、それは自由への渇望ではあり、しかし。自由は必ず他の自由と衝突し、そこで結論で「戦争」が起こり、どっちかの願いは叶わない。回避する為には、相応のルールが必要で、その制約を我慢せねばならず、だから。

    「貴方の作品は評価できません」

    ”これ”でか?!


    と言う理不尽は今も恐らく、消えはしない訳で。その時、皇帝もまた、何処かそこかで顔を出す事に。創っていて楽しく楽でそしてお金に成ればそれに越した事は無い訳だが。

    この、投入された労力は何処に。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。