悪夢と現実の狭間で鼠を見る
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悪夢と現実の狭間で鼠を見る

2017-08-29 15:54

    ネットにポエムが落ちている。


    世界のほとんどの人は幸せです
    ただ、奴隷階層の人々は違います
    人間と言う認識さえ間違いかも知れません
    彼らは万引きが得意です
    誹謗中傷そういう事もします
    軽微な詐欺もお手のもの
    嘘が上手く見破るのが困難です
    だから、やがて奴隷階層になりました
    居なくても良いのです
    自殺するまでその境遇から出られないだけです
    彼らに関わったら大きな損害は必至です
    だから、関わってはいけません
    理想の世界だとは思いませんか、因果応報です


    理屈としては、問題は無い。
    軽犯罪の重過失、軽犯罪を繰り返す人々は、やがて奴隷の境遇に陥るのだ。
    そこから一生這い上がる事は出来ない、何をやっても、社会から否定される。
    彼らは、彼ら自身が言うだろう、「これじゃガレー船の奴隷だ!」そこにしか、居られなくなる。
    それは、彼ら自身の積み重ねた罪によるものだ。罪には相応の罰が発生する、償う必要がある。

    …とは言う物の、社会的には殺すにせよ、停滞する汚泥の様に、それは消えない?可能性もある、のだ。剣呑さを孕み、逆恨みと共に、それはそこに有り続ける。


    カルマ、「輪廻転生しようと持ち続けるその人の主義」そう言うのはある意味では産まれついての物で、本人が改善を考えない限りは…消えない。何故消えないか?「そこに本人にとっての有利が有るから」だ。軽犯罪では殺せないし、投獄も無い。殺せない限りは罪に成らない、何度やっても関係ない。”これ”は実は、独裁創作が利益性を持つ上では大変重要な「井戸」でさえあり…それを求める人々には因果的に必要とされてしまう。社会が求め、そして結論的には、罪にさえ成らないのだ。「って事は、これは正しいと言う事だ」その理解は今も或いは、消えない。ただ・・・だからだろう、同人系の市場はだんだん、倫理が歪んでいく。

    ”そこ”に、「軽犯罪の重過失」繰り返すと、累積的に罪が重なって社会的に暮らせなくなる、そう言う法を導入する。すると?今までなら罪に成らなかった物が、そう言う訳にも行かなくなる、訳だ。どんどん重くなる、或いは死が見え始める。結末的には死んでしまう。”それ”で、本人は思う訳だ、「これは不味い」と。

    カルマは、或いは「それを続けると死ぬ」その現実があってこそ、止まる、消えるのでは?


    でもその為には。「もう殺した方が良い」そこまで至った奴は、ちゃんと殺さないといけないのだ。


    自分も、無責任ではある。「全ては神が決める事だ」そう言って、断罪は避けている。ともかく?提案としては理に適っているのではないか?そこは自信…はある。今まで、許し難き”彼ら”を罰する方法は無かった、のだ。利益性に関しては、違う方法論が既にある。無理して独裁創作に拘る必要は現状は、薄い。

    しかし、殺す殺さない、に関わる話では、やはり戦後世代にはパワーが無い。畑で捕まえた鼠一匹殺せない様な、そんな感覚では。結局は…逃がしてしまうのではあるまいか?

    この辺、どんな独裁者だってそうだろう。自分の視点では鼠一匹でも、末端ではそれは一つの地方都市かもしれないのだ。”それ”は、何か罪を犯したのだろうか?もちろん自分の穀箱を荒らしたのだから、万死に値するが。一万単位の街がその結果消える時、それは…道理なのだろうか。

    ポエムに描かれた世界それは、理想郷なのだろうか。道理ではあっても、0.01%未満の奴隷は居るのだ。

    自業自得として。

    現在、自分はそう言う世界を志向している…それは、正しい事なのだろうか。



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