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朝っぱらからヒキニート
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朝っぱらからヒキニート

2018-01-28 09:35

    不愉快さはある。

    「高齢ニートのヒキオタプー共が、世間様へダベってるのを見て何が面白いんだ」

    極論?テレビに不意に、そんな事を思う。

    状況も良くない。「民主主義で決めよう、でも自分に責任が廻って来たら辞めるから」シニア世代にか有る、何かの奇妙な壁。”それ”が支持?する番組、それに対する憤り。

    理不尽ではある、その向こうから聞こえるのだ、「我々は役立たずの豚ですから」テレビが何故、韓国系の要素?を多く取り込むようになったか?或いはそんな経緯。要求が有り、応える事が出来ず、責任を問われる先で、逃げ込む場所がその、朝鮮王朝の末裔?その思想。その通り、テレビは現状、社会にとっては”単なるお荷物”でしかない。良くも悪くも、若い頃と今と、”同じ事”しか出来ない時、前者は必要だが後者は不要だ、不愉快でさえある。テレビは、或いはそんな状況には陥っている。

    そう言う視点で見ていく時、不意にテレビは今、インターネットの後追い?しか出来ていないのだ?そんな気分も…する。娯楽性が提供出来ない。やってる事は「インターネットへの」皇帝創作、だ。土台にしつつ、余計な否定をする。絵を想像すると…何だかイライラする。

    「テレビが売れなくなりました」

    相手は”それ”に対して、腹立たしい薄笑いで応えるのだ。

    この辺、コミケに文句を言う様な…そんな光景でしかない、のかもしれない。コミケに商業主義を持ち込むべきか?だ。元々、テレビは、或いは崩壊した映画産業、それへの救済策の様なモノだ。誰かによる「不用では無い」的な、その意向により維持される事になった産業と、誕生したメディア。その”意向”こそに価値はあったが、その意向それは最早、他界しており。不意に気づく、”そこ”は空席だ。そして誰であろうと、もう「そこ」に座る資格は無いのだ。

    テレビはそんな空席に、全ての責任を向け?或いは”その”声のまま、動いている?

    -民主主義で決めなさい。私は、出来ないけど-

    昭和天皇の椅子とは、選挙や周り番で担当する事は出来ないのだ。
    その椅子に座る時、それは、世間から隔離される生活を意味する。
    楽と言えばそうだ、しかし。平成天皇の様をみても、そうは言えるか。

    娯楽は大事な話、テレビが売れる為にも、お茶の間にイミフな不和を呼ぶべきでは無く。その時間帯は、”全ての人々が”不愉快を感じない番組を志すべき、その時。

    相撲は、あの不祥事を重ねても、良くも悪くも面白くは、なった。

    相撲でも見てろ、という事ではあるけど。


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