表の理想と裏の現実
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表の理想と裏の現実

2018-12-07 17:05

    問題?は、表と裏の乖離ではある。

    表側には、カウンタ制御があって。施政者側にとって都合の悪い人々は、高いカウントを得られない、と言う補正が掛かる。結果で大きな格差は発生する。
    裏側には、そう言うのが、無い。しかし、裏側にも格差はある。反論し難いだけ。

    現状、この差は創作者には重大ではあり、理想値としては独裁創作で暮らせる、筈?が出来ない。ある程度大きくなると施政者に直ぐに見つかり、その時点で査定の後、補正されてしまうからだ。この後?運営側にとって「使える」と言う評価に成れば声も掛かる…かもしれないが、殆どは、そのまま遊びとして続けるしかない。ニコニコ動画のコメントなども、結論では「その意向により」発生しているモノだ、と認識する方が、意識的には楽だろう。ほぼ99%の一般ユーザーは、見ず知らずの怪しい創作者にコメントなどしない訳だ。

    これはしかし、昔から、だ。良い意味でも悪い意味でも、「ご意見無用!」その時?客は早々、反応しない。実際問題、同人会場にも無形の秩序、そう言うのは有って、そこに有る可能性の殆どは幻想に過ぎない。正直言うと一時期流行った?「テンバイヤー」が何故悪か?と言うと、彼らは、施政者側にとって都合の悪いデータを創る可能性があるからだ(多分)。そう言う要素はいらないのだ、”全体”は美しく安定した、適当として維持されねばならない…庭園に有る池で泳ぐ、鯉の群れの様に。あの10万人の来場者は本当に一般人だろうか?そこにも疑念は重い。

    もちろん?この状況は強権に因る「独裁的な運営」ではあり、結論で、この体制では最終的な利益は発生しない。どうしても「切り捨てを創るから」だ。利益に見えるのは、隣で売れなくて泣いてる人の労苦を吸い上げてるから、に過ぎない。良くも悪くも、安倍首相が以前に言っていたが、「企業はリストラが出来るが国家はリストラ出来ない」しかし、実際にはリストラ、”切り捨て”が発生してしまっていて、安倍首相もその辺には、意識は届いていない気はする。切り捨ては神の求める”平等”の原則を歪める為、”神様”の不評を買うのだ。この状況が続く限りは、不景気と言う言葉は、日常のあいさつで有り続ける。

    昭和の頃ならまだ、王の権威、「昭和天皇の補正」があった、気はする。平成は「中華思想の皇帝」がそのポジションを握ってしまった結果で、補正は逆に歪を加速させる事に成った。勿論、中華思想の皇帝は王の権威を持って無かった、だから。しかし?平成も既に30年、2000年以降で考えたらもう20年近い時間が過ぎてしまい、すっかり「王の権威」それは、忌むべき物、それとして認識されてしまっている気はする。

    どっちにしろ、昭和天皇にも、「見えてない所」視野範囲外は有った訳だが。その数十年に渡る負の蓄積が、彼らを台頭させる原動力には成った。末端にして見たら昭和天皇だろうがシャドルーの総統だろうが”同じ”である。自身の主観で「いらない」存在は、影響範囲から”消す”まで安心できない。男性の方がこの時、島流し位で「まあ良いか」にしちゃう訳だが、女性がそのサポートに付くと、地球の裏側に逃げようがその否定は追い掛けてくる。ともかく日本から逃げても、行き先は北朝鮮位しかない、のが結論で現実ではあって。

    ともかくそう言う経緯で、独裁性に対して、神様は一切の利益性を否定してしまった。

    何処で何をしようが、独裁創作は「可愛い」範疇で無ければ、お小遣いさえ貰えないのだ。危険性をちょっとでも見せたらその時点で排除対象になる。表側はまだ”そう言う体制”が強く、裏側はそう言う表側に対して反論し、独自の体制を構築した…が。表からは、完全に隔離された状態になっている(多分)。裏側では「大衆は神である」その理念に基づき、カウンタ制御=悪と言う図式で市場を構築し、或いは何とか維持されている?様だ、が。その結果、表とは対立が激化している感じで、裏側に傾倒が有る表側の意識は、逃がさないが否定する、と言う切ない状況が発生している…と言う感じだろうか、投獄、と言うニュアンス。表側は、カウンタ制御、簡単に言えば視聴率の操作だ、それを肯定した体制のまま、何とか利益の出る方法を模索している、が。今もその辺、上手く行ってない。

    以前?と違うのは、対立してるモノが違うと言う事だ。かつては「私こそ正義だ!」で衝突した、要するに「同じモノ」同士がぶつかっていたが。今は「私の言う事を聞け!」と「紛争解決機構の決定に逆らうな!」の衝突に成ってる。前者は独裁者だが、後者はルールであり、帰結は”物理”だ。今の所、後者でなければ利益性には遠い、しかし。

    後者で有ってもむしろ逆に、独裁性にはお金を払わないのだ。

    後者は完全に、「大衆」神への恭順を求める。そこで現れる結果、数値は神の意思であり絶対であり不可侵だ。その最終的にあるのが「大賀さん」紛争解決機構、その決定こそ神の意思の表れ。そこで通らない(勝てない)限りはどんなに願おうと通らない。作家性、自分のやりたい事?それは二の次以前に、必要が無い。

    ともかく、利益は裏側にこそ発生していて、表側には無い。この辺、次第に裏側によってじりじりと浸食中ではある、表側の企業は今のままでは維持出来ないからだ、しかし。裏側の「売れる人々」その強力さは逆に、岩の如く不可侵、だ。そして勝者と敗者が明確にそこに有って、それはあまり変化せず、敗者はその苦痛を、道理を背にした説教と共に耐えている。要求もされてないモノを、ただ出して誰が買うのか?ちゃんとオーダーを満たせる技術力を身に付けろ、でなければ使えない。

    お前のやりたい事などどうでもいいのだ。

    その時逆に、ニコニコ動画は、何かの安住の地には成るのだけど。

    今のままでは、”ここ”は創作者の最終処分場である、そう言うニュアンスは消えないだろう。
    今のテレビが「面白くない」のはもちろん、表側のその倫理が、テレビを軸に放射されているからだ、が。とは言え、現実は創作者には邪悪な魔竜の如くそこに有る。倒しても良い事は無いのだ、勇者は次の独裁者ではあり。

    結果、その悪魔は、誰かが語る、あれを倒せれば!それは今もまだ、そこに居る。

    弾幕STGに求めているのは、”これ”を超えられる難易度だ。

    そして今もまだ、全然足らないのだ。


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