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2019-04-05 07:50

    同人の本懐、かもしれない。

    同人誌を製本する、一冊1000円で、100部。
    売り先には、或いは100人前後の人々がいて。
    売主もまた、”それ”を買いに行く一人でしかなく。
    その先に、サークルが100とかある訳だ。

    ともかく、本は完売した。
    なので、”全て”のサークルの本を、一冊ずつ買い漁った。
    他のサークルもそう、だ。購入しつつ、売っていて。
    ともかく、見た目上は大盛況!に成っているが、”儲かった”サークルはほぼ無い。
    或いは印刷代、交通費その他、全て”赤字”だ。

    どのサークルも完売だが、どのサークルも、その売り上げの全てを購入に充ててる。
    ともかく「楽しかった」ので、次も、開催する事に成った。

    それがコミケの始まりと言われていません。


    この時儲かったのはまあ、印刷屋くらいだろうか。
    それでも、彼らの行為は世界に商業的なプラスを招いては居る訳だ。
    「同じ人」の集まりである、その場の流儀、そう言うのは有って。

    この辺を、より効率的にやっているのがニコニコ動画、ではある。
    必要なのは、ショバ代だけだ。結論で、売った分は買うのがルール、なら±0なのでは。

    じゃあ、無料で公開してても同じじゃん?

    それがニコニコの始まりだった可能性は否定出来ない。


    ともかく、独裁創作、同人的な、遊びで創った”そう言うの”は、換金が難しい。
    しかし?前に有った話だ、100000000円と書いた紙は、一億円と書いた紙と取引できる。
    「そう言う場だ」としたら、貴方のその作品も、無意味ではない訳だ。
    100000000円が、一億円に成り、一億円が、100000000円に成っている訳だが。
    等価交換された時、そこには或いは?「価値に成った」実感は、有る。

    同人であっても、「売れる為に!」創る、それは正しい。
    単にその場としたら、”その分は買わねばならない”だけだ。
    ”それ”に意味を感じないなら、同人活動は、止めた方が良い訳だ。
    良くも悪くも、「同人」と言う、巨大な怪獣の様な、その一部に成ろう、そんな。
    そこに何かの幸せを感じるか否か、それは人それぞれ、かもしれない。

    平成は、都合のいい話を、自分も求めてしまった時代ではある。
    何だか100000000円が一億円になる夢、30年続けて結局は「無かった」訳だが。
    「売れた分だけ買っている」と言う理解なら?プラスに成らなくても道理だ。

    自身にとっての一億円が、他者での一億円になるかどうか?は解らない。

    ともかく共有し得る価値観同士でのコミューンが寄せ集まっている界隈ではあり。

    意識の問題だろうか。

    でも、その前に心の余裕は必要なのかもしれない。

    買う方が先か、売る方が先か、それは難しい話だけど。
    100個売るつもりなら、100個買ってくる、そのつもりには成って無かった、のは、昔の失念ではある。

    そもそも同人誌即売会場に、商業主義を持ち込むのはナンセンスなのだ、が。
    表現として「独裁創作は売れない」と言うそれは、果たして等価だろうか。


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