罪人と生贄の境目
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

罪人と生贄の境目

2019-05-05 10:20

    それはそれで、生贄感は有る訳だが。

    「アメリカに問題がある」と、言うのはちょっと、全体へのストレスが重い。
    しかし、「アインシュタインの相対性理論を間違えた」それは、相対性理論の責任でも、アインシュタインの責任でも無い、生徒?の人々が馬鹿だっただけだ。

    そこで妥協、出来る、かも、しれない?
    この辺、ちらっとテレビでも報道された事があったような。

    「シュレーディンガーの猫」そのパラドックスは、実は存在しない。
    特殊相対性理論の中にある、「観察者」と言う概念の誤解だから、だ。ともかく物質が存在するには、”それ”を「見る」存在が無いと、物質はまず存在しない、と言う。

    この辺、「相対性」と言う言葉から来る理解だが、つまり現世に対して存在するには±を結果で0にしないと(やじろべいを形成しないと)存在出来ない訳で。その際の対になる片方「見てる側」が、「観察者」と言う表現に成っている、らしいが。

    簡単に言うと、アインシュタインの表現としては恐らく「神様」の事だ。
    それが有るか無いか?何故そこに有るかは、神様が決めた事だ、人間の把握じゃない。
    しかし、「神様って何?」ていうか誰?と言う話から、ちょっと理解が、淀む。

    「観察者」が、人間的な視点だとすると、つまり、「箱の中は覗けない」訳だ。
    この時点で?ではある、のだが。だから、”観察者から”見えない箱の中に入れてしまえば、その状態は確定してない、と言う事では。

    この「半死半生の状態」は、何故発生するのだろう?

    いや、その理屈はおかしい。

    と言うのがアインシュタインの返答なのだけど、聞いた側はここに食い下がっていき、何だか妙な話がここで始まっていく訳だ。

    理解として、「物として存在する時点で観察者は既に居る」のに、なんで箱と言う「既に存在する物」の中に入れたら観察者から見えなくなるのか?と言う事で。しかしこの「観察者」と言う理解は、共産主義の将軍様に対して権威づけし得る、大きな理由には成る。彼は神だからだ、彼が認証しなければ、それは存在しない。

    或いは、そんな思惑の中で、”ここ”だけが歪んで広まって行った、のでは。


    非常に強い言い方をすれば、「観察者」と言うニュアンスに対して、アインシュタインの相対性理論を理解もしてない連中が、彼に馬鹿な喧嘩を吹っ掛けただけだ、とは言える。

    しかし、すると、今までの”あの”話は一体何だったのか。
    それをそのまま通していた物理学は、果たして何を語っていたのか?って話で。


    それは間違っていた。

    と言う時、この話を妙に掘り下げ、本まで出版してしまった人々は、歴史に名を残しうる馬鹿と言う事には、してしまう訳だが。

    世界を救うための、それは何かの必要な、犠牲の様な物、だろうか。
    この結果で、相対性理論が産んだ悲痛とその結果は、軽減されうるか。

    衆愚政治、その典型の様な例である。
    人々は、もっと賢く成らねばならない。

    的な帰結に多少、問題は感じる。


    と言う事で、久々。

    一応、大事な事だとは思うのだけど。

    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。