晴れのち雨、台風
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晴れのち雨、台風

2019-07-27 11:54

    健全化、と言う意味では、お金は無視出来ない。

    つまりニコニコ動画は、「利益性を主眼とする」外の環境、”それ”を許容しないと、その内部的な混沌を処理し切れない、訳だが。「この環境に求められる理想に同意できない人は出て行ってくれ」外に別の世界が有る、そこで好きな様に稼ぎたまえ。そう言い切れるなら良いのだが、経緯として問題はある、今更、だ。

    果たしてその時、今いる人々の中で、どれだけの人が”ここ”に残るのだろう?それは重い話としてある。理想を掲げ撒き餌を巻いて、何かの誇張と不正を容認しつつ、何かの利益性をにおわせつつここまで続けた楽園は、結局は”その”目的に達する事の無いまま、小さな世界として、限界に達した訳だ。

    結局、「出来なかった」訳だ。この環境のまま、ここに利益性は期待出来ないのだ。
    他人の創ったものを足蹴にして金を稼ごう?それはあまりにも、虫が良すぎるのでは。

    だが今まで足蹴に、犠牲にしてきた人々の憤りとかを、その背に背負いながら、である。

    「中華思想の皇帝」それが、「王の権威」から「黄昏の狩人」それを盗んだ時から始まった、何かの混沌と騒乱は今、そう言う形で、行き場の無い面倒として残ってしまった訳だが。「中華思想の皇帝」それは、「大賀さん」その設置により存在する必要性を失い、発生しても、栗原容疑者や飯塚容疑者の様に、何かの悲痛を伴って破綻する。「王の権威」もまたその時、結論としては、特権を持てない。形而上での戦争を続けたそれは、理解では”共に消えた”が。その偉容は、或いは今も何かの問題を残し続けている。

    ”ここ”に、今の今まで慣れてしまった意識は、その「外の環境」そこには対応し難い。”仕事”を要求される、パクリや被せ、そう言うのは基本的にはご法度である。純然たる階層、カウンタ数値の高い方は「素晴らしい宝だ」が、低い方は「単なるゴミ」だ。その、「単なるゴミ」を護る目的で存在するコミケ、或いはニコニコ動画は、道理としてはその人々を取り込む事に成るのだけど、平成は”それ”が高まり過ぎて、利益性を拒絶し、或いは敵意さえ向けてしまった。

    ”ここ”に居る人々は多く、外の、その利益性のある環境、そこに居られなくなってしまった訳だが。
    ”ここ”は、今のままでは利益性が無い、のだ。つまり。

    道理だろうか。中華思想の皇帝、それをハーメルンの笛吹きとして付いて行った人々は、何かの限度に達し、ここで途方に暮れているのだ。この先に悪夢はある、あの京都アニメーションの悲劇だ、どっちにしろ、だ。京都アニメーションも、最近はヒット作が無い。「否定された人々」の帰結は、ああいうオチになった、そこに世間は、何かの道理に落ち着いてしまっている。

    懸念は”ここ”もまた、そのオチに行きそうな事だ。

    午前中は晴れていたのに。

    何だか、それは何かを恨む、そんな一瞬ではある。
    諦めるしかない、何かの屈辱と喪失を背負うとも、そう言う事だろうか。

    世界は、面倒だ。
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