対価として求める物
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

対価として求める物

2019-09-04 07:58

    ”仕事”をする。

    その結果。

    健康状態が改善した。
    世間の風当たりが和らいだ。
    失っていた物が見つかった。
    壊れていた物を直す事が出来た。
    「面白い」漫画やアニメを見つけた。
    その作品が駄作である事を知った。
    創った創作料理がそこそこ美味しかった。

    …利益だろうか。

    この時、「お金は一円も発生してない」のだ。


    もちろん、外を見れば、そこには悲痛さがある。
    病で通院してる、借金が重い、プライベートで不幸が起きてる、等々。
    でもそこには、或いは「お金が発生してる」?のだ。

    ともかく毎月、生活維持費は消費されて行く。
    趣味や食費、着衣にも、お金は必要になる。
    上の「利益」では、そこに届かないのだ。
    しかし、下の「利益」には何か、対価として過剰さもある。


    「利益が得られない事はするべきでは無い」

    時、現状では、後者の生活は、多分出来ない。
    今の自分の視点では、「今まで通り」じゃないと、お金を得る生活は出来ないのだ。
    先人は、そう言う環境の中で、そしてやがてお金と引き換えに、何かを失って行き。
    そして、パワーを失い、現状の崩落を招いていても、その状況を打開、出来ない。

    無闇やたらと、若いパワーで改善を押す時、前任者に、その憤慨は向く事に成る。

    なんでこんな状態のまま放置してるんですか、すぐやればいいじゃないですか。

    何時壊れてもおかしくない様な機械をフル稼働させろ、それは無茶な要求だ。
    そして結果で前任者が居なくなる時、理想論は、収入先をも失うかもしれない。

    携帯電話が安くなった、事は吉事だ。
    ただそれは、携帯事業者の利益が、その分減った事をも意味するのだ。

    創作がお金の担保となって、社会にお金が増える事で経済は改善する。

    「お金」それは、自分の言う様に、”発生”しているのだろうか?

    今も尚、それが幻想でしかない夢魔はそこに居る。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。