バットモービルの形の理由について
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バットモービルの形の理由について

2019-10-22 08:09

    感情論だ。

    日本人が、価値の生成に成功した、で良いのだけど。

    日本人が、「価値とは何か?」を見つけた、と言うか。”お金の担保となるモノ”だ。
    ”これ”が判明し、生成出来る様に成った結果、経済的破綻は根本的には無くなった。

    おめでとう。偉大な成果だ。

    「アインシュタインにも出来なかった」事だ、それは大変な偉業だ。

    と言う事で、この話はお終い。


    残るモノがある。

    「バットマンは、もう必要ないと言う事か?」

    「バットマン・アーカムナイト」と言うゲームでも、最後?はバットマンとジョーカーが重なる様な描写の後、危機を脱出しつつもバットマンは自身の邸宅を破壊し居なくなる。ただ、その後もバットマンらしき人物が、悪の前に現れている、と言う描写はあって。

    「”それ”が(バットマンの消滅が)バットマンの意思だ」としても、ファン?は、そうは思わない訳だ。クローン再生でも何でも、如何なる手段を用いても復活を目論んだりする、或いはそれは死者を蘇らそう、そんな禁断の邪悪へと挑む、狂気の犯罪科学者…そう言う出現だろうか。

    「漫画だから」

    今の彼らの価値感は、”それ”を許さないのだ。
    何故なら、「相対性理論には、そう言う記述が無いから」だ。

    現状の「価値」経済の発展に必要な行為、そこには、”特別”その存在を如何にして排除するか?と言うのが、最も重要な要素として有って。だからこそ、その作者は外圧に対して奇妙な位に抵抗する術を持てない訳だが。今の「天皇陛下」もあくまでも「日本」の姿を受け継ぎ形成する為のシンボルに過ぎず、それが独裁を執行できない事が、日本の価値として重要な要素には成っていて。ともかく”これ”を重視する時、バットマンのみならず、ウルトラマンも仮面ライダーも実質、存在しない事に成る。「理由」等価な原因、それなくして彼らは存在せず、それの消滅と共に彼らも必要性が無くなる。「漫画だから」漫画の中なら、幾らでも騒動は起こせる、起こして良い”その為の場所”だ。危険衝動をその領域に呼び込み、そこで消す時、そこには彼らもまた、居る。

    実在は、しない。

    「それは違う」彼らは、それを探している。

    ゲームのプログラムで、不意にある失望感?だ。敵が死ぬのは、「そう彼ら自身にプログラムされているから」だ、攻撃が当たったらダメージを受け、それが0に成ったら死亡モーションを開始して、終わったらスコアを加算して消滅しなさい。その視点では「彼らはどうとでも成る」存在であり、何の脅威でも無いのだ。その世界を支配する存在が制定した情報であり、問題があるなら幾らでも弱体化し得る、そもそも出現させる必要が無い、「面白い」以外の理由では。プレイヤーキャラでさえそうだ、どんな強力なパワーも、それはプログラマーがそう、設定したに過ぎない。

    つまり、「”ここ”にはバットマンが居ない」訳だ。

    結論で、”これ”が現状の物理、或いはその”最上位の感覚”であって。虚構、「創作」それには何の価値も無い、そもそも実在しないのだから。「バットマンは何処だ」それを探し、その為なら犯罪にも手を出さんとする”彼ら”を抑止する為には、「バットマンは実在する」それを証明する必要があり、ゲームはその具体性でアプローチの一つとしては有っても、或いはそれは、最後まで届かない。

    バットマンとは、或いは「アルバート・アインシュタイン」の事であって、しかし或いは「ジョーカー」それもまた、或いは”彼その物”ではあって。ジョーカーが死んだとしたら、同じく”バットマンも死んだ”訳だ。それは受け入れつつ、次へ進まねばならない訳だが。

    「アーカムシティは、厄災から解放された」それは、好ましい事か否か。

    次は、どうする?


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