失敗フラグはいつそこに
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失敗フラグはいつそこに

2019-10-29 07:14

    「無能な豚」その後、だ。

    結論?それで行くと、”その人”はコナミに70億円の損失を発生させ、更に自身のスキル、”それ”が「単なる博打に過ぎなかった」まぐれ当たりでしか無かった、その帰結に陥り、自身への負債、その担保を失った、状態になった、可能性はある。

    とは言え、”その”経緯は、全くの推測、根拠の薄い創作の様なモノでしかなく。
    ちょっと、懸念はある。


    事の発端は、「グラディウス」それがヒットした事、だ。
    ”それ”により、その人物はコナミの中で、強力な権力?を得る事に成った。

    その方法論は、暫く上手く機能した、のだが。
    しかしどうも、「悪魔城ドラキュラ アーケード版」この発表と、その失敗により、ケチがついた。

    一般論からしたら、「まあ、そう言う事もあるよね」しかし。
    その失敗は、その方法論が絶対では無かった…その結果を意味していた。


    そして、或いはその人は恐慌に陥る、”それ”に確実性が無ければ?自分には確実な物など何一つ無かった訳だ、全部「他人のスキル」だった訳で。その人は、その方法論に妙な固執を始める、その時。「悪魔城ドラキュラ アーケード版」の「元ネタ」の作者に対し、異様とも思える”否定”を始める事に成った。

    そう言う方法論だったのだ。

    「何故失敗したか解らない」とされる”失敗例”に対して徹底的に叩く?事から、成功例を導く。
    しかし?その感覚は主観に過ぎず、根拠は無かった、「自身の趣味に過ぎない」訳で。
    ともかく「ゼビウス」に対して”それ”を行った結果として「グラディウス」が誕生し、それは大ヒットし、コナミの、現在の礎に成った訳だが。

    どういう経緯か、「悪魔城ドラキュラ」その元ネタは、その否定?に耐えてしまって、成功例を導けなかった。その結果、”それ”はその時、その人の中で「グラディウスの大ヒットは、博打の成功に過ぎない?事に成ってしまった」訳だ。

    推測だ。持ち込まれた「失敗例」は、何処かの会社の新入社員か何かが創った、たわいない痴作に過ぎない、そう思ったのだ…主観的に。”それ”を高校生が一人で作った?と言う事実はその時、その人には想像できなかった、情報はあったにせよ、信じなかった。結果、失敗の後、その人はその「元ネタ」の問題点を異様な微細で探そうとする、が。

    或いは、結局見つからなかった。

    現状、この時点で今なら解る事だが、「プロレベルの創作を、高校生が一人で作る」時に、その人物はどれだけの負荷を自身に与えているか?と言う問題で、上手く行ったにせよ、”それ”を他者に要求出来ない、訳だ。当然の様に、その、当時の高校生はその後、あまり良い結果に成ってない、他を全て切り捨てての投入である、”その先が既にない”様なモノだ。当時はそう言う時代で、その時の、一つの「切ない犠牲者の一人」なのだが。

    その人は、その人物を更に否定してしまった、訳だ。

    結論で、「悪魔城ドラキュラ アーケード版」は重篤な失敗作に成り、どうも、これを境にコナミは、精彩を欠いて行く事に成り…やがては、ゲームその物から、微妙に疎遠に成っていった。

    しかしその人物はその後も、元ネタの作者への否定に、どうも執着し続けた、訳だが。
    その持つ影響力を駆使し、異様とも思える執着で、その人物のやることなすこと、”すべて"を否定し続けた訳だが。
    それと、「中華思想の皇帝」その到来とはどう接点を持つか、或いは全く無関係か?は、今の状況では定かでは無い。


    と言う感じが判明した結果として、「コナミへ”その元ネタの作者の高校生"側へ、損害賠償として70億円の請求」が発生し、それはもちろん、その人の過失になり。その人自身の背負う借金は、その根拠を失う事に成った、「その成功は単なる宝くじの当選に過ぎなかった」訳で。帰結としては破綻、破産、「失敗」と言うオチになり、今後は”ここ”を根拠に出来なくなった、訳だが。

    これはここまで考えても、一種の推測に過ぎないのだけど。

    …或いはこれは、あの「ハリウッドシステム」その後遺症の様な話、だ。元々、そんな能力は無かった人を、無理矢理、重要な役職?に据える事で、「王の権威」その庇護を呼ぶ、それは。考えて見たら、「どっちを助ける?」の時、問題のない高校生と、成功し増長してる様な創作者と、どっち?の選択として前者ではあり、それはハリウッドシステムにしろ、大いなる失念ではある、「推挙した人が否定される可能性は有った」訳だ。ハリウッドシステムも、或いは最終的には博打に過ぎなかった訳だが、ともかく失った絶対性は、ハリウッドにしろその後、精彩を欠いて行く要因、ではあるのかもしれない。


    何を考えて、自分は”ここ”に居るものか。

    未来と可能性を失いつつも、自分はまだ、ここにいる。


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