楽しい職場と言う名の幻影
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楽しい職場と言う名の幻影

2019-11-02 23:15

    「理想の監督とは?」だ。

    監督は何をするか?と言うと、実際はほぼ、何もしない。
    特に今なんか、外部に「ストリード」それを求める時、それに問題が無ければ後は殆ど「居るだけ」だ。しかし、もちろん現場は、その時の方向性、価値感?それを監督に依存する。監督はただ、”それ”に対して良いか悪いかを示すに過ぎない。

    しかし、その時、分岐の様なモノはある。

    現場重視で行く時、「これが足らないから創れ」は、言えない。
    「これが足らないので、”創ったから”これを使え」は、言える。

    前者がクスィーガンダムであり、後者がペーネロペーである。

    前者を認める時?現場は、理不尽な暴君に支配される事には成る。
    その時、後者なら、その「足りない!」苦境を打開したのは、その監督のスキルだ。

    今の感覚で言えば、文句なしに後者、ペーネロペー一択、である。

    監督はその、不測の事態を自力で補える、そんな能力を持って無ければ成らない。
    しかし、そんな「ペーネロペーで」なら、クスィーガンダムは「いらない」のだ。

    いらない。

    クスィーガンダムで、成功しない、訳では無い。
    ただ、劇中でもそうだが、うっかりするとテロリズムに傾倒し易い。
    監督の横暴が許されるから、だ。現場に無理を強いる事が許されてる。

    しかし、結局は運用内容、正義の上で使用されれば、それは十二分に有能ではあり、そしてそう言う状況、”それ”が窮地を打開し得る事態それは当然の様に発生する。

    「貴方は昔、歌手を目指したそうだね」
    「いや、目指したというか」
    「歌いたまえ」

    ”それ”が、新たな可能性を切り開かない、とは言えないのだけど。
    現場としては…ちょっと困るだろう、人によるが。

    正義の上で、善き人が、良き目的として運用すれば、”それ”は無意味では無い。
    ペーネロペーにしろ、悪しき目的で使えない訳じゃないだろう、しかし、自身の上位を持ち、その存在が無ければまともな運用が出来ない?と言う大きな制約は、何かの「枷」を持った安心感、そう言うのはある。

    今の想定で、クスィーガンダムは平成の間、結論で悪しきパワーによって運用されてしまった、そう言う面は多々あり。そもそも「ペーネロペーで行く」事に決まった物を反故にして”これ”を使い続けた様な感じだ、それはそのまま、テロリズムに成っていった、可能性はある。

    小説の通りに成っていく様な、その是非ではある。

    クスィーガンダムは、結論で言うと否定された。
    あくまでも、同人市場での存在に限定される様な、そんな。

    そこに出来てしまった物、だ。
    同人では、結論では暮らしていけない。

    それでも、それはそこに有るのだ。


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