鏡の向こうにいる誰か
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鏡の向こうにいる誰か

2019-11-07 11:13

    問題は同じだ。

    「外って何処?」

    それが無い。


    当初の計画では、「黄昏の狩人」それによって発生した物語の中から、キャラクターやらガジェットやら?そう言うのを二次創作的にピックアップして商品にし、サークル運営の利益を出そう、そう言う感覚だった。この辺、当時もあるテレビアニメ等と変わらない、売れるか売れないか?は当時考えてなかった、だったら良いな、”それ”が良くも悪くも勝手に?持ち出され、インターネットの「土台」今で言うストリード、”それ”に成ってしまった訳だが。

    それが紆余曲折を経て、本来の立ち位置になった、にせよ。「インターネットの土台に成っている」その事態は変わらず、思想としては最後、「神様(0±0)に聞いて?」に帰結しているにしろ、”それ”は問う訳だ。

    誰よこのシステム作ったの。

    と言う訳で、人間の世界の責任は人間に取らせる、時。結局最後のポジションに誰か居る、と言う事に「理解としては」成る、訳だが。それから見る時、「外」それが無い。視点では”世界全てがこのシステムに飲み込まれている”のだ。インターネットの「外」に、インターネットは”何”を売ろうとしているのか?だ。何処かの漫画であった、「家族の中でお金が動いても儲かった気がしない」それに近い状況ではある。視聴者と放送者はほぼイコールで有り、彼らに渡すお金は、彼らから貰ったお金なのだ。その時、お金はどうなっているのか。

    「外って、何処?」

    改めて、「黄昏の狩人」このシステムの、理解としての一種の限界?ではある。このシステムその物は、お金を”発生”はさせていない。「ペーネロペー」その感覚で見た最上位は、”自分の描いた絵を自分で喜んでるに過ぎない”訳だ。自己満足で良いのは、財布にお金がある内である。

    改めて、「1枚10円の紙に描いた絵を、100,000,000円にする方法とは?」だ。

    それは、当時も今も、微妙に見えていない。

    今、”この”ポジションに居る自分が、その方法を思いつかねばならない、訳だが。色々頑張った結果、解ったのは「一人で描いた絵はお金にならない」その結論だ、それは今の「黄昏の狩人」最大限に膨れ上がった”それ”が体現してる事態、ではある。世界全てを飲み込むほどに巨大化した個人創作は、結局は今も、”数枚のコピー用紙のまま”なのだ、そして今も、それ以上の価値を持たない。”売る相手が居ない”のだ、換金出来ない。

    と言う感じで、不意に鏡を見る、そこには年相応の、微妙な顔がそこに有る訳だが。

    それは、当時、思った事だろうか。

    「”こいつ”が買えば良いんだが」

    幾らで?



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