理不尽な道理と可能性の狭間
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理不尽な道理と可能性の狭間

2019-11-14 16:33

    ハゲた人々が、理解するかどうか?ではある。

    理解は出来る、とは思うのだけど。
    地位が上がるほど、決断に対して踏み込むのは怖くなる。
    前例踏襲で有れば、その責任は前例にこそあり、自身の責任は薄くなる。
    可能性を否定する事にはなるが、失敗し損害の責任を追うよりはマシであって。
    かくして、前例は踏襲されて行く、訳だが。


    人力発電機は、もはや「やらねばならない事」だ。
    しかし、結論として、推察し得る禿げた人々には、”それ”は理解が出来ない訳だ。
    何故なら、「今までには無かった」から。
    前例踏襲主義、ではあり、状況の硬直は、これがその一端には、ある。

    これをしかし、「このハゲー!!」では、突破出来なかった訳だが。

    「そんなやり方、今まで聞いた事が無い」

    これを言う人々はまあ、大概はハゲている、筈だ。

    そして相応の地位有る立場であれば?もちろん、これは選択には成らない。
    と言う訳で、これは選択肢以前、と言う事に成る訳だ。

    このハゲ。

    「理解は出来る」筈だ。
    自分には出来ないが、他の存在なら出来る、と言う理解でも、大事な話だ。

    なら可能なら、ふさふさで、まだ黒い連中に、やって貰うべきだが。
    しかし勿論、禿げた人々は解っている、その後どうなるか?は。
    それでも挑む人々を、果たして生贄にして、良いか否か。

    生贄を容認するハゲ、と言うのも嫌な絵ではあり。

    「失敗しても責任は問わない」状況を形成しつつ、前にいる人々にお願いするしかない…と言うのは、都合の良い話だろうか。

    それとも、その状況で、若い暴言癖の皆様にやらせるべきだろうか。

    ともかく問題は、ソフトバンクの社長はこういう話に投資する気になるか?ではある。

    彼が投資しないなら、世の禿げた人々も総じてしないだろう。

    そこには、禿げた荒野が広がっている。


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