見るべき範囲とその外の話
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

見るべき範囲とその外の話

2020-02-08 07:31

    どうでも良い話だが。

    …魔王としては、重要な分岐だ。

    草野球チーム。戦力は、拮抗している。
    Aチームのマネージャーは、美人だ。
    Bチームのマネージャーは、そうでも無い。

    報道を考える、魔王は、どっちに”注目”するべき?


    今の「ガンダム規約」で考える時、「立場的に弱い方を主人公に、強い方を敵として描く」訳だが。この場合のそれは、どっち?

    …主観的な判断で言うと、「主人公側はBチームに成る」のだろうか?


    テレビが注目した方が勝つ、か?と言うと、実例的にもそうでも無い。むしろ注目される結果で実力が出せない、そう言う事の方がどうも、多い。しかし、それは理想論?だ、実際の感情論としては、「どうしても注目される側に比重が乗る」し、また?「介入」物語としての支援、それも、結論ではマスコミが注目する側に送られやすい。ついでに、Bチームは注目される事に許容はあるのだろうか?

    そして何より、”そこ”は有利不利に関係してるのか?と言う問題。

    「介入」の概念で言えば、”そのままの視点ではAチームが注目され易い”部分はあり、だからこそ、報道としてはBチーム側を見てバランスを取るべき、と言うのもある。しかし、テレビがBチームを見る時、Aチームは不当な劣勢に陥る、かも。

    「そこは判断材料にしない」のは、平等と言う観点で平等なのか?
    …とすると、”戦力は拮抗している”訳で、そこに介入する理由も失う訳だが。

    試合として面白いのは、この「戦力が拮抗している」状態ではある、が。物語としては、劣勢をひっくり返す!方が、面白い。その辺、棲み分けの様なイメージだろうか。この場合、「介入する理由は無い」のだ。あくまでも、”明らかな劣勢”がそこに有る時、マスコミの注目は発生する。スポーツマンガで、拮抗したシチュエーションでは描く意味がない様な、そんな。

    美醜は、どうでも良い。
    そして、平等がそこに有る時、”そこ”に注目する必要は無い。

    最後の混沌、だろうか。

    魔王の。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。