「小学生の交友関係調査」は、遅々として進まない。
「何の意味があるんですか?」
そうなんですけどね(´・_・`)。
そもそも「多項目商品注文法」に被せた、と言う事は、「注文は何ですか?」そう言う意味だ。そう言う意味に成ってる、と言う時点で既に意味が薄れているのは感じる。国内の小学生、それがどんな状態かを把握し、その後の政策に生かす、と言う名目だが、”注文”を聞いて、国家が動くのか?と言うと、そこには疑問は多少、ある。
小学生の抱える問題は、多々ある。進学やら日常、イジメ、日々の不満や不安。調査でもしない限りは、個別案件までは中々解らない。トップダウンの問題でもある、「先生」に指導を出すにも、上が現場を把握せねば、適当な指示は出せないのだ。そして、一人一人の問題に、上は対処出来ない。
「切り捨て」の影は、何となく思う。
そしてだからこそか、今は尚更、無意味だ。
本来は、個別案件”全て”に適正に対処いたします、が。
それが出来るのなら、こんな雑なやり方をするだろうか?
「たった一人が文句を言っただけで、国家的な政策がストップする」と言うのも、問題は感じるのだが、「紛争解決機構」その理想としては有り得るのだ。もちろん、中国はそれを許さない、それが天安門事件で有り、そして。平成は中国の隆盛?が著しい時代だった。中華思想の皇帝、その存在の元で「これで良い」それで突き進んでしまって、気づいたら、何だか壊滅的な現状は有る。ここでそう言うのは止めねばならない!のだが。現場の声?は、同じく現場にとっては劣等の印でしかない。
お客様って、何ですか?
何で直に廻らねばならないんですか?
調査をする必要性って何ですか?
もうちょっと効率的な方法は無かったんですか?
なんか凄い面倒なんですけど。
どーでもいいからさっさとやれ(暴言)。
「ルールが悪い」結論で、アメリカが王の権威を喪失したのは”だから”ではある。そのルールでは切り捨てが発生するのだ、そこに利益性は無い。「現実」の反応に対して、相手には皇帝の余地が発生し、「ルールが悪い」現実を変えよう!それは、強力な中央集権制、或いは現実否定、それへ繋がっていき、現実へ戦いを挑み始める。
実際には、分の悪い戦いだ。現実は安直に兵糧攻めを始める。最初は良いが、調子にのった国家はやがて安直に疲弊し、打開出来ないまま、やがて。
「大衆」その神は、果たして。