「誰が悪いんだ」
ハッキリとは今も解らないが、”何となく”が通る部分はある。
平成の間、日本と言う国家?は、「新世紀エヴァンゲリオン」”これ”を土台にしてしまったのだ。
その結果、この作品の何かの失点が、そのまま世界全体を覆ってしまった。
愚かというべき、だろうか。
そこは謎だ。
日本と言う世界のリアリティ、「今まで」と言うのも重い。
戦前、日本が敵にしていたのは「王の権威」だったのだ。
”それ”と戦って負けたが、しかし、相手が原爆を使用した結果として、反則負け、と言う事に成り「王の権威」その所有は日本の物となった、が。
それはまず、戦前の軍国主義の「標的」が、天皇陛下に成った事を意味する。
そしてアメリカにとっても、日本は敵だった、特に天皇制は抑え込まねばならない物。
日本の文化?は、天皇に対して、敵意をむき出しにしてしまったのだけど。
昭和の頃は、それでも利益性、”それ”を目指す時、「邪悪な皇帝」の前で、屈しなければならなかった。
”それ”が平成に入り、「王の権威」が民間に落ちて。
”そこ”こそが「諸悪の根源として適当」に成ってしまった、のだ。
経緯として、”それ”を抑え込まねばならなくなった「エヴァンゲリオン」それは、そのまま日本の方向性、もしくは世界の密かなそれにさえ合致して行き、”これ”に対してやたらと、世界は依存する様に成っていった、が。
「これパクってない?」
”それ”は結論で、映画の最後の様に、何かの成果を最後の最後で破綻させ、全ては崩壊して行った訳だ。「正しい」だから、”そこまで”は、エヴァンゲリオンは問題なかった。
”それ”を認めれば、だ。
認めないまま、その後の20年は過ぎてしまったのだけど。
奇妙な感覚?はある、今、”ここ”には「王の権威が無い」のだ。「魔王である」と言う意味は残っていても、王の権威では無い?感覚がある。”それ”は何だか、何処かへ移動してしまった…そんな気もするが。
今まで通り、は大事だ。
そして確かに、「王の権威」とやらが、”責める対象”で有れば今までも問題は無い。
もう、「王の権威」が存在する必要は無いのだ。
だから、”それ”を目指すのなら、それはもう破壊の標的でしかない。
”それ”が悪い。
それを倒さねばならない。