試合と登山の境目とは
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試合と登山の境目とは

2020-05-23 15:21

    状況の変化もある。

    それに伴う感覚の衝突も有る。

    ともかく何かの「領域」それは、自身の前に有る、”感じ”はある。気持ち、玉川徹氏、それの排斥に成功した?と言うニュアンスもあり…領域内での内需拡大を目指す、ある程度の見通しは出た?様な気もする、が。

    とは言え懸念してた「独裁者」そのポジションに場合によっては今、自分が居るのだ。

    「最終的には大賀さんでの衝突で決めてください」

    と言う時、”この”領域による大賀さんの決定、それは何処を見れば良いのか?
    出来る事なら納得し得るゲームシステムが前に有れば良いが、今も微妙に無い、事情は様々ではある。
    結果、”ここ”の独断が世間の納得に成るか?と言う、それが大賀さんの決定になる、訳だが。

    と言う状況で、オーダーに対しての「正解」それは何か。

    ゲームと言うモノを、どういうイメージで見ているか?による、が。普通のRPGそれは、「プラモデルを創る」そう言うニュアンスだが、対戦格闘ゲームとかは、「野球の試合をする」そう言うニュアンスだ。

    何だか微妙に、気持ち悪い部分が出てくる。

    女性の感覚だ、自分の夫は、野球の試合をゲームと言うニュアンスで見ている。
    しかし?RPGとしてのオーダーでは基本的には、プラモデルを創る方向だ。

    前者では面倒もある、「負けても意味がある」と言うのが対戦格闘ゲーム等の必須項目、だが。RPGで途中でゲームオーバーになる時、そこに意味は有るだろうか?志半ばで屈したそれは、望まれる事か、何かの価値が有るか。

    もちろんアクションゲームでもそうだが、敗北の質量は経験として蓄積され、その後の成功率を高めてくれる。その蓄積あって始めてその先の成功、達成、そう言うのはある。RPG等はその労苦に見合う投入が有って初めて最後の結果が出るのだが。勿論そこで物語があんにゅい、と言うのは大いなる失望にはなる…そこは別の話として。

    ルール上でも、最初から言ってる様に、現場の方が上位ではある。
    それとしては、「負けた事(ゲームオーバー)の意味は?」を、今以上に問われても困る訳だが。
    だから、やっぱり「現場の決定の方が上」である、この場合ゲームと言うのはプラモデルを創ってるそれであり、つまり、クリアまでの失敗は全て悪夢オチだ。「ってのは無しで」その蓄積でしかない。これはRPGを創っているのだ、対戦ゲームとは違う。

    この決定を、「試合に負けました」と言うニュアンスで、理解されるか否か。

    期待、希望する選択が、ある意味で「理不尽に抑止された」訳だ。

    それはシステムへの懸念には成る。


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