相対性理論の限界とその先
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相対性理論の限界とその先

2020-06-18 11:40

    良くも悪くも、太平洋戦争で日本に非は無い。

    基本的には日本側にルール違反は無く、民間人の虐殺も無く、真珠湾が奇襲だ、と言うのは諸説あって、実際には相手がその確認を怠っただけ、と言うのが今の結論?ではある。本土空爆に、民間人の大量殺害、原爆投下、ルール違反の数々は、むしろ米国側にこそ有って。

    ともかく原爆の投下、それは何処まで行っても「違法行為」と言う扱いからは変わらない。

    この辺、少し前なら違った部分がある、あの「黄昏の狩人」その「最後のマスター」が自分だったから、だ。自作の「トランディ」の中にも出てくる?が、やむを得ず核攻撃をした、と言うのは…かなり頻繁に使っていたりする。戦争に置いて、ルールを語るのも無意味な話だ、結構前まで、そう言う感覚だったが。

    「黄昏の狩人」その、最後のマスター、それは今、(0±0)、神様、である。
    「シン・ゴジラ」の際に、色々あって改訂した。ただその後、増尾昭一氏は亡くなったが。
    その結果、以前なら許してしまった部分が、今は許されなくなっている様な気はする。

    「王の権威は何故、日本に有るのか?」

    その理由を考えると、結論としては「アメリカが原爆を使ったから」それ以外には考えられない、と言うのが今の帰結だ、それで”反則負け”に成った。現状でも、”これ”を使用したら後は人類が滅ぶ、と言うのが定説ではある。続くにしろ、致命的な荒廃の後、だ。”これ”は「使ってはいけない兵器」だ。それを使用した事は、子々孫々に渡り、過失と言う扱いに実は成る。

    様だ。

    現在の「紛争解決機構」には、この種の最終兵器は登場出来ないルールではある、「登場させたら戦争が終わってしまう」から、だ。戦争の発生は避けられない、等価な二択は独裁性の消去において重要、というなら、その狭間こそが戦争であって。しかし?「勝敗を決める」事さえ出来れば、戦争の代わりには成る。と言う理屈が紛争解決機構の存在意義だが、結果、「それが終わってしまう」要素は、この世界にはいらない、という事には成る訳で。

    ”現実には”戦争はいらない、だから、核兵器は現実には存在するが使わない。”紛争解決機構”には戦争が必要だ、だから、”ここ”に核兵器は存在しない。両者は表裏の様に、今の世界を安定させる為に、お互いを必要としている。

    …しかし結果で、今まで無視された部分は今、無視出来なくなった訳だ。じゃないと、利益は出ない。

    環境に適用出来ない存在は生き残れない、それで良いかどうか、悩む所ではある。

    ”普通”の仕事なら、あまり気にされない「犯罪性の有無」は、創作領域には些細であっても、例え万引き程度のそれであっても、無視されず、破綻の切っ掛けに成る。

    状況は随分変わってしまった。

    以前の様に、「王の権威」その一存で決まる、そんな状況では無くなった。

    売れれば良いのだ。

    しかし、そこには想像以上に残酷な、何かの否定はある。

    それが「そこに居る」事に、理由はまあ、有る訳で。


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