主観と主観が衝突する狭間
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主観と主観が衝突する狭間

2020-08-17 08:05

    それは、理由に成らない。

    橋を創るゲームで、創った橋が壊れる時、分岐がある。

    壊れない様にするにはどうすれば良い?と言う改良に入るか、
    「これで壊れる物理法則がおかしい」と言う理解に入るか。

    一応、”物理”を前にしたら、選択は前者しかない…しかし。混沌とする部分だ、このゲーム、そんなに面白いゲームか?と言われると、見てるだけでも微妙な疑問はある。労苦を投入して完成した橋は、意味がないのだ、フィードバックする先は、ほぼ無い。お題を出され苦労して完成した後、で?とかお題を出した側に言われる感じ。主観では「何処がおかしい?」と言う問いに対して返答する為に試行錯誤する方が、等価ではある。

    何かの、「言葉が消える」領域だ。この先は主観同士の衝突でしかなくその最後に、ここの理解では「大衆」と言う神の主観、”それ”が人間のその判断の前に立ちはだかる。それには屈しなければならない、のだが。”それ”に対して擬人化する限り、それは”超えられる何か”だったりはする訳だ。

    そして、平成の始まりに起こった悲劇、それは有った訳で。

    今は”それ”が、「大賀さん」として…主観的判断としては可視化し得る状況ではある。特に物理演算を用いたゲーム?には、強く現れるだろう。それは組み方が悪いのだ、出来る様に創るには、試行錯誤は必要だ。もちろん?それだけの事をさせたのに対価は無しですか?と言うのは、重い疑念ではあるけど。

    売れるゲーム、その為には、その辺のツッコミにも、一応は対応せねばならないそう言うのは、ある。


    「スーパーマリオブラザーズみたいなゲームをお願いします」

    それに対して、その等価、要求を満たす為には、何が必要か。「ロボット同士の対戦格闘ゲーム」それに有る不足は何処か。ともかくもちろんと言うレベルで、この橋を創るゲームはそれを満たしては居ない…それは言える気は、する。

    状況は多少変化した、感じもある。それに対して今までのそれが通らない、それもまた。


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