とある主観と財布との協議
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とある主観と財布との協議

2020-09-26 07:54

    不意に深刻さはある。

    主観でか、「面白いゲーム」を遊ぶには、高額PCが必要なのだ。
    「PUBG」や、「地球防衛軍5」とかがそれに該当するのか?と言う感覚は微妙だが。ともかく高いハードパワーを必要とするこれらは、高額PCで無ければ起動さえままならない、と言う現実は、不意にある。

    10万円を超えるPC、と言うのが、高額か?と言うと、今は高額ではある。
    昔とは感覚が違う、10万円なんか一か月バイトすれば良いだろ、と言う「そのバイト先が無い」のが”今”である。何処もかしこも、何となく「余剰人員を抱えている」と言う感覚の中、バイトを許容する場所が無い”感じ”で、そこで何かの線引きが、不意に。

    更に言えば、理解の問題だろうか、「お金は増えない」のだ。
    その環境下で、貴方は、お金が欲しいと言うのか?浪費の為に?

    ”末端”へ利益を送る感覚が無い。


    この、特徴的な感覚の帰結に有るのが「デッド・バイ・デイライト」ではある。

    「2BRO」で頻繁に実況動画が上がっている、が。正直言うと「彼らだから」と言うニュアンスは感じる所で…「仕事」と言うニュアンスが他の実況主に比べて非常に強い、のがここの特徴ではあり。そして良くも悪くも、ある意味でその「映像作品を創る」と言う目的に対し、このゲームは非常に上手く合致してしている、と言うべきで。

    このゲームもまた、相応のハードパワーは必要である。

    そしてその線引きが、微妙に思想の対立、それを少し鮮明にもする。


    「仕事」なのだ、この感覚ではゲームを遊ぶ事も。そしてだから、ゲームも「そう言う物」としてデザインされるのが正しい、訳だ。「デッド・バイ・デイライト」この場に居る人々は、サバイバーもキラーも、「暗黙の了解」は必須だ、単に「娯楽として楽しむ為に来る」奴らは余計である。何かの真剣さを許容した上で”ルール”を守り挑む時、そこには”誰かが望む理想”が或いは有り、そしてそこに「評価」がある。野球の試合の様な感覚、だろうか。心技体、その最高のプレイヤー同士による真剣勝負にこそ、客を集める魅力が発生する。野球の試合で選手はデッドボールを恐れるのか?それは不備では無い、そこに重い断言はある。

    「ゲームと言うのは子供が遊ぶモノでは無いのか?」

    コンシューマとして、日本市場でXBOXが苦戦する理由かもしれない。日本におけるゲームとは”そう言う物”として認識されていて、今のゲームデザイン?には、微妙に衝突する部分はある…気はする。PS5はどっちとかと言うと「日本的なベクトル」で構成されていても?このハードパワーを駆使するスキルはPC市場の方が勿論高く。或いは、何かの混沌はそこに残る。まだ残っている戦い、だろうか。その為か。XBOXとPS5、どっちが土台として好ましいか。その先の話は、その決着が付いてから、かも。

    高い技術力、好ましい良品が、日本市場では認められないのだ。

    それはつまり、われわれが間違っていると言う事か?

    核兵器を躊躇わずに使用し得た、その意識が或いはそこに有る。


    今も、アメリカでの新型コロナウイルスの猛威は洒落に成らない。死者の数は既にベトナム戦争時の戦死者を超えている、と言う。アメリカその物も断言はしている、”これ”は戦争である。しかし、微妙に劣勢だ。ただ、その帰結は或いは、ここに有るのかもしれない。

    とある断言と、そこに有る結果は、それでも、「これはダメだ」そう言うのだろうか。

    「仕事の道具」が高額なのは当然だろう。

    そうだろうか。


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