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執着する帰結と著作権
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執着する帰結と著作権

2020-10-19 08:13

    パクった訳じゃない。

    ただ、そう見るか?は、別問題かもしれない。

    前に「プレイステーションは、自身が以前に書いた"PWS-VA-H500”と言う架空のノートパソコンをイメージの土台にしている」と言う話は書いたが、結果、「PSを創れと言われればノートパソコン型になる」と言う話に成った、その後。

    「創ってる人が既に居た」訳で。
    「PS4U 一体型PS4を創った!」

    …この時、自身がPS5のノート型を提案したら。それはパクった事に成るのだろうか?

    このイメージと、分解解説する感覚は、PS5の分解解説動画にも通じてるので、SONY自身が”これ”をイメージソースにして解説動画を創った、可能性さえ感じるのだけど、ともかく。

    プレイステーションとは、ノートパソコンをイメージソースにしているのだ。

    と言うそこに、これを証拠の一つと見るか、それとも自分が歪曲しパクっただけ、と見るか。
    ともかく問題は、「ノート型PSの著作権は何処?」と言う、それではある。

    この辺、「けものフレンズ」にも通じては来る。ネクソン版がオリジナルなのか、それともアニメ版「けものフレンズ」か、或いは極論として「けものフレンズpv3」”それ”がその根っこなのか。

    責任の所在と言うニュアンスか、或いは権利か利益、そういう話か。

    売れるか売れないか?と言う観点では、最終的な責任の所在は何処?と言う問題には成り、”それ”が今まではいわゆる王の権威、”そこ”に成るのだけども。少なくともユダヤ教は”それ”に対して否定感があり、その隠蔽或いは否定に死力を尽くした感覚も有り、その結果残ってるモノは、結構面倒な混沌と、或いは何かの剣呑だったりして。

    文句を言うなら、機動性が無さすぎる、運用性が悪い、と言うのはある。
    それに対して「洒落に対してケチを付けるのも無粋では」それもあり。
    なら、「これは単なる金のかかった洒落って事で良いね?」そこは言える、が。

    そう言うモノだろうか。

    最終的には、”それ”がお金の世界ではあるが。


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