未来と時代と分岐と失望
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未来と時代と分岐と失望

2020-10-23 11:12

    方法論の対立はある。

    そしてそれは見えない領域で歪んで続く訳だが。

    「クリアする必要など無い」”飽きるまで”遊びなさい。基本的にはTAITOの「スペースインベーダー」そこに有るモノ、ではある。あくまでも、”歪な衝動の捨て場”だ。多勢に無勢、硫黄島の決戦、それに一人で立ち向かう!様な愚行とその後。「可能性はある!」それが尽きたら、それで終了である。

    問題なのは、”これ”を土台にする限りは「好ましいエンディング」それは期待されない事だ。クリアせねばならないんだ!と言う、その徒労は洒落に成らない。そのゲームは、何を土台にしていたか?クリアするべきか、それとも。単純な二択?と言うか、”それ”はでも、そこに奇妙な奈落と混沌は創る。

    クリアしなければ人類は滅んでしまう!が、「クリアする必要は無い」のだ。

    どっち?

    「面白くない」その評には大概、こういう「どっち?」混沌が隠れていたりはする。それは外因として解る領域じゃないのだ、コンセプトの問題。昭和の頃は意味が有ったかもしれない”それ”は、今は大分否定されるようには成ってしまった、見れば解る位に表現力や理解が進んだから、だろうか。今は、基本的にはクリア前提ではある、そうデザインする方が売れる、「クリア出来れば得るモノが有る」訳で。理解の問題だ、ゲームに何を求めるか?自身の主張が、市場で否定される事は多々ある。

    ゲームセンターは復活させたい、しかしゲームと言うのは?その理解も変えられない。

    そこは奈落が発生している感覚も有る。後者の感覚が捨てられない、としたら、今はデザインには携わらない方が良いのかもしれない。ユーザーを集める為につい、売れセンの、顔をして、その後に重い失望を呼ぶだけだから、だ。痛みさえ伴う「面白くない」は、客をどんどん失うだけには成るかも。

    懸念していた問題の一つは、やっぱり今も、重いそれとしてはある。

    簡単な商品でも、「完成しなければ意味がない」ので。クリア出来ない様な難易度のそれは、一部の専売特許かもしれないが、それを求めるのもまた、或いは一部でしかなく。

    古いゲーム、そう言っても平成のそれだ、その多くが、再評価は出来ない感覚は有る、売れなかった=駄作、その評価は覆らない。過去のそれらを捨てられないなら、その先は、もう無いのかも。

    時代に必要だったものは、時代にと共に変わっては行く。


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