不幸と言う名の個人的喪失
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不幸と言う名の個人的喪失

2020-10-24 09:49

    世の中は、±0で出来ていて。

    「良いアイディアがひらめいた!」それは、その時は、相応のマイナスが自身に発生してる、そう言う意味かもしれないし、実際”そう”だろう。”それ”を得る事で、状況は「神の理想」バランスに成る。それが得られなければ?その場はどんどんと、何かの歪みか、問題それを発生させ続ける、訳だ。

    プラスも有れば、マイナスもある。

    何を残すか?で、その先が、その先で得られるモノが、変わる。

    道標は見えている?多分。「それは好ましくない事です」それは、解る、多分。それでもそこに、その時必要があれば、それはその人には対価として適当だ、が。それがその後、神にとって等価なマイナスを要求、それは良くある話としてはある。

    そう言うモノだ、納得は無いにしろ。

    「被せ」も、結論では万引きに近い話、ではある。とは言え、他人の土地に生えてる、”その他人は食べない野草”を日常的に詰んで食べていたとしても、それは罪だろうか?そこは謎だ。それはいつ、罪に成るのか、それはともかく広義ではこれも、万引きかもしれない。自覚し得る何かが発生した、としたら、それは自覚せねばならない、のかもしれない。

    外部的な視点では、その事態は物理的には等価だ。本人の中では重い不幸だが。

    自分も、「大衆は神である」その思想?を言い始めて、もう20年以上には成る。まさかその前に有る様々な事態が原因だった?なんて話は全く想定外で、現状もかなり不幸とは言える、が。「ストリードの連携」にしろ、今まで創った物は今も、今作っているモノも?自身の中では輝き、或いは必要性を失っていない、気はする。確かに求めたのは「そう言う能力」だ、そして、マクロで見たら、今の状況はそれに対して等価、なのかもしれない。

    自身にとっての”その先”を目指す上で、後には何がある物か。


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