古く否定された名作な筈の駄作
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古く否定された名作な筈の駄作

2020-10-25 08:04

    純粋に、成ったと言うべきか。

    「お金は儲かるのか?」疑問はそれだけに成った、とか。

    それまでの、「魔王を倒さねば理想郷には至れない」そんな、何かの執着は、魔王に負ける、と言う様なニュアンスでオチに成った…デビルマン的な何か。結果、”それ”を目的とした投資要求には、応じる必要が亡くなった。「大衆」その思惑、要求を無視して利益は発生しないし、創作のその姿勢は経済その物を悪化させかねない、それは悪だ。想定通りなら、しかし。


    今も、「お金」それにとって「王の権威」その存在は、否定されるべき脅威?なのだろうか。

    ともかく執着していた王は居なくなって、その権利は移動した、かもしれない。”そこ”が王の権威を倒す為に!に応じなくなる、と言う事は、重大なスポンサーを失うと言う事には成る。平成を支配した”彼ら”は、入金先を失う訳だ、それはほぼ、脅威では無くなった、そう見て良い感じもある、が。


    自身に問えば、意識を支配?占有する、奇妙な主観はまだ、有る。特に重いのが「パクったとバレた訳じゃないのに、自分の作品が低く評価された」言い掛かりに近い否定で入選を逃した、そう言う憤慨を足場にしてるかの何か、だ。結果が出ない?のは、それがパクリだから、だ。しかし、「被せ」がそうであるように、”それ”をパクリだと、ほぼ誰も明確には指摘出来ないのに、「なんか嫌い」「なんかムカつく」それで、それは否定され、作者もまた、忌避される存在に成っていった。

    何で?自分が何をしたと言うのか?

    一連の想定する脅威の中で、「宗教家」は、或いは幼稚な脅威ではある、低く評価された事に対して憤慨、”権力で”数値を上乗せしたのだ。しかしその結果、採用それに対しては影響は出るかもしれないが、対抗する相手の数値が50で有る、採算は超えてる、と言う部分は変わらない、脅威としては苦笑で済む内容、ではある。また、「新聞記者」は、自身の主張?かを認めなかった相手を殺してしまった、と言う重い過失はあるにしろ、「殺人を犯した」と言う、致命的な事実は何かの動かない結果をそこには置く。否定出来ない過失を前に、それは執着し続ける事に無理は出る、が。

    「漫画家」のした事は、どうも「相手の50と言う成績を10以下まで下げた」のだ。

    殺した、程の罪では無く、数値を操作した、程度の事だが。この結果、この「敵」は生存性にさえ重い問題を抱える事に成る、給料が得られない訳だ。これが横行すると困る事は多い、商品の売値が、どんどん下げられてしまう。秋刀魚の値段が安すぎる!とか、その産業その物を滅ぼしかねないとか、問題は重く発生する。立場を利用した凶悪なパワハラに対して、相手はしかし今も、罪の意識は持てない?訳だ、過失が無いのに忌避される、それは不当だ、が。

    その原理となるのが、「自分の作品が低く評価された」そこかもしれない、理由は、実際にはパクってたから、だが。

    「何だ、パクリか」

    その苦笑は、この脅威を無力化するのだろうか?
    30年以上の後に判明した、人生を狂わせた分岐点だ。

    理不尽は無かった、そんな。


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