物語的オチと現実のその後
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物語的オチと現実のその後

2020-10-26 08:36

    とある夫婦の会話。

    妻「…知人から、貴方が吸血鬼じゃないかって言われたのだけど、違うよね?」
    夫「当り前だろう?!いったい誰がそんな事を!」
    妻「吸血鬼なら十字架を恐れるって言われたの、そう言えば」
    夫「そんな事ないよ、単にインテリアとしてどうかと思って!」
    妻「じゃあ大丈夫だよね?」

     持っていた十字架を夫に押し付ける妻。

    夫「ギャー!!」


    個人的に妙にウケたこれは一体。


    ハロウィンもそう言えばそろそろで、ネタ的にもそう言う状況かもしれないが、だからだろうか、意識的に何かの混沌やらが有る。想定と現実に、何処まで差が有るかも不透明、環境は相変わらず良く解らない不愉快が多く、正直、テレビが見てられないと言う事態は何だか随分、長い。”それ”が推奨する、と言う「鬼滅の刃」と言うのも、ぶっちゃけ不安感の方があり、想定では「天気の子」とほぼ同じニュアンスの作品だろうそれを、自分としてはそんなに信仰する様な感じには成れない状況はある。

    それはつまり、「今まで通り」を続けたい、訳だが。

    平成の様に、資格無き人々がその特権を有し、詐欺的に世間を支配してた、そんな。
    世間を許容するその時、”ここ”は日陰から出れない。

    企画したゲーム機「GX」それは、今も何となく、表に出せる?雰囲気が薄い。自身の領域なら、何とか「PS5草案」そこに投影した物を再現できる可能性はある、が。しかし、PS5、というかなり限られた領域ならともかく、Windows市場に関わる時、そこには想定外?か、見えない足下か、そう言うのが有りそうな気もする。

    とは言え、一つの帰結は見た、感覚もある訳で。目的は果たした、対価を要求する、表側に対して。その、自身が求める”それ”は、現状で通るか否か、見えない事だらけ、ではある。

    古い世界を否定する、それは或いは、親の住む、もしくはして来た事を否定する、そう言う意味かもしれないのだ。

    そう言う状況の中で、好ましい帰結、選択、それは果たして。


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