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何かの到達と現状把握の異相について
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何かの到達と現状把握の異相について

2021-01-23 09:25
    神様は何処にいるんだ?

    …と言われれば、日本では「瓢箪の中」とでも言うべきだろうか。

    「有る理由が解らない」が、無くて困る物でも無い…そう言う所、物。

    「瓢箪で魚を獲る方法」禅問答で有るそれには、結局は「神は何処にいますか?」そんな、何かの理解を問う意図は、多分ある。”それ”が許容される場に、「神様」不動なる何か、は宿る訳だ。「遊び」と言うニュアンスの中にある物は、結局は一種の神卸し、神への祈祷、それその物ではある。

    ”そこ”は数多で一つだ、全ては唯一神に繋がっている、そんな千だ万だの意向の中で、どれを選ぶか?の、最も好ましい方法は何か?それを設定する所に、要求される「神様」その意識、それは宿るとは言えようか。

    一応は、「大賀さん」”これ”は、それとして現状での最上位、そう言って良い、”ここ”ではだ。

    視点では「ダークマター」暗黒物質、そう言う言い方もあるかもしれない。「この宇宙には存在しない筈の物質」と言うか、ともかくイレギュラー的な、なんで存在するか解らないが、でもある?と言う様な。ぶっちゃけると、「ブルーガンダム」これもまた、そんな「神の宿り木」的な、そう言うニュアンスはある、存在する必要も理由も無いが、有るから何か問題が起きる訳でも無い。まあ、「玩具」と言うのは総じてそう言う物かもしれないが。

    ”それ”は人々の願いを汲み、神へ届け、そして返答を返す訳だ。”それ”をゲームと見る事も出来る。

    唐突にか、それはアーケードゲームの失念、或いは欠落だった、かもしれない。「アーケードゲームを創りたいのだけど」一人で。”これ”が出来ないと?この世界に女性は入れない、のだ。男性は多、女性は個ではあり、その時、基本的には多と個の共有領域が無いと、そこは文化?として”適当”が発生しない。電子基板の物理、だろうか、”それ”に支配されたこの領域は、或いは何かの過剰、”それ”を常に面倒として抱え続けた、そう言うのは有る。そしてコンピュータが世界を覆う時、”それ”は無視出来ない問題として発露した、か。

    過剰も、間違いも、不足も、いらない。その定理に逆らう事は出来ないのだ。

    ”それ”を物理的に女性に納得して貰う、その為には?どうにか一人で創れる環境、それが必要だった、そう言うのはある、かも。

    実在の必要性は有るか?と言う、それは思う。良くも悪くも土台に成った物、30年前のそれ、それを今更、修正して復活させよう?と言う、そんな流れの先、だ。ただその意味でも、ある意味に疑問はあるが、有って悪くも無い、そう言う物として、”これ”もまた、一つの居場所、だろうか。

    その前に、30年前には有ったゲームセンターは、今。
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