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神と言う無能へ挑むモノ
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神と言う無能へ挑むモノ

2021-02-24 13:42

    現状でも、否定感はある。

    アナタハカミヲシンジマスカ?

    いえ信じなさい義務です。

    …それはちょっと、例え最善だとしてもどうも、納得し難い物言いには成る。


    結論で要するに、「男女二人の内、どっちかが犠牲に成る状況」と言うのが問題になる訳で?この事例の先は有るか?と言うと、どうも無い?訳だ。事象として、片方が犠牲に成った時、もう片方も、最終的には消える。”その”選択が相手にとっての利益を主眼として居ても、だ。「これはダメだ」と、マクロの視点では言う、のだが。それはでも、もちろんか、神の視点ではある。

    とは言え、シチュエーションの問題、だ。女性アイドル、或いは歌手としての成功を夢見る女性と、それを支える?かの男が居る。漸く成功への足掛かりが出来そう?と言う所で営業先のプロデューサーが女性に、”枕営業”を要求してくる。しかしそれを聞いた付き人の男が、色々あった後で「自分が居るからダメだ」という判断に至り、自殺してしまい、しかし。

    状況的には、その女性もその後、後追いで自殺する可能性は高い…とは思う。

    そうなった時、男性のした事は?間違っていたか、或いは。
    ゴミの様な存在を気にしてるからダメなのだ、もっと先を見るべきだったのだ。

    主観的感覚、だ。数学の定理「マイナスにマイナスを掛けるとプラスに成る」には、どうもこういう感覚が、ちらほらしてしまう。罪人(マイナス)は、犯罪(マイナス)をする事で社会貢献(プラス)になるのだ?「いやそれは違う」と言いたい所だが、先の例も、或いはそんな一つとして有る、ダメな存在(マイナス)が自殺(マイナス)を選択すれば、そこには女性の夢(プラス)が有るのだ。

    無いの?

    その問いに対して、事例を想像しない事も、無い。

    犯罪の例にしろ、その犯罪が行われる時?それに対してある社会的な危機感は、打開と対策を呼び、それは社会的には比するプラス、になった、という視点はある。「私は社会の不備を指摘しているのだ」とか、屁理屈であろうと、説明は出来るし、反論し難い、或いは”そこ”には、現実の犠牲と、その結果を神の前でか徒労と言いたくない、そんな意識も或いはある。

    神というのが、結論ではあまりにも頼りない?と言うか、だからか、或いは。
    とは言え、「大賀さん」そこに最終的には”神は居ない”のだ。等価な二択の狭間に正義は存在しない、ただ、消えていくだけ。

    数学の定理、-1×-1=1とは、正義か、或いは。
    森宮の定理、-1×-1=-1、-1×ue=0、0×ue=1、は事実か否か。

    ともかく前者の定理には、正体不明の”神”は居ないのだ。
    その上で、救い?と言えば、救いがある。

    後者には、ue(アンノウンエネルギー)が有っても、その神の介入、それは不確定だ。

    この定理に潜む物とは、果たして。



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