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作家は自身の小説を売りたかった
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作家は自身の小説を売りたかった

2021-02-27 08:39

    何が悪い?と言うと面倒だが。

    見えている始まりとしては「グラディウス」のヒット、ではある。この結果、「クオリティ至上主義」と言うか、そう言うのが台頭してしまい、しかし、その多くが大破した、という結末がある。過剰と言うか…「ハードその物」まで改良?を要求する結果、そこに無理が出る訳だ、最終的には「出来ない事は出来ない」ので。

    人々の多くを駆り立て、徒労と損失を出してしまった、その責任は重くあって。
    それでも、そこに有る主張、それは反論し難い物として、そこに残った。

    ”良いモノ”さえ作れば認められるのである、つまり売れるのだ。

    それは次第に、人間の能力差に言及し始める時、不意に、そこに奈落がある。

    クオリティで言えば、「外部の人間の方が遥かにレベルは高い」のだ。
    何故、そっちを使わないのか?そこに居るだけの声のデカいヘタよりも数倍良い筈だ、それは捨てて、外部のそれを使うべきでは。

    売れる売れない、という視点が介入し始めると、これはより顕著になっていく、内部の、内輪では殆ど成果が出ない?と言う事態が到来し、その外に、”その役に”適任と言える能力を持った奴が出てくる。圧し圧せる「あなた、もういらないのでは」立場というか、上流市民?に付随する厄災みたいな物だ、そこに対して、或いは底辺層から支持されたグラディウスは、ちょっと暴走気味に成ってしまった、と言うのは或いは、ある。

    そしてそれはやがて、グラディウスその物へも向く訳だが。

    答えとしては、「需要に対して供給しない限りは誰であっても売れはしない」訳だが。
    「高いクオリティ」と言うのが、結論では「需要への合致」でしかない訳だ。
    ”それ”は目指せなかった、それもまた、思想的な極論の現実ではある。

    作家性、そう言うのが当時、やたらと、或いは今も、無視出来ないレベルで重い。

    「自分にはやりたい事が有るんです!」と言う理由で、会社に対して大損害を出しても良い様な、そんな方向性。
    結局?「グラディウス」にしろ、作者は「自分にとって」最良だったに過ぎない、訳で。その辺も、それを後ろから押してしまった、ろうか。

    それはいりません。

    「市場管理者」の、状況的に言っても、重い断言ではある。

    感覚がどうも、市場管理者優先に成っている…それは自覚はする。とは言え「仕事をしろ」と言う?その結果そこに有る「お客」その意向、というニュアンスには成る訳だが。クスィーガンダムが負け、ペーネロペーが勝った結果、本来なら?平成も、市場管理者の意向を優先せねばならなかった、が。平成はそれを無視して、ペーネロペーを否定し、クスィーガンダムで押し通してしまった、という過失は重く、無視出来ない損失と共にあって。

    ”そこ”に有るのは、単なる道理だ。
    ここは日本であり、日本には日本国民の要求がある。
    市場管理者とは、”それ”を汲んでいるに過ぎない。

    その時、そのゲームは「面白くない」と言う評価と共に捨てられていく。

    或いは高校生が、一生懸命に考えた物だったのに。

    その向こうで「虹色宝珠」が採用され評価された、かもしれない自分はこの時、何も言えないしかし。

    その憤りが、或いはその後の破綻のキーに成ったかもしれない訳だ。

    それは今も、微妙に燻っている。


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