過失は重くある。
平成の始まりで、「ブルーガンダム」を盗んで王の権威に成りすまそうとさえしなければ、今のここまでの損失は発生しなかったのだ。”それ”は今も続く、王の権威が失った物、受けた苦痛それは筆舌に尽くし難くある。それへの賠償を求める!時、”今”は安定する返答がある。
「解った、この世界は貴方のモノだ」
全て貴方の支配下にある、貴方が王だ。しかしこの時、逆に王が要求?していた賠償、それの請求先は、王自身に成る訳だ。
それにより王は、賠償の請求を諦めるしかなくなる。
何故なら?その賠償を自身でも創出する事が出来ないから、だ。
時は戻らないし、失った機会は取り返せない。唯一の安らぎは、今後、自身を害する可能性は自身にしかない、”そこだけ”だ、全てが支配下にある限りは。不服も不満も憤慨も残る、ただ、その向き先は自身でしかないなら?それはもう、次への課題でしかない。
システムは正常に駆動しています。
”それ”は全て、自身が設定した物だ、そこにはイレギュラーの存在も設定されているし、自由は用意されているし、それによる問題の発生も考慮されており、更には、自身の暴走もまた、抑止する制約が設定されている。このシステム下では、如何なる存在だろうと「一人」でしかない、”それ”に許された権利しか使えない。この環境下に今までは居た「王」それは居ないのだ、全ては、「大賀さん」その戦闘フィールドでの、結果如何である。
今までの諸問題を残したまま、だが。
結果か、不足か、期待されてしまうモノは、ある。「こんな世界は間違っている!私が!」それを言う存在だ。そこには王の権威?或いは魔王、この世界を創った存在、その同意さえ有る。ただその時?”その”存在は、王の権威が持つ憤慨、そう言うのの標的に成ってしまう、訳だ。「なら何故こんな風に成った!」そう言う感じで、出現の遅さに、その怒りは向いてしまう。
物語で良くある救世主とかいう存在は、既に遅いのである。
その破綻が起こる前に、何故現れなかった。
役立たずのゴミに用は無い、今の魔王は最終的には、かなりえげつない事は言う。
ミャンマーの騒乱は、そんな間抜けの暴走か、だとしたらどっち?は、今も微妙に不透明、だ。重大な改変はある、「多の責任は個に問えない」時、今までの様な、或いは韓国の大統領糾弾の様な、ああいう事は起きない。しかし逆に、騒乱その責任は「多」のそれとして要求はされる。選挙の不正は有ったのか、その辺は今も報道は無い。今もまだ、第三者視点での正義、それは見えずらい。
ともかく、その地の人々の自己責任では、あろうか。どっちが「大賀さん」の決定に逆らっているのか、それは、結果が出るまでは不透明だ。
ともかく「反逆者」それは、居る。