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平成の終わりと残る瓦礫の山
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平成の終わりと残る瓦礫の山

2021-03-09 08:47

    多分、それで正しいのだろう。

    貴方が求める「一時間の娯楽」を創る為に、貴方は「六時間は働かねばならない」のだ。貴方が求める三食の食事を得る為に、二時間働けば良いに対して、だ。そしてその一時間の娯楽を創る為に、現場の人々もまた、六時間は働かねばならない。

    求める環境、求める機材、求める服装、求める時間、そして、それに比する娯楽。
    貴方が楽しむ時間を創る為に、貴方は、八時間は働く必要がある。


    …と言う風に、現在の「マスコミ」その主張は変化はしている。責任を問われて、か、
    その権利?が負債毎”ここ”に移動しているから、だ。報道し、「で?」の先を求める場所。問題ある現状だ、早急に打開した方がいいし、それは好ましくない。それに対して、では、つまりどうすれば良いのか?「神の視点」から、納得し得る打開を伝えろ。

    平成の文化?は、”それ”に対して十分な返答、それは出来ずに終わった。


    良くも悪くも、「エヴァンゲリオン」それもめでたくか、完結、らしい。個人的には結局、「増尾昭一」と言う、初期から関わっていた演出家が亡くなっている時点で、どうも「失敗」と言う把握以外は出来ない感覚はある。今の理解では、”彼”がエヴァンゲリオンの作者、だ、良くも悪くも「黄昏の狩人」それを持ち込み、そこから始まり、そして。その人が居なくなったと言う事は作品もまた、終わったという…そう言う意味ではある。

    ”それまで”の経緯でのごたごたが、ちょっと残っていただけだ。
    ともかく平成の挑戦は、「無理でした」それで終わった、という…そう言う事だろう。

    それで言えば、最初の「エヴァンゲリオン劇場版」で、オチ、ではあり、そこでオチにしておけば、その後の悲痛は無かった、かもしれないのが、少し心残りだ。”盗品”で勝者に成る事は出来ない、そこで或いは返却、賠償、そう言う事が出来れば?しかし、それは結果論だ、当時はまだ、「ユダヤ教の王」それもまだ、強い影響力は残していた。

    「王の権威に負ける訳には行かない!如何なる犠牲を賭してもだ!」

    その決意は今も、何かの脅威を世界に残しては居る。
    だから今も、何かは微妙に、期待される方向には進んでいない。


    「マスコミ」も、意外と無力ではある。こうした方が良いでしょう、が言えるにしろ、”それ”を現場が拒絶したらそれは通らない、のだ。そして、自分もまた、”それ”をされたまま平成が終ってしまった、という現実は重くある。過失として世界は、”それ”を意識せざるを得ない状況は有るだろう、何もかも崩壊した様な世界にしたのは誰なのか、それは、自身らにしろ実感し得る失策の数々ではあり。

    それでも「ユダヤ教の王」その影は、相変わらず、歪んだ異様を残してはいる。

    犠牲は必要なのだ、最後に一人勝ち残れば良い!

    そして、全滅して行ったそんな様に対して、何を言うべきか。
    そして、それが崩壊させていった環境から、我々?はどうやって脱出するべきか。


    それでも、「ヒキニート」とか言うレッテルを問題視出来るのは、少しの変化だろうか。


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