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2013年2月第2週号
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2013年2月第2週号

2013-02-11 12:24
    週刊アゴラ メルマガ、第029号をお届けします。
    配信が遅れまして申し訳ございません。

    コンテンツ

    ・ニコ生で「アゴラチャンネル」が始まりました

    ・ゲーム産業の興亡(39)
    ソニー・コンピュータエンタテインメントが成功させた流通変革

    ・『財政破綻でもうける方法〜外資系金融の終わり〜エピローグ対談』
    藤沢数希氏×池田信夫
    最終章 民主主義の限界(その2)


    アゴラは一般からも広く投稿を募集しています。多くの一般投稿者が、毎日のように原稿を送ってきています。掲載される原稿も多くなってきました。当サイト掲載後なら、ご自身のブログなどとの二重投稿もかまいません。投稿希望の方は、テキストファイルを添付し、システム管理者まで電子メールでお送りください。ユニークで鋭い視点の原稿をお待ちしています http://bit.ly/za3N4I

    アゴラブックスは、あなたの原稿を電子書籍にして販売します。同時にペーパーバックとしてAmazon.comサイト上で紙の本も販売可能。自分の原稿がアマゾンでISBN付きの本になる! http://bit.ly/yaR5PK 自分の原稿を本にしてみませんか?



    ・ニコ生で「アゴラチャンネル」が始まりました。

    アゴラはニコ生に開設した「アゴラチャンネル」http://ch.nicovideo.jp/agoraにより、映像の配信やメルマガの発行を通じて読者の皆さまとの新しいコミュニケーションを作り出していこうと考えています。生放送の第一回の生放送は、先日2月9日に行いました。アゴラ研究所の池田信夫所長と、アスキー創業者で現在は尚美学園大学大学院教授の西和彦氏が「テレビの未来」について語り合ったのです。

    アゴラチャンネルの生放送のコンセプトは「気楽に」、そして「楽しく」。メディアに詳しい二人の話は多岐に渡り、そして興味深いものになりました。

    池田信夫は「この映像が流れているニコニコ生放送のように、誰でも手軽に映像を発信できる状況が産まれた。しかもメールや書き込みで、双方向のコミュニケーションが産まれる。この手軽さが、テレビの変化を生む」と期待を述べましたが、池田氏はNHKで記者・ディレクターの経験から「テレビの中の人は、今のテレビの形の枠から離れられない」と指摘しました。

    西氏はアスキーで、インターネット草創期に、出版、企業投資、サービスプロバイダーという多様な分野を融合させるビジネスを手がけました。「テレビは、他のサービスとの融合が遅れていた。映画のカラー化やデジタル化など、映像からメディアの変化は常に始まったのに、変化を日本のテレビは取り込めていない」と言います。そして、高画質を送る規格4Kや8K、さらにはテレビ配信などの新しい動きを通じて、ネットとの融合の可能性があると予想しました。

    池田によれば、NHKの動きが海外先進国のテレビ局、例えば英国BBC(英国放送協会:国営放送)と比べて遅すぎると言います。膨大なコンテンツと人材を持つNHKの動きが日本テレビ業界に影響を与えるのに、それが止まりがち。権利関係が複雑であることに加え、民放連が頑迷なことが一因、とも言います。民放連(日本民間放送)は全国で200社もありますが東京以外の小さな放送局が多い。これがNHKの進出に常に反対意見を述べて、自由な活動を妨げている、というわけです。「税金で活動している国営放送なのだから、共有財産としてコンテンツを使えばいいのに」と、池田氏は残念そうでした。

    また西氏はこうも語りました。「読売新聞の記事をクリックしたら、テレビ朝日の番組の紹介があるなんてことがあったらユーザーは使いやすい。コンテンツを囲い込むことで、日本のテレビも新聞もチャンスを逃しているよ。今ネットとか、映画とかいろんな面白いこととテレビは競争している。そして普通の人が自由に参加するようになった。こんな調子じゃ、テレビは選ばれない」。「できない」という思い込みや既得権益が、日本のテレビの可能性をつぶしているのでしょう。

    映像の配信が手軽に、そして自由に行えるようになっています。この手段は、これまでのテレビ、映像の姿を変えていくでしょう。アゴラは他のポータルサイトの転載を含めると、月500万ページビューの閲覧があり、新しい形のメディアとして成長しつつあります。この存在を活かしながら、読者の皆さまとともに、映像という新機軸にチャレンジしたいと考えています。

    ニコ生「アゴラチャンネル」は基本的に毎週金曜日、夜21時より無料で放送していきます。ぜひご試聴ください。

    (アゴラ編集部)



    特別寄稿:

    新 清士
    ゲーム・ジャーナリスト

    ゲーム産業の興亡(39)
    ソニー・コンピュータエンタテインメントが成功させた流通変革

    ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が、プレイステーション(PS)を登場させる際に行った重要なイノベーションのもう一つが、記憶媒体と流通システムの変革だ。

    2 任天堂時代のROMカセットによる流通システムをCD−ROMという新しい記憶媒体の特性を利用して簡素にし、「ゲーム流通のプロセス」をシンプルにした。

    PSによって任天堂に対抗する最大のポイントは、記憶媒体として、CD-ROMを利用することと、流通システムを再編することだった。基本的な、戦略は任天堂と同じだが、問屋のシステムをより整理し、シンプルな仕組みにした。そして、ゲームの価格を5800円に統一することで、ユーザーが買いやすい方式を作ったことで、日本のゲーム業界の黄金期とも言える90年代が生みだされた。

    小売店価格の5800円の構成は以下のような配分が一般的だった。

    ゲームメーカーの取り分 2000円
    CD-ROM製造コスト+ロイヤリティ 1000円
    卸マージン 1000円
    小売店マージン 1800円
    合計 5800円


    ・CD-ROMによる大容量化とSCEが収益を上げる仕組み

    CD-ROMは、データの記憶容量がROMカセットよりもはるかに大きい。540MBまで収納することができる。「ファイナルファンタジーIV」が6MBだったことを考えると、とてつもなく大きい。それにも関わらず生産コストは安く、製造にかかる時間も安い。

    PS向けのゲームは、任天堂と同じく、SCEが指定する工場で生産しなければならない。しかし、ROMカセットを製造する場合、数ヶ月かかるのに対して、CD-ROMは2週間でできるように製造期間を短縮することができた。そのため、店頭で商品が不足して、再生産が必要になった場合には、ゲーム会社は再度製造すればよい。
    SCEが収益を上げるのは、このCD-ROM製造コストの部分だ。CD-ROMの製造コストは言うまでもなく、1000円もしない。何十万枚と製造することができれば、その金額を数百円以下にまで落とすことができる。そのため、どのようなゲームであろうとゲームを生産すればするほど、利益が出るという仕組みだ。

    そのため、ゲームメーカーは多大な在庫リスクを背負って大量発注をしなくてもよく、また、商品の寿命を長くすることができる。実際、1996年のホラーアクションゲームの「バイオハザード」(カプコン)は何度も製造されたことによって、大ヒットに結びついていったケースだ。発売当初は14万本にすぎなかったのが、じわじわと売れ続け日本国内では119万枚にまで達している(全世界275万本)。PS時代でなければ、このシリーズはここまでの大ヒットに結びつかなかっただろう。
    また、SCEが小売店に直販する仕組みも作ったことで、流通のマージンを得ることもできた。これはソニー・ミュージックが、すでにCDの音楽配信によって確立していた仕組みだった。


    ・新しいルールがやがてゲームショップを追い詰める

    一方で、小売店(ゲームショップ)側が得られるマージンをスーパーファミコンよりも高く設定したことによって、SCEは小売店に新しいルールを要求した。「再販価格維持」と「中古品売買禁止」だ。スーパーファミコン時代に値上がりしたゲームを、中古販売によって売買する仕組みが急成長する。
    それを、CDと同じように価格設定を固定し、小売店に十分な利益を還元するという条件で、新しいゲームショップとの関係を結んだ。ピーク時には業界最大の400店舗のゲーム販売店のフランチャイズにまで成長したブルート等が参加したことで、SCEは決定的に有利な立場獲得した。小売店は、新品によってのみ収益を得るということをPS世代のスタート時には、当たり前にした。

    ただし、「返品不可」という既存の任天堂が取っていた仕組みは踏襲した。レコード業界では一般的には10%の返品ができるというルールになることに比べると、厳しい条件であった。そのため、SCEとゲーム会社は小売店にゲームを販売することができれば、どんなにダメなゲームであろうと収益を生みだす。在庫リスクを負うのは、すべて小売店になった。

    当初は、うまくいくように思えたシステムだったが、すぐに小売店には、人気のないゲームの在庫が残り始めた。それを値引きして販売することもできず、返品もできない。当然のように、ブルートのフランチャイズ加盟店のなかには業績を悪化させる店舗が次々に出るようになった。
    そのため、PS発売から2年後の、96年にはこの仕組みはほころびが出始め、98年にはフランチャイズ店は次々に脱落、ブルートは、99年3月に自己破産に至った。負債総額は80億円だった。小売店にとっては、5800円のゲームを10個発注したとすると、2個売れ残ればそのゲームは赤字に転落してしまう。
    それを値段も変えて販売できなければ、返品することもできない。在庫のみが積み上がっていき、追い詰められるゲーム販売店が出てくるのは当然のことで、SCEの仕組みは崩壊するのは当然だった。

    家庭用ゲーム機ビジネスは、ユーザーに向けて販売しているBtoCのビジネスのように見えるが、実際はBtoBのビジネスだ。そのため、長い間、家庭用ゲーム機会社は直接ユーザーと向き合う必要がなかった。それは10年後に、ブロードバンド回線が一般的になり、BtoCのビジネスモデルが成り立つようになるオンラインゲームや、ソーシャルゲームが登場できる環境を整えていく。


    □ご意見、ご質問をお送り下さい。すべてのご質問に答えることはできないかもしれませんが、できる範囲でメルマガの中でお答えしていきたいと思っています。連絡先は、sakugetu@gmail.com です。「新清士オフィシャルブログ」http://blog.livedoor.jp/kiyoshi_shin/ も、ご参照いただければ幸いです。

    新 清士(しん きよし)
    ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
    Twitter ID: kiyoshi_shin


    ※今週より全3回で経済・環境ジャーナリスト、石井孝明氏による論考を連載します。

    「資産1兆円を持った男の見た世界=バブル紳士佐佐木吉之助の思い出1」

    経済ジャーナリスト 石井孝明

    安倍政権の誕生で金融市場が活況だ。その先行きなど誰も完全に予想できないが、安倍バブルが過熱する可能性がある。しかし金融市場で過去の経験はすぐに忘れられてしまう。過去のバブルを振り返ることで、失敗の教訓を得る事ができるだろう。

    カネが乱舞した1980年代末のバブルと崩壊。その課程の中でひときわ目立つ人物がいた。桃源社社長、佐々木吉之助だ。佐々木が全株を保有する桃源社は、バブル期に都心部で自社ビルを次々と建設。その保有数は一時145棟になった。1987年にはJR鎌田駅前の旧国鉄跡地を約657円で買収。1989年の米経済誌『フォーブス』の調査では資産約1兆円となり、世界の億万長者番付で一時12位となった。

    バブル崩壊後は政府への批判を繰り返し、住専(住宅金融専門公社)の大口借り手として世の批判を一心に受けた。そして2011年11月にひっそりと亡くなったという。享年79歳だった。

    ・「あなたは何のために1兆円を稼いだのか」

    「あなたは何のために1兆円を稼いだのか」。彼を題材にしようとしてノンフィクション作家の佐野真一が彼に取材を続け、こんなことを聞いたそうだ。誰でも、この疑問を彼に抱くだろう。

    佐佐木氏は佐野がしつこかったので嫌いだったそうだ。そこで「分かんねえよ」と、つっけんどんな態度で答えた。佐野は佐佐木に怒り、取材を止めてしまった。

    しかし「この答え本心なんだ。何で金持ちになったのか。そして資産を全部なくしたのか。自分でもよくわかんないんだ」と話していた。

    彼はバブルの時代に、また資産を失ったときに何を考えたのか。読者の皆さまも、今後の私も「資産1兆円を持ち、なくした男」に出会う可能性は少ないだろう。私の解釈を加えずに、彼のユニークな言葉を再録してみる。

    ・下手な商売をみるとどうにかしたくなる

    筆者があったのは、2005年から08年にかけてだ。そのとき、黒々と染めた髪に、つややかな肌をしていた。東京六本木であった佐々木吉之助は70歳代に見えない若々しさだった。柔らかな物腰と、物静かな雰囲気を漂わせる。しかし、話し始めると激しい言葉が飛び出した。2005年ごろは日本の地価が底打ちして、東京の不動産が活況になっていたときだ。

    「俺に今、500億円あったら、日本を面白く改造できると思うね。今の不動産屋の下手な商売をみてると、どうにかしたくなる。ほとんど引退しているけれど、多少は現実への色気はあるからね」

    当時、佐佐木の持っていたのだろうか。そして追求された責任はどうなったのだろうか。一時、住専(住宅専門金融会社)やノンバンクから一時5000億円以上の借り入れがあった。

    「資産はみんな消えちゃった。桃源社は145の不動産物件をすべて処分したからね。「どの程度の負債が残っているかといつも聞かれるけれど、「霧の中」ということにしていてください。ふっふっふ。あんなにマスコミに叩かれたのに、桃源社は倒産しなかった。いろいろとしがらみもあるんで、潰したがらない人もいる。潰すことになったら、私は見てきたことを洗いざらい話すつもりだから、困る人もいるんだろうね」

    当時は一時的に活況にあった不動産ビジネスで、佐佐木は再活動しようか、考えていたようだった。

    「頭にいろいろとアイデアが回っているけど、面倒になった。寄る年波にも勝てないしね。人間もつまらなくなったんだよ。あのバブルの時代に、俺にすり寄ってきたのはカネの亡者ばかりだった。株取引疑惑で自殺した(編集注・1998年)代議士の新井将敬もちょっかいを出してきた。彼のレベルはかわいいワル。闇の世界から政治家まで「化け物」が寄ってきた。そういうのは大嫌いだけど、面白がってみてもいた。

    今の不動産業者や金融、行政、RCC(整理回収機構)の奴らは「生き物」という感じがしない。刹那的で経産高くて、感情がない。カネのことしか考えない。いたわりの心や人間らしい“惻隠の情”がないんだね。昔から不動産の仕事は嫌だったけれど、今はもっと嫌いになった。

    それに何ですか。リスクを取らずに人のカネを利用しようとしている奴らが跋扈している。ライブドア社長の堀江貴文(編集注・インタビュー当時)なんてその典型だよ。彼をヒーロー扱いするなんて片腹いたいね。奴は外資のカネを使って踊っただけでしょう。

    自分のカネでリスクを取らないで、何が商売なのか。情けないねえ。でも日本では自分で全部リスクを背負い込むと、個人攻撃されて、私のように銀行やゼネコンや国に資産を盗まれてしまうからねえ」

    もし不動産ビジネスをするならば、佐佐木はどのような不動産ビジネスを手がけるのだろうか。

    「日本の夜は面白くない。六本木は知り尽くしているが、夜の8時をすぎると、飲み屋以外は人の流れが減る。六本木ヒルズや汐留のようなところは、特に人がいなくなる。イベントを増やして祝祭のような場を増やさなければダメなんだよ。不動産の商売のコツは人が集まり続ける場所をつくること。そうすればカネが落ち続ける。

    酒、うまい食い物、威勢、華やかさ、最先端の流行をそろえた場所に人は集まる。これは古今東西変らない。人がワクワクする場所をつくればいい。私は夜遊びが嫌いだけれど、いろいろ海外の街を研究したよ。外国の繁華街にはカジノが必ずある。日本にもつくれば、町は活性化するよ。クラブやキャバレーも人を引き付けるよね。

    そういう「装置」をおいたとしても注意深くコントロールすれば、街の風格を下品にせずに済む。経営者の断固たる意志があれば、「闇」の勢力も排除できるしね。私は実際、排除したから」

    (次号へ続く・全3回)

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