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【三國志秘話】徐氏
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【三國志秘話】徐氏

2014-08-29 02:06


    「俺の妻になれ」
     と、孫翊さまは告げた。

     私は目を瞬いた。

     市中、人々行き交う道に占い道具をならべて商売をする占い師になにをいっているのかわかっておられるのだろうか?

     孫翊さまはこの中国、江東の覇王となられる、孫策さまの弟で今年十五歳。まだ子供で気のきいた言葉を知らない、彼なりの愛の告白だったのだろう。お顔はキリリとして鼻梁はとおり、意志の強さがある。告白なさって今は頬が赤い。

     私はその言葉が飲み込めなくてしばらく呆然としていたけれど、ユックリと飲み込めて、次第に胸が高まった。

     孫翊さまと私は幼馴染みみたいなものだ。

     私も彼を兄のように慕っていたし、そういわれて、嬉しくないはずがない。

     けれど気持ちと裏腹、首を横に振った。

    「どうしてだ?」

     断るとは思わなかったのだろう。

     とたん、彼は子犬のように頼り無げな顔になり、
    「やっぱり兄上みたいな、強くて美形が好みなのだろうか?」
     そう寂しげに訊ねる。
     私はかわいいなぁ、と笑みをこぼしながら、いう。

    「……、……それなりの手順というものがありますでしょう? 結婚は親同士が決めなくてはなりませんし、第一私には親がいません。
     それに私は易占い師。皆に『野合の婚』だとうわさだてられ、御家にも傷がつきます」

     野合というのは身分違いの結婚を指す。

     そう、私たち身分違い。
     占い師は世間から低くみられ、馬鹿にされている。

     昨日だって、易占いをして、意に適わぬ結果が出たことに腹をたて占い道具をすべて蹴り散らかした者だっているのだから。

    「身分が違いすぎます。だから……残念ですけれど、一緒にはなれない。妾と言う立場もいやだし、それなら、貧しくても釣り合う人のほうがいいし……」
     そういってる自分がなんだか、惨めになってきた。
      本当は一緒に居られるということだけで幸せのはずなのに、妾でもいいとおもっていたのに、けれど……。

     私にはこの人の未来を少し見ることができた。

      この人はきっと……。

     私は突然わいた不安に下唇をかみしめて黙り込んで俯いた。

     けれどその不安を払拭するような明るい声でいった。

    「なあに、孫家のものがそんなことにこだわるとおもっているのか?」

     孫翊さまはニッとわらって、私の手をとった。

    「徐華、俺は気にしない。身分がなんだ、俺たちの前には関係ないだろう?」

    「孫翊さま?」

    「俺の妻になれ。……そなたは美しい……頭もいいし、その、なにより、ええっと……」
    彼はだめ押しのつもりで美辞麗句をいって口説いているつもりだが、自分ではあわないと思ったらしくて、

    「好きだ! それでいいだろうっ!」

     市中にさけぶようにして、私をだきしめた。

     私は孫翊さまの妻になった。

       2

     建安五年。

     雨が激しく降る。
     日頃春麗らかな気候を覆すような雨だ。
     そんな日だった。
     報せが届いたのは。
    「兄上が亡くなった……?」

     そんなばかな……。

     そう呟いて孫翊さまは蒼白な顔をし、その場にへたり込んだ。

     突然の兄の死……。

     江東四郡を制覇し、小覇王とあだなされた男の呆気ない死。――享年二十六歳。

     北の勇・曹操に密通した男を御母さまが止めるのも聴かずに殺し、その結果。狩りをしていた孫策さまは狙われ恨みの毒矢で射られた。

     それはあまりにも勇者としては呆気ない。
     孫翊さまは呆然と信じられないと何度も呟きなさる。

    「だって兄上は、兄上は……この戦乱をおさめ父上の夢、われらが夢を背負っていたのに……これから、これからだというのに、どうしてっ」
    「あなた…」
     私は孫翊さまをだきしめた。
     その悲しみは見ていてつらい。
     あまりにも。とても尊敬していた孫策さまが夭折なさってしまったのだ。
     しばらく孫翊さまは声を押し殺すように泣いたけれど、何かに気づいたように私の顔をみた。

    「そなた、未来がわかると申していた……」
    「はい…」
    「なぜ、占いをして兄に忠告しなかった……そうすれば、兄上は死ななかったかもしれないのに……」
    「義兄上さまの死は『時の犧』。とても察せられなかった」
    「時の犧だと……?」

     不快に聞き返す。
     私は頷き、
    「時は覇者を飲み込みます。新たな渦として、終わりなき渦を生み出すためにのみこまれてしまうのです。それはいつ起こるかわからない……キャッ!」
     とたん、孫翊さまは私を突き飛ばして、見下した。
     それは私に対しての嫌悪の眼差し。
    「時の犧で死ぬとはあんまりの事ではないのか! 父・孫堅も兄上と同じように亡くなられたっ、天は我ら孫家を見放したのか! 俺は信じんっ、――信じられるか!」
      そう叫び踵を返す。
     私は不安になってよびかける、けれど孫翊さまは後ろめたそうに私をみた。
     先ほどの憎しみではなく、悲しみに……。
    「あなた…?」

    「……お前の言葉も信じない……」

      私は夫の背を見つめ震える唇をかんだ。
      泣いてはいけない。孫翊さまはとても辛いのだ。私が占っていれば、もしかしたら孫策さまは死ななかったのかもしれない。

     けれどあの御方のこと。
     忠告しても信じてくらさりはしなかったに違いない。

     結局、運命は自分で動かすもの。

     切り開くもの。

     それは私が良く知ってる……。

     孫翊さまは孫策さまにとてもよくにていらっしゃる。
     同じ運命を辿らぬよう……私はいるのだ。

      3

     いやな雲……雨ふりそう…。

     私は湿気を含んだ風に触れ、肩をだいた。
     不安が渦巻く。とても。
     孫策さまの死から三年、孫策さま亡きあとと継いだの次兄の孫権さま。

     孫翊さまは丹陽太守になられた。

     私は子供の手をひいて孫翊さまを見送りに出た。
     今日は宴があるらしいのだ。
    「いってくる。遅くなるかもしれないが、……よろしくたのむぞ」

     孫翊さまはあやしていた幼い娘を私に託して、逞しい青影にのり、そう私たちに言った。

     孫策さまが死んで以来夫婦仲が拗れていたけれど最近では兄の死に落ち着いてきたのだろう、以前のように私たちは愛を語らうことが、出来るようになり、子供も二人授かった。

     けれど。

    「あなた、今日は出かけないでくださりませ……」
    「なぜだ?」

     孫翊さまは馬をおりて、私のそばにより、
    「寂しいのか……?」

     ニッと子供のような笑顔をむけて訊ねる。

    「行かないでほしい」
    「めずらしい。おまえが可愛いところをみせるとは」

     ギュと抱き寄せて、孫翊さまは私の耳朶にささやく。

    「愛してる……」

     それだけ、ささやくと、サッ、と再び馬上の人となった。
     するとそこにあった温もりが、かき消える。

     ……なくなる? いやっ!

    「待ってくださいあなたっ、」

     私は叫んでいた。

     声音に悲鳴が混じっていたのかもしれない。おどろいて孫翊さまはこちらを振り向く。

    「どうしたのだ、いったい?」
    「……今日占いましたところ死宮がでました。よくないことが起こります。どうか、どうか、お気をつけて……」
    「またか……」
    孫翊さまは不敵な笑みをうかべ、
    「占いなど断ち切ってやる。そして必ず徐華のもとにかえってくる!」
    宣言するや馬腹をけり、駆け出した。

    「あなた…」

    「徐夫人、どうなさいました?」

     皆は慌ただしく、孫翊さまを追いかける。
     けれど、孫河さまだけが私の青ざめた表情をみて声をかけてこられた。

     孫河さまは先々代孫堅さま、先代孫策さまの側近であった方。
     いまは孫翊さまの信頼厚い側近。

     私は涙零しながら懇願した。

     自分でもわからない。
     なにに悲鳴をあげたいのか。

     未だ見ぬ、未来に……か。

    「孫河さま……どうか孫翊さまを」

    「孫翊さまを?」
    「今日占ったのですが、あの人の運命が死を示したのです。けれど回避できれば変わるものです。ですから……どうか、どうか、あの人を助けてください」

     孫河さまは一瞬驚愕な表情をうかべ、けれど、次には力強くうなずく。

    「承知いたしました。……私も三度とおなじ後悔はしたくはない。かならずやこの命に変えましてもお守り致します」

     その夜、孫翊さまの声が聞こえたような気がした。
     空耳だったのか、それとも……。
     不安に身体をかき抱いた。

     ★☆★

     視界は赤い。

     それは俺の血なのか、それとも部下の血なのだろうか。
     みな、床に転げ赤い血を流している。
     こと切れたのだろうか……。
     俺を守ろうとした、孫河も。

     情けない、

     俺は……なぜ徐華の言葉を信じてやれなかったのだろう。
     もっと気をつけていれば……。

    「そういえば孫翊の奥方は才色兼備だといた。一度この腕に抱きたいものよの……」
    その言葉を聴いたとき激しい憤りがおきた。


     殺してやる!

     せめて、せめて、こいつを殺さなくては。

    「うおおぉっ!」

     最後の力を振り絞って、やつの衣を、引き掴み手に持っていた剣を振り上げた。

     4

     二十の若さっだった。

     宴席で酔っていた孫翊さまは部下の辺洪に殺された。孫河さま守り抜いてくれたけれど不意打ちにあい…。

     けれど、その辺洪も結局は操られていた。

     碕覧と戴員という者たちに。

     二人は孫翊さまに恨みを持っていた。
     孫翊さまは酒癖が悪くて度が過ぎると何をしでかすか分からない所がある。
     そのことで恨みを持ち、打つことを決行したのだろう。
     孫権さまは今、父・孫堅さまの仇である黄祖の討伐指揮をとられていない。

     そして周瑜さまは予章平定を手かげられている。

     薄手になっている今を狙ったのだろう。

     いまだ、孫権さま周瑜さまに孫翊さまの死は知られていないだろう。
     たとえ、報せが届いても軍を動かせる状況ではない。
     私は決意した。
     どんなことがあろうとこの手で復讐してやると……。

      5

     碕覧の横柄ぶりには目にあまるものがあった。

     孫翊さまが治めておられた丹陽を占領し逆らうものは殺された。そして女官たちを我がものとする始末。

     私は喪にきしていた。

     白い衣を着、いつものように夫の冥福を祈り、誓う。
     そんなある日、孫高が同じく喪服を身にまとい知らせた。

    「夫人、奴がきたようです」
    「通しなさい」

     私は孫翊さまの位牌に拝みながらそういった。
     孫高は驚きに目を見張ったよ羽だけど、私の瞳をみて察したのか一礼して踵を返す。
     孫高は孫河さまの息子。あの二人にたいして深い恨みを持っている。本当はその場で殺したいのだろう。
     しかし、孫翊さまを殺したのは辺洪と、奴らは孫権さまに知らせたのだ。
     辺洪を死刑にして丹陽太守の任についた。

     悔しいけれど無闇に殺してはだめだ。
     それに夫の恨みは自分で晴らしたい。

     通された碕覧は卑しい笑いを浮かべ私を眺め、近寄った。

     中年の太りすぎた男だ。
     頬には孫翊さまを助けようとして、辺洪に切られたという傷か今も生々しく残っている。
     けれど、それは孫翊さまが最期の力を振り絞って切り付けたあとなのだろう。
     無念がわきあがりこの場で殺してやりたい衝動をきつくおさえた。
     碕覧はあごひげを指で撫ぜながら、私をいやらしい目で眺めた。
    「たしか、徐夫人はまだ十八だときいたが……孫翊さまに若くして先立たれ寂しかろう。私が慰めてあげましょうか?」

     げびた笑い声をうかべ近寄り、ヒビの入った手で、身体を触ろうとするのを巧みにさけて、私は妖艶に微笑んだ。

    「今は喪中の身です。……けれど、あなたが言うように私は寂しい。夫とは愛も冷めきっておりました。知っていますでしょう? 小覇王さまの死を予言為さらなかったことに怒り、私をきらい妾と情をかわしておられたのを。私はずっとひとりで寂しかった……」
    「夫人……」
    「喪があけたら……私はあなたのものになると約束しましょう」

     妖艶に微笑んでやった。

     そして、もう一人、戴員も同じように誘う。その夜、私は孫翊さまの腹心をよんだ。
    「傅嬰、孫高。黄祖討伐に出撃なさってる孫権さまに事の真相を伝えるのです。必ず喪があける前に帰ってくるのです」
    「ハッ、」
     二人は深く拝礼して早速出てゆく。

     あなた。

     あなたの無念、私が晴らしてみせますわ。

      6

     月の終わり、私は祭壇をもうけ法事をすませた。
     激しい雨が屋根を打ちつけている。
     時折雷鳴も聞こえた。

     決行の時。仇をこの手で。

     喪服を脱ぎ、身体を清め、香をたきしめたきらびやかな衣を纏った。

     不安に心臓が早鐘打つ。

     まだ、傅嬰と孫高は帰ってきてない。
     それも不安要素になっているのもたしか。

     けれど、

     うまく行くのだろうか?

     それがある。

     いまのところ、あの二人を宴の席でもてなしているれれど、警戒しているかもしれない。
     私は別間に移動し、いつでもあの二人を殺せる準備をした。

     ヒ首を枕に下にかくした。

     そして相手が来るまで時間があったので寝台に隠しておいた重みのある剣をとりだして眺めた。

     剣は孫翊さまの形見。

     この剣で。
     私は考え深く剣を見つめていた時だ、慌ただしくなった気配にとっさに剣を隠し、緊張する。
    「お前たちはここでまっておれ」
    「しかし……」
    「あんずるな、ここにおるのは約をかわした女だけだ」

     碕覧が来た。

     私は身かまえ、大きく深呼吸をした。
     そして横柄な態度で現われた碕覧を出迎えた。
    「ようこそ、おいでになられました……碕覧さま……」
     ふふ、と妖艶に微笑んで寝台に横たえ碕覧をさそう。
    「夫人、わしはまったぞ、この時を、この腕に抱く時をな……」
     碕覧は私を抱きしめた。いやらしく触る手つき。
     気味悪さをが我慢し、おもむろにヒ首を抜き取る。
     耳元で、できるだけ甘く切なく呟いた。
    「死んでくださりませ」
     ヒ首を首に突き刺そうと振り上げる。

    「!」

     けれどその手を抑えられてしまった。
    「そう易々とつかまると思っていたか? 徐氏よ……」
     私が驚愕しているとわかると嘲りの笑みを浮かべた。
    「わしをおびき寄せて、夫の無念を晴らそうという魂胆はお見通しなのだ。……お前を最期までよんでいたぞ孫翊は。
     徐華、徐華と…。お前がわしを呼びよせて、夫に愛を感じてないと言ったとき嘘だとわかった」
     そういって、衣を脱がせようと手が服にかかる。
     その時。
     赤いしぶきが目の前で散った。

      7

    「夫人、遅れて申し訳ございません……手こずってしまい……」
    「いいえ、好機でした」

     私は畏まる二人に微笑む。
     私が犯されそうになる寸前、孫高が碕覧の身体をひと突きしたのだ。
     碕覧は呆気なくこと切れ、私にもたれた。私の服には赤々とした鮮血がぬられている。
    「孫権さまは至急、こちらに参られるそうです」
     傅嬰は、孫権さまに真実を無事に伝えたようだ。

    「そうですか、……では」

     私はすでにこと切れた碕覧の髪を掴んで、寝台の下に隠しておいた剣を取り出し、首をはねた。
     血が顔にかかる。

     ごろんと首が落ちた。
     すでにこと切れているので、しぶきはあまりとばなかったが。
     孫高と傅嬰は大きく目を見張った。
     まさか、首をはねるとは思わなかったのだろう。

    「夫人……」
    「夫人の手を汚さずとも、われらが……」
    「仇をとりたいの」
     あの人の仇を、あの人の運命を断ち切った者たちを同じように私が断ち切るのだ。

     いやそれ以上のことを。

    「戴員をつれてきなさい」
     今度は手間をとらずにおわった。
     戴員は、私が微笑み碕覧の首を持っていたことにおどろいて腰を抜かしたところを二人に斬らせ、私は同じように首を斬った。
     そのあと孫高と傅嬰に二人の一族を誅殺するよう命じた。

      8

     軍を引き連れて駆けつけた孫権さまを、私たちは喪服に身をまといむかえた。

    「信じられん、そなたが仇をとったと申すのか」

     孫権さまは仇うちに活躍した孫高と傅嬰を牙門将に任命し、私に向き直る。
    「徐夫人よ、よくやってくれた。貴女の身はこの孫権が保証する。我が家で不自由ない暮らしをするがいい」
    「はい……」
    「しかし、女の身でよく孫翊の仇をとったな」
     哀れむような視線を否定して私は軽く頭をふって微笑む。
    「いいえ、あの人の運命を断ち切った者たちに復讐ができて……うれしゅうございます」

     狂喜的な笑みだったのだろうか、孫権さまはしばらく声を発せられずにいたけれど、わたしが手に持っていた包みを目にとめた。

    「そ、そうか……ところで、その包みは何なのだ?」
    「首です。夫の墓にお供えをするのです」
     私は包みを抱えてその場を出てゆく。
     孫権さまは渇いた唇を嘗めたようだった。


      9

     わかっていた。

     こうなることは。
     あなたの運命、あなたの最期。
     でも私は幸せをとった。
     あなたと一緒になれなくて悔やむ人生と、たとえ短い間でも幸せの時がつくれる人生とでは、すごく違う。たとえ、短い間でも好きな人のそばにいられることは幸せだもの。

     それにあなたの運命を変えたかった。
     でもできなかった。
     あなたの運命を変えることを。
    「だから、せめてあなたの仇は私がとりたかった」
     頬に熱いものが流れる。
     頬にふれた。

     ……涙。

     そのとき初めて涙があふれた。
     殺されたと報せを受けたときも、あなたを思う喪のときも、涙を零さなかったのに。
     このとき初めて涙が出た。
     涙が微風(かぜ)に拭われる。
     それは孫翊さまが私の涙を拭き取ってつつみ込んでくれるような風だ。


     愛してる。


     ささやかで愛しい風は私を包み過ぎ去った。
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