琴葉探偵事務所 ~生命を吸う氷~
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

琴葉探偵事務所 ~生命を吸う氷~

2019-01-22 01:24

     朝の陽光は寝起きで覚醒の浅い人にとっては眩しすぎる。
     コーヒー の注がれたカップを片手に、太陽光の差し込む窓の外に顔を向ける青髪の少女――探偵を生業とする琴葉葵は鬱陶しそうに眉を潜めながら、外の様子を眺めていた。
     ぼんやりとしたまま朝食を口に詰め込んだせいで、どうもお腹の具合がよろしくない。バターを塗ったパンを一枚食べただけだというのに、外食で調子に乗って余分に一品頼んでしまったような状態だ。
     きっとそれらのせいだろう。眩しい外に目を向ければ眩しいというのは当たり前なのに、それで思い通りに視界を確保できない事に腹が立った。
    「…………ん」
     気分を切り替えようと、一口、コーヒーを口に含み、ふぅ、と息をつく。
     芳醇な香りとコクのある苦味が、心の揺れを収めてくれる。
     どうやら、ようやく眠気を撃退したようであった。
    「なあ葵ー、今日は何するんや?」
     そんな葵の背中に声を掛けたのは、黒い革張りのソファに座り、フルーツジュースの入ったコップを仰ぐ少女――琴葉茜だ。
     髪色以外は葵と容姿が瓜二つである。
     葵のボディーガード兼冒険家を名乗る茜は、探偵らしく地道な調査や推理といった仕事よりも、お宝探しや探検が大好きだった。
    「今抱えてる急ぎの依頼は無いし、事務的な仕事を進めるつもりだよ……凄く溜まってるし」
     葵は振り返る。入り口正面奥に構える席の上に積み重なった紙の束を見て、ため息をついた。
     事務所は一つの部屋で完結していて、全体的に木製、革の家具で纏められていて、静かでアンティークな印象を与えるデザインだ。
     ここにコーヒーの香りが合わされば、穏やかに時間が流れる紳士淑女好みの空間になり、レイアウト等を担当した葵はいたく満足している。
     茜も紙でできたタワーのてっぺんをソファから見上げ、呟く。
    「……ウチも手伝おか?」
     葵はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。カップを偶然、机に置いていなければ今頃は落として割っていた。
    「ま、まさかお姉ちゃんが事務仕事を率先して手伝ってくれるなんて……。熱でもあるんじゃ?」
    「あるかい! さすがに溜まり具合がヤバそうやから手伝わんとなって思っただけや」
    「そもそもの原因はお姉ちゃんが突然依頼を受けて持ってくるからなんだけど」
     茜は口笛を吹いて目をそらす。話題を変換しようと紙を適当な厚みだけ取って、パラパラと紙面を眺める。茜にはさっぱり内容が分からない。
    「──こんなん、ちょっとくらいサボってもバレへんのちゃう?」
     葵はボフンと席に座り、準備を進めながら、言う。
    「その気になればできるかもね? でもバレたら警察が来て、この事務所は一瞬にして崩壊するけど」
    「うぅ……もう誰か雇おうや、こんなん終わらんて」
     茜は弱気にぼそりと言って、葵から紙の束を受け取った。
     葵は清々しい笑みを浮かべ、言う。
    「そんなお金あるわけないでしょ」
     やばい怒った、と茜は目を逸らす。紙を来客用の机に置き、とりあえず仕事の準備を進める。 息をつき、一番上の紙を手に、内容を確認する。
    「……は?」
     そして驚愕した。
    「な、なあ葵────これ、締め切りが昨日なんやけど」
     葵はガタンと立ち上がる。
    「えっ、嘘!?」
     バタバタと茜の背後に回り、内容を確認する。
     サーッ、と顔が青ざめていく。
    「これ、警察に出さなきゃいけない資料だ……どうしよ……」
     茜がなんとか励まそうとしたその時だった。
     ドン、と勢いよく事務所の扉が無造作に開かれる。
    「琴葉葵は居るか!」
     入ってきた途端に大声を上げたのは、黒いスーツ姿の大男だった。
     見るからに警察関係者である。
    「ひゃあ!?」
     何て最悪のタイミングだろう。葵は心臓が張り裂けそうになり、堪らず悲鳴を上げた。
    「ちょ、ちょっと警部補落ち着いてください、驚かせてしまってますよ」
     その後、大男に続いて申し訳なさそうに肩を縮めて姿を見せたのは、巡査、結月ゆかりだった。
     ごめんなさい、と二人に向けて両手を合わせ、必死にジェスチャーをしている。
     京治、と呼ばれた大男はゆかりの発言を無視して、葵を見据える。
    「青髪の娘……お前だな、琴葉葵っていうのは」
    「は、はい……」
     葵はぐるぐると頭の中が混乱していた。
     ──え、もう締め切り遅れたこれのことを把握したの? どうしよう、何をされるんだろう……もしかして廃業とかだったりしたら……。
    「へ、ゆかりさん? てことはこの人警察か?」
     茜が首を傾げる。大男は言う。
    「俺はロイドボイス警察の……魔法犯罪とりしま――ええと何だったか、まあいい、とにかく、俺は結月ゆかりの上司だ!」
    「ロイドボイス警察、魔法犯罪取締課の警部補、京治さんです」
     ゆかりが後ろから完璧なフォローをする。京治は渋い表情でちらりと振り返り、すぐに葵に向き直る。
    「今日は琴葉葵、お前に聞きたいことがある」
     ドキ、葵の心臓は飛び跳ねる。不格好な笑みを作り、言う。
    「な、何でしょう……」
    「単刀直入に聞く。──お前、最近ロイドボイス辺境の村を襲ったな?」
    「…………」
     葵はキョトンと黙り込み、やがて、口を開く。
    「あ、あれ? 京治さんはこの資料の提出が遅れていることで何か言いに来たんじゃ……?」
     京治は眉をぐにゃりと曲げる。
    「はぁ? どういうことだ……」
     ずけずけと無遠慮に事務所に入り、葵の持っていた紙面を奪い取る。
    「──ああ、解決した内容の報告書か。こんなもん遅れても構わん」
    「え、そうなんですか?」
     葵の心境に光明が差す。思わず笑顔になった。
     慌ててゆかりが京治の背後から言う。
    「構わなくはないですよ!? そんなこと言ってると事務の人にまた怒られ──」
    「うるせぇ! そんなことより、質問に答えろ」
     京治は葵に紙を返して、言った。
     葵と茜は二人、あるゆかりの発言を思い出す。

     ──もう、私の上司には懲り懲りですよ……。グループのまとめ役だというのに率先して動いては部下を引っ掻き回すし、外部や上の人に対しても遠慮のない、というか敬意の欠片も感じない態度で接するし、ずっとヒヤヒヤさせられて疲れましたよ私は! まあ、到底真似できない行動力とか、警察としては尊敬していますけどね……。

     夕食を一緒に食べた時に聞いた言葉だった。
     ああ、あれはこの人の事を言っていたのだな、と葵と茜は察し、哀れみを覚えた。
     二人はこれまでも警察と関わることが多少はあったが、大体はゆかりが窓口になり、一人で完結することが大半だったので、こうしてゆかり以外の警察関係者と話すのは珍しいことであった。
     葵は首を振る。
    「全然何を言っているのかよく分かりませんが、私は村を襲ったりなんてしていませんよ」
    「そもそも何で葵を疑ってるん?」
     茜は尋ねた。
     京治は低い声で、言う。
    「丁度二週間前だ。ロイドボイスの南の端っこにある小さな村が突然、氷に飲み込まれた」
     葵は目を細める。
    「氷に村全体が? 初めて聞きました、どうしてそんな大きな出来事が私の耳に入ってこないんですか?」
    「内容が内容だ、一般人に知れ渡ればパニックになりかねないと上が判断したんだろうな、情報は規制されているから、新聞とかには載らねぇ」
     ゆかりが概要を説明する。
    「南の小さな農村でした。二週間前、隣の村の住人が見に行ったところ……その現場を目撃したようです。特異なのは、何時まで経っても氷が解けないことと、その氷を魔法で破壊していったのですが、村人は誰も発見できなかったことです」
    「つまり……消えたってことだ。警察は村人の姿を探したが、完全に消え失せた」
    「はぁ、要は氷が使われているから私が疑われた、ということですか」
     葵は呆れた表情でゆかりに目を合わせた。
     ゆかりは小刻みに首を横に振る。
    「私じゃないですって! 葵さんを疑っているのはこの人です!!」
     葵は京治の顔を見上げる。決してふざけている様子ではない。
     ため息をつき、葵は自分の机に回り込み、ガサガサと棚を漁る。
    「──あったあった。これ、汽車の切符です。二週間前はそもそもロイドボイスに居ませんでしたよ、仕事で北の方に行ってました」
     京治はまた乱暴に葵の手からそれを奪い取り、じぃ、と確認する。
    「……確かに、そうみたいだな」
     葵は肩をすくめる。
    「分かっていただけましたか? 話が終わったのならお引き取り下さい、忙しいので」
     例の報告書が遅れている今、警察関係者が近くに居る状況はすぐに解消したかった。
     京治はニヤリと笑みを作り、言う。
    「いいやまだだ。お前が犯人でないなら、次はこうなる──琴葉探偵事務所に、この事件の調査を依頼したい」
     葵と茜は、「そう来るか」と言いたげに目を丸くした。
    「こりゃまた、厄介そうな依頼やな」
    「え!? そんな話聞いてないですよ! そもそも報酬はどこから……」
     京治は手でゆかりを払うような動きを見せ、顔をしかめる。
    「うるせえうるせえ、金くらい最悪俺が出せばいい話だろ。ハッキリ言って、俺たち警察はこの事件の調査に行き詰まってる。恥ずかしい話だが、犯人の目星すら付けらえてねぇ。だから、なんだ、その……」
    「…………」
     言葉に迷う京治に、葵が救いの手を差し伸べる。
    「お客さんでしたか、それでしたらおもてなしをしないと。さあ、ソファにお座りください。コーヒーをお出ししますよ」
    「お、おう……すまない」
    「ありがとうございます、葵さん」
     ゆかりが頭を下げると、葵は憐みからか、苦笑を浮かべた。
     台所へ向かう際、くるりと振り返る。
    「あ、お姉ちゃん机の上片づけておいて。事務仕事は一旦後回しにしよう」
    「よっしゃ任せい!」
     茜は心底から京治とゆかりに感謝して、喜々として机の上を綺麗に整えるのだった。


     葵がコーヒーを淹れている間から話は進んでいた。
     事件の現在判明している情報が見えてくる。
     いつ氷ができていたかは不明であり、砕いた氷を解析しても何も情報を得られなかった。
     周囲を調査したが変った物事は一切なし。
     そして──同じような事件が、つい先日、違う農村で再び発生したこと。
     京治は角砂糖を沢山投入したコーヒーをぐいと飲み干し、ため息をつく。
    「──まあ、そんな状況だ。これでは犯人が分かるわけがない」
     お手上げだ、と肩をすくめた。
     葵は香りを楽しむために揺らしたコーヒーの波紋を見下ろし、言う。
    「……二個目の現場でも目ぼしい情報は無し、ですか。まずお聞きしたいんですけど、この怪奇現象は人によるものだと考えていますか?」
     京治は首を傾げる。
    「はぁ? 魔法を事件なんだからそりゃ人間が起こしたに決まってんだろ。足跡、抜け毛といった痕跡も残っていなかった」
    「魔物がやったにしては上品すぎやな。その村意外なーんにも襲わないなんて」
     茜は京治に同意した。
     葵はカップを置く。
    「……分かりました。此度の依頼、お受けします。ただ一つお願いがありまして」
    「何だ?」
     葵はゆかりに目配せをして、言う。
    「ゆかりさんをお借りしたいんです。今回の事件解決、キーマンになると思うので」
    「へっ?」
     ゆかりは素っ頓狂な声を上げた。
     自分の顔を指さし、言う。
    「わ、わたしですか……?」
     京治は立ち上がる。
    「問題ない。そもそも、結月には主導を任せる予定だったからな」
     ゆかりは必死に訴える。
    「えぇ!? 聞いてないですって! 私、今日締め切りの報告書が──」
     京治は容易く切り捨てる。
    「遅れて構わん、そっちの探偵のヤツもな。この事件の解決を最優先に動いてくれ。できることなら、三つ目の被害を止めてくれよ」
     そう言われてしまえば、良くないことであると分かっていても、ゆかりは従うしかない。
     事務の人々に心の中で謝罪をして、ゆかりは言う。
    「分かりましたよ……ここで被害を止めて見せます」
     京治は満足したのか、ニヤリと笑う。
    「良い返事だ。探偵のお二人合わせ、期待してるぞ」
     ガチャリ、と事務所の扉を開ける。
    「悪いが他にも事件があってな、俺は一旦離れる。何かあったら呼んでくれ」
     そう言い残し、京治は足早に去っていった。
     葵はまるで台風が突然やって来てそのまま直ぐに通り過ぎてしまったかのような、ふわふわと落ち着かない心境だった。
     気づけば、ゆかりが肘を膝に乗せて手の平を重ね、項垂れていた。
    「はぁ……」
     大きなため息だった。葵と茜は彼女の心境を察する。
    「あれがゆかりさんが前言ってた上司かぁ……ご愁傷様です」
    「でもイイ人ぽかったやん、贅沢言いすぎは良くないでゆかりさん」
    「……茜さんは相性よさそうですね、警部補と」
     低い声で呟いた言葉に葵は妙に納得してしまい、目を逸らした。
    「なんかごめんねゆかりさん、私がゆかりさんに手伝ってなんて言わなければ……」
     ゆかりはようやく顔を上げ、吐き捨てる。
    「言ってたじゃないですか、主導を任せる予定だった、と」
     パン、と自分の太ももを叩き、声色を切り替える。
    「さて! うだうだしていても始まりません。とりあえず事件について考えましょう」
     冷蔵庫にジュースを取りに行った茜は、台所から振り返り、言う。
    「そうや。なあ葵、結局犯人は人間、でええんか?」
     葵は小さく首を横に振った。言う。
    「私は人の──魔道士の犯行じゃないと考えてる」
    ゆかりは尋ねる。
    「どうしてですか?」
    「考えてみて下さいよ。状況証拠からして、人間を吸収もしくは取り込んでいるわけですよね?それってとっても悪い事じゃないですか」
    葵は楽しそうに語り始めた。
     ゆかりは何を言い始めるんだ、と眉を歪める。
    「そりゃあそうでしょう」
     合いの手をもらった葵はうんうんと頷き、続ける。
    「普通の人なら怖くてできるはずもない悪行ですが、成果に飢えた悪い魔道士ならやりかねません。ですが魔道士は倫理観が欠如しているわけではないので、悪いことは悪いことだ、とちゃんと認識できるはずです」
    葵の目が赤く光る。
    「それならば────どうして、わざわざ氷を残したのでしょうか」
     ソファに戻ってきた茜は、言う。
    「おぉ、言われてみれば確かに変やな」
    「うん、わざわざ犯行を目立つような事はするわけないよ。捕まる可能性上がるし。もし私なら、絶対に氷は溶かしておく」
     葵の意見は二人にとってもしっくりきて、反論する意思は見せなかった。
    「……今持っている情報では、推論することしかできませんね」
    「はい、だからゆかりさんにお手伝いをお願いしたんです」
    「私以外の警察の方々が既に調査済みなので、期待は薄いですよ?」
     葵は渋面をつくり、言う。
    「でも残念ながら、私が考える上で一番期待できるのが現場なんですよね。ゆかりさん、今回の依頼はとても強敵ですよ」
    ゆかりは表情を引き締め、言う。
    「……しかし解決できなければ、また第三の被害が出てしまうかもしれません。なんとしても阻止しないと」
     茜はぐいっと飲み干して、コップを置く。
    「せやな、もしかすると次に狙われるのはここら一帯かもしれへんし」
     葵もコーヒーを飲み切って、言う。
    「まず早いうちに、二つの現場を見に行こう。今から準備してお姉ちゃんの車で向かう……これでいいですか?」
     ゆかりに顔を向けると、頷いた。
    「ええ、分かりました。一旦署に戻ります」
    「忘れ物せんようにな~」
    「しませんよ、子供ですか!」
     そういうことになった。

      △△△

     茜が車を走らせ数時間。三人は一つ目の現場に到着した。
    「これは……ひどいですね」
    ゆかりは悲愴、怒り、複雑な感情を含む震えた声で呟いた。
     葵は車から降りて、肉眼でその景色を捉える。
     住宅が点在する農村は、氷柱の集合体に飲み込まれていた。
     透明度の高い氷だった。陽光の反射が視界を妨げるくらいで、中がはっきりと目視できる。 村の様子がまるで時を止めて保存されているかのようだ。しかし、ここで暮らしていた村人はもうどこにも居ない。
    「ふぅー、肩が……。うわ、こう目の前でみるとおっそろしいなぁ」
     長旅の運転で凝った肩を回しながら、茜は氷の先端を見上げた。
     氷に近づく。冷気が漏れ出していることはなく、肌寒さはなかった。
    「…………」
     住民を助けようとしたのか、複数の箇所に傷や欠けた跡が残っている。ゆかりは神妙な表情でそれらに触れ、撫でた。
    葵は氷の目の前でしゃがみこみ、じぃ、と観察する。
     扉をノックする要領で叩いたり、手の平をぺたりと付けたりしていた。
    「何か分かるん? 葵も氷魔法は得意やろけど」
     茜が後ろからひょっこりと覗き込む。
     葵は振り向かず、答える。
    「うん、まあ、色々? ちょっと言葉にするのは難しいんだけど……」
     葵はうーん、と適当な言葉を探し、ぼそり、と言う。
    「──とりあえず、魔道士の線は消えたかな。こんな魔法を使える人なら、今頃ロイドボイスでも有名になってるよ」
    「葵よりも凄いんか?」
    「少なくとも私は真似できないよ。だってこれ、氷魔法じゃないもん」
    「えぇ!? どうみたって氷やんか」
     茜は首を傾げた。
     確かに、これは誰がどうみても氷である。
     葵は振り返って茜の顔を見上げ、言う。
    「なんていうのかな、氷はあくまで『器』として使われているだけで、本質は別にあるんだ。この魔法を使った何かは、きっと氷魔法を使った意識なんて微塵もないよ」
     茜は眉を潜め、唸る。
    「うーん……つまり、単純に魔力を出したら氷になるようなヤツが犯人ってこと?」
    「あ、それ分かりやすい。そうそう、そんな感じだと思う」
     二人が話している間、落ちていた氷の欠片を拾って何やら調査していたゆかりが近づき、言う。
    「私もそう思います。解析魔法で調べた結果としては、まさにそんな感じでしたね」
     葵は笑みを作り、いたずらっぽく言う。
    「さすがはゆかりさん。他の警察の人たちとは違いますね」
    「どういう意味ですか?」
     葵は立ち上がって膝元をポンポンと払いながら、言う。
    「これを氷魔法ではないことを見抜けていなかったじゃないですか。警部補はこれを『氷魔法』と言ってましたし」
    「あ、確かに。凄いやんゆかりさん、別にウチらが居らんくても分かってたんやろ?」
    「お世辞は要りませんよ……私なんてまだまだです」
     ゆかりの声色に深みを感じたのか、葵は表情を改め、真剣にゆかりへの称賛を並べる。
    「ゆかりさんはサラリと答えましたけど、解析魔法で得られる情報からこの答えに辿り着くのは相当に難しいはずですよ。警察も同じ調査はしているはずですよね? それで違う答えを出せたのが何よりの証拠です」
     ゆかりは顔を赤くする。
    「な、なんですか葵さん……今日はやけに褒めるじゃないですか」
    「あ、ゆかりさん照れてる! ほれほれ、ゆかりさん天才! 警察の星!」
     茜がニヤついてゆかりの頬をつつく。
    「あぁもう! 照れてなんていません!」
     茜は振り払われる。ゆかりは背を向け、吐き捨てる。
    「ほらもう、調査の続きを再開しますよ! こんな遠出したのにこれっぽっちしか情報が集められないなんて許容できませんからね」
     葵と茜は顔を合わせ、小さく笑った。
     ────しかし。これ以上に何か情報が得られることはなく、三人は帰路に着いた。
     

     翌日。午前の太陽はまだ昇りきっておらず、人々が学業や仕事に勤しんでいる頃合い。
     ロイドボイスの中でも一際人々が集中する繁華街。
     多種多様な飲食店が集まる地区に、何の変哲もない、ごく普通の内外装の喫茶店──マキカフェ。葵の提案により、そこで朝食をとりつつ、打ち合わせをすることになったのだ。
     お店の大半はまだ準備中である。マキカフェも普段は朝から開いているものの、今日は曜日の関係で昼頃からの開店だった。
     扉には『closed』と看板が掛けられている。
     葵はその扉を、コン、コンコンコン、コンコン、特徴的なテンポを刻むようにノックした。
     しばらく待つと、ガチャリ、と鍵が開く音がして、扉が内側から外に向かって開かれた。
    「はいはーい、この時間に来るのはひさしぶ────あれ、ゆかりん連れてきたんだ!」
     葵と茜の後ろに立っているゆかりを見て、店の中から出てきた人物は顔を明るくした。
    「おはようございます、マキさん。でも本当にいいんですか? まだ開いてないんじゃ……」
    「いいっていって、特別なノックの方法を教えてる人にだけは特別だよー。あ、後でゆかりんにも教えてあげる」
     店内へと三人を案内するのは、弦巻マキ。マキカフェのスイーツを担当する料理人である。
     動物の刺繍が縫ってある可愛らしいエプロンを着用しているが、胸の内には熱いスイーツへの魂が燃え盛る探求者だ。
     料理中とのことで、後ろで束ねた光る髪は長い。背丈はスラリと高く、ほとんど変わらないゆかりと茜、葵と比べて頭半分ほどの差がある。
     マキ以外に誰も居なかったはずの店内は、既に甘い香りが充満していた。
     三人はカウンター席へ、マキはその向かいの厨房に立つ。
    「今日はまだおばさんいないから全部私が作ることになるけど、何がいい?」
    「チョコミントアイスで」
     葵は即答した。茜は眉を寄せる。
    「いっつもそれやな。よう飽きひんでホンマ……」
    「二人は?」
    「エビフライで」
     茜は即答した。葵は冷ややかな半目で言う。
    「お姉ちゃんこそいつもそれだね。よく飽きないよ本当」
    「漫才してるんですかあなたたちは」
     ゆかりのツッコミにマキは笑う。
    「あははは。で、ゆかりんは? 遠慮せずに頼んでよ、メニューになくても即興で作れるものは作るよ?」
     ゆかりは考え込む。
    「そうですね……。それではサラダをお願いします。簡単なものでいいですよ」
    「かしこまりましたー! ……あ、もしかして」
     マキはニヤリと笑い、顔を寄せ、小声で言う。
    「普段まともに食事してないからこの機会に健康に気を付けてサラダにしておこう、とか思ったでしょ?」
    「うっ」
     図星か。うろたえるゆかりを横目に、葵は吹き出しそうになる。
    「マキさんやめてあげてくださいよ、分かっていても言っちゃうのは可哀想です」
    「ダメだよ葵ちゃん、ゆかりんを甘やかしちゃ。放っておいたらいずれ私生活は目も当てられないことになっちゃう。ゴミ屋敷まであと数年だよ」
    「はははは! マキさん容赦なさすぎやで」
    茜は隣に座るゆかりを肘で小突く。
    「一番しっかりしてる人の言葉は身に染みるな~ゆかりさん?」
    「茜さんににだけは言われたくないですっ!! あなたも大概でしょう!?」
     吠えるゆかりとニヤつく茜に、葵は肩をすくめる。
    「以前ゆかりさんのお家の掃除をお手伝いしましたけど、はっきり言って、お姉ちゃんよりゆかりさんの方が酷いと思いますよ」
    「ガーーン!!」
     あんぐりと口を開けるゆかりの横で、茜は勝利の拳を空に掲げる。
    「でも茜ちゃんもダメだよ? 葵ちゃん居なかったらきっとゴミ屋敷まっしぐらだし」
    マキの発言に、葵はしみじみと何度も頷いた。
    「うっ……気ぃつけます……」
     こうして私生活がだらしない下位二名は共に撃沈した。

     暫く、他愛ない会話が続いた。
     マキは作業を進めながら、言う。
    「ところで三人は一緒の仕事してるの?」
    「せやで、ゆかりさんの上司が葵が犯人じゃないかと事務所に突撃してきてな。そんで──」
     茜はこれまでの経緯を話した。
    「はぁ、なんか今回は一層大変そうだね」
    「そうなんですよ、これっぽっちも犯人は尻尾を見せてくれていません……」
     ゆかりはため息をついた。
    「まあ、そんな状況なので今からどうしようか、と打ち合わせをしようというわけです」
    「でもどうするんや? もう一個の事件あった所に行く以外にないんちゃう?」
     葵は頬に手を当て、言う。
    「……今はまだ、行くべきじゃないと思う。行ってもおそらく新しい情報は見えてこない。何を見るべきか──明確に調査の方針を決めてからじゃないと」
     葵は列の端から二人を視界に捉え、続ける。
    「まず考えたいことは────今の状況で、私たちの調査範囲を絞れるかどうか」
     茜は眉にしわを寄せ、うーん、と葵の言葉を咀嚼する。
    「えっと、つまり、例えばあの地域やー、とか、犯人はどこぞの関係者の誰か、とか?」
    「そうそう、もしそれができるなら今から二つ目の現場に行くこともできるし、難しいならもっと視野を広げて、地道に調査するべきだよね。──どうかな、ゆかりさん?」
     ゆかりは目を閉じ、記憶に触れながら、口を開く。
    「……調査範囲を絞るのは難しいでしょう。あの氷からは地域を絞る情報は得られませんでした。ならば犯人像からは? それも厳しい。今予想できるのは人ならざる生命であること、生物の魔力構成の根源に氷属性がある事──たったそれだけです」
    「氷にまつわる魔物を洗い出すのはダメなんか?」
     ゆかりは静かに、言う。
    「魔物に絞ることは現状ではリスキーです。人ではない生物で魔法を扱えるのはそれこそ、魔物、妖精、はたまた人の造った魔法生物の類と無数に存在します。だから調べる場合は全部の可能性を考慮すべきで…………つまり、そこまでしか範囲を絞ることができません」
    「いや、できてるできてる。充分に絞れてますよゆかりさん。それなら途方もないわけじゃないですし、希望が見えてきましたね」
     葵の言葉に、ゆかりは訝しげに言う。
    「そうですか? これだと次の被害が出る前に間に合うかどうか……」
    「そこはもうなるようにしかなりません。ゆかりさんは立場を有効利用して、魔法生物の逃走といった事件の記録や、私では会えそうもない人から聴取したりしてください。魔法生物界や魔物研究の大物あたりですね。どれくらいかかりますか? 四日……五日くらいですか?」
     ゆかりは葵を見据え、明瞭に言う。
    「いいえ、二日で十分です。明後日には情報をまとめ上げます」
    「二日!? ホンマに? 凄いなぁゆかりさんは……」
     茜は驚嘆の声を上げた。
     葵は口を閉ざし、ゆかりの瞳を見つめる。
     冗談を言っているわけじゃない。ゆかりは本気で二日で終わらせるつもりだ、と葵は理解した。そして、きっと見事にやり遂げるだろうことも。
     葵はため息をつき、言う。
    「はぁ、ゆかりさんがその気なら、私たちももっと気合入れて頑張らないとね、お姉ちゃん」
    「へ? お、おぉ! ウチも頑張るで!」
     ぐっと拳を握る茜の前に、ゴトンと皿が置かれた。
    「はいはーい、お仕事頑張る前に私の料理で元気を注入していってね!」
    「おぉー! エビフライやぁ~!」「チョコミントアイスだぁ~!」
     葵と茜はテンション高く、いただきまーす、と堪能し始める。
    「はい、ゆかりんの分」
     ゆかりは差し出された皿を受け取り、乗っている料理を見て、困惑する。
    「あ、あれ? サンドイッチ?」
     マキは腕を組み、ツンとそっぽを向く。
    「ゆかりん、どうせロクに食べてないでしょ? 一端の料理人である私の前でそんな所業は許しませんよーだ」
     ちらりと横目で見て、ニヤリと笑った。
    「だから、ちゃんと食べてもらうようにサンドイッチにしました! 野菜もたくさん摂れるし一石二鳥だね」
     ゆかりはお腹が空いているわけではなかった。正しくはお腹は空いているが、その不快感に慣れてしまい、食欲が湧かなかった。
    「全く、マキさんには敵いませんね……いただきます」
     マキの攻勢は止まらない。
    「ほんと、ゆかりんは危なっかしくて見てられないよ。倒れたりでもしたら自分だけじゃなくて、心配する皆にも迷惑かけるんだからね?」
    「あーはいはい、お母さんですかあなたは……」
     ガミガミとお説教をするマキと、それを鬱陶しそうに受け流すゆかり。
     そうして、朝の穏やかな時間は流れてゆく。

      △△△

    翌日、深夜。琴葉探偵事務所。
     葵は机に肘を置き、頭を抱えていた。
    「これはマズい……全然何も見えてこない……!」
     図書館で文献を漁ったり、ツテを当たってみたものの、推理は全く進展がなかった。
    「ヤマを外したかぁ……! このままじゃゆかりさん任せになっちゃう」
     二日かけて収穫はゼロ。気持ちに焦りが生じるには十分だった。
     眠気で瞼は重く、意識は身体からふわふわと分離しかかっている。
     しかし、眠れるわけがない。ゆかりは次の被害を出すまいと頑張っている。そんなことは確認しなくとも分かるのだ。
    「どうせ、ゆかりさんもほとんど寝ないで調査してるんだろうな……」
     天井を見上げ、警察のオフィスで資料とにらめっこしている光景が脳裏によぎり、乾いた笑みがこぼれた。
    ──ああもう、奥の手、解禁しようか……?
     葵は目を強く閉じ、苦虫を?み潰したように顔をしかめる。
     本当に必要か? 冷静に現状を分析した。このまま徹夜しても、当たりを引く可能性に期待できるだろうか?
    「ぐぐぐぐぐ……!」
     考えれば考えるほど、奥の手を使うことが最善の行動であることが論理的に証明されていく。自分自身に論破されているようで、行き場のないイライラが頭の中心に溜まっていく。
    「ああもう、行けばいいんでしょ、行けば……」
     葵は既に寝ている茜に配慮したのか、叫びたい衝動を抑え込んで呟いた。
     ガラ、と引き出しを開けて、奥に突っ込んである封筒を取り出した。
     立ち上がり、パーカーを羽織る。ちらりと茜の寝室の扉を見た。
     ──本当にごめんね、お姉ちゃん……でもこれはしょうがないの……!
     心の中で深く謝罪し、葵は静かに事務所の扉を開けた。

     外は肌寒かった。葵はフードを深く被る。
     寒い、という感触は寂しさ、孤独感といった心細さを増大させるが、葵はそんなセンチな気分には程遠く、今から会いに行こうとしている人物が今日に限って居なければいいのにな、などと考えていた。
     街並みはざっと五割ほどが暗闇に溶け、残り半分はここからが我らの時間だ、とでも言わんばかりに明かりで夜の暗黒を照らしている。
     程なくして、目的のお店──『Bar ARIA』に到着した。扉を開き、中に入る。
     お店の主張は弱い。店内は暗めで、外に響かない程度の音量でオシャレなジャズが流れている。葵はカジュアルな服装で訪れたことに後悔の念が募る。
     カウンターが奥へと伸びていて、四人、客が座っている。内常連は二名。テーブル席はない。
     バーテンダーは細身の男で、眼鏡を掛けている。底を感じられない、不思議な人物だ。
    「…………行こう」
     葵は奥へと歩く。その間に横切る、常連でない二名一組の客を確認したが、夜も更ける頃にお酒を飲みに来た一般人であると判断した。
     注意すべき人物は居らず、葵は胸をなでおろす。そして、会いに来た人物の姿を捉えた。
     カウンター最奥で水滴の垂れるグラスを置き、俯いている人。ちょうど今の葵と同様に、フードを深く被っているせいで顔は全く見えない。シルエットから小柄な女性であるようには見えるが、店内の照明が落ち着ていることも相まって、ただそれだけしか情報は発信していない。
     常連、というよりもほぼ毎日ここに座っている。
     そして彼女こそが、葵が会いに来た『情報屋』であった。
     葵は隣の椅子に座り、一拍置き、口を開く。
    「──『やあお嬢さん、独りなら、私がイチゴミルクを奢ろうか?』」
     葵は決まった言葉を紡いだ。
     するとようやく、そのフードの人物は動いた。ちらりと横目に葵を見て、あからさまにため息をつく。
    「はぁ……」
     何で来たんだよ、消えてくれ、うっとうしい、嫌い、またお前か、会いたくない──そんな感情が見え隠れ、いや、あからさまに籠もった、大きなため息だった。
     葵はピクピクと口端を痙攣させる。
     しかしここで怒りを爆発させてしまったら損をするのは私だ、となんとか気分を鎮める。
    「聞きたいことがあって来たんだけど、今、平気?」
     情報屋は息をつき、ナンパ回避のために被っていたフードを気怠そうにめくる。
    露わになる容姿は、同性の葵から見ても羨むほどの美少女だった。
     クセが付き、透明感のある長髪が左右にに跳ねている。覇気を感じない、ダルそうな、でも吸い込まれるような瞳。
     着飾らなくても綺麗な人とはこういうことなんだな、と葵は嫉妬を自覚した。
    「全然平気じゃない。今忙しい。帰って」
     さて、そんな内心を知らない情報屋は、心底嫌そうに眉にしわを作り、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
    「…………」
     これまで煮えたぎっていた葵の心は途端に落ち着きを見せ、爽やかな風が吹く。
     葵はまるで自分が姉──茜になったのだと暗示をかけ、微笑を浮かべ、口を開く。
    「──そんなこと言わんといてや、IA(イア)ちゃん」
     IA、そう呼ばれた情報屋はびくりと身体を震わせ、頬を染める。
     葵は正面を向いたIAの顔を覗き込み、続ける。
    「ウチ、今凄く困ってんねん。頼れるのはIAちゃんだけなんよ。だから……な?」
     さすがは姉妹、まるで茜本人であった。少なくともIAにはそう映った。
     IAはしばらく目がぐるぐると混乱していたが、やがて目の前にいるのは密かに慕っている大ファンの琴葉茜ではなく、そんな茜の隣を当然の如く歩き、そして同じ屋根の下で暮らしている──羨ましすぎて嫉妬する、葵であることを思い出した。
    「……怒るよ?」
    「怒りたいのはこっちだよ!? ……まあいいや、やっと会話が通じるようになったし」
     ムスッと頬を膨らませるIAに、葵は持ってきた封筒をカウンターに置いて、言う。
    「それで聞きたいことなんだけど──」
     葵の言葉を遮るようにIAが言う。
    「”生命を吸う氷”事件の件でしょ?」
    「……さすが情報屋だね」
     IAは肩をすくめる。
    「あれだけ派手に調べ事していれば聞きたくなくても耳に入ってくる。そんなことも分からないなんて、やっぱりダメ探偵──いえ、冒険家、だったっけ?」
     憎たらしく口元を歪めるIAに、葵は拳を強く握りしめる。
    「こ、このぉ……!」
     怒る葵をスルーし、IAはぼそりと、言う。
    「その情報は一つだけ、聞いて意味がありそうな物はある。でも、あまり安くは渡せないよ?」
     チラ、チラ。IAは葵の置いた封筒に目線が寄せられている。
     葵は封筒を二本の指で挟んで持ち上げる。
    「一つかぁ……なら今回は一枚、かな?」
     IAは目を細める。
    「内容による。見せて」
     食いついた。葵は心の内でほくそ笑み、IAに背を向けて封筒の中身を確認する。
    「えーっと、そうだなぁ……これかな? こっちの方がいいかな?」
     あからさまに出し惜しみする葵に対し、IAはイラつきを隠さずに言う。
    「早くして」
    「はいはい────じゃあ、これでどうかな?」
     葵は一枚の手のひらサイズの紙を取り出し、カウンターの上を滑らせた。
     IAが手に取ったそれは──
    「っ! こ、これは」
     IAは思わず唾を飲み込んだ。
     葵は得意げに指を振り、語る。
    「そう、私の『お姉ちゃん秘蔵コレクション』の中でも価値ある一枚……『机に突っ伏してお昼寝をしてるお姉ちゃん』──どうかな?」
     IAが目を見開いて凝視しているのは、事務所で葵がいつも座っている席に座り、両手の二の腕を枕にして気持ちよさそうに眠っている茜の写真であった。
     お姉ちゃん秘蔵コレクションとは、葵が情報屋のIAから情報を買う際に対価として支払う、茜の写真のことである。もちろん、葵はそんなことを姉に話してなどいなかった。
     これまでIAに渡してきた写真は、茜の合意のもとに撮影した物ばかりだ。だから、このような無防備な姿を切り取った写真はIAの心を打ち抜いた。
     葵は滞りなく事が済んだことを確信し、言う。
    「じゃあそれでいい?」
     IAはハッとして現実へと帰還を果たす。恥ずかしかったのか、ちらりと葵を見て、正面を向いた。
    「……分かった。教える」
     葵はほぅ、と息をつき、封筒をコートの内側に仕舞った。
    「いらっしゃいませ、ご注文は」
     マスターの、静かで渋い声色が響いた。
     葵は会釈をして、言う。
    「こんばんわ。それじゃあ、いつものお願いします」
    「かしこまりました、すぐにお持ち致します」
    「……いい?」
     葵はIAに視線を向けて、言う。
    「あ、ごめん。いつでもどうぞ」
     IAは手持無沙汰な右手でグラスをくるくる回し、言う。
    「──この事件は、明確に人間の意思によって起きた事件だよ」
    葵はIAの横顔を見つめた。
     それは、葵にとって素直に受け入れられない情報であった。
    葵は苦笑する。
    「……つまり、誰かが仕組んだ? そんなまさか。あんな強力な魔法を使える生物を従えたってこと?」
     IAは肩をすくめる。
    「さあ? 私は情報をもらっただけ。犯人は知らない。ただ……」
    お待たせしました、と葵の目の前にロックグラスが置かれる。
     氷が踊り、カランカランと音を立てた。中身はお酒ではなく、リンゴジュースである。葵曰く、このお店の隠れた名作だそうだ。
    IAは続ける。
    「あそこまで強大で、かつ似通った力を持つ魔物が複数出てくるのは考えにくい。でも二つの事件は隣接した村じゃなくて、ある程度距離が離れてる。いくらヘボ探偵でも分かるでしょう? ────そう言ってた」
    「ヘボ探偵のくだりは絶対IAが付け足したよね!?」
     ふん、とIAはそっぽを向いた。
     葵はそんなことよりも、と考え込む。
    「あの魔法は人ではない生き物と仮定する。それにしてもとんでもない力で、複数個体が同時に人の住む地域に現れるなんて考えにくいし、繁殖しているとも思えない……」
     これまで全く見えていなかった事件の真相。その答えに向かう道にようやく明かりが灯り、葵の目にも映ってくる。
    「でも特定を防ぐためにあえて位置をズラすような知能は妖精も持って──いや、可能性は低いかな。善性ならともかく、悪性の妖精は特徴が公になってる。それでも見つからなかった」
     ぶつぶつと推理を展開していく葵に、IAが我慢の限界を迎える。
    「もういい? 情報は以上。さっさと飲んで帰って。そしてヘボ探偵から茜さんを解放して」
     葵はグイっとグラスを傾け、立ち上がる。
    「今日も素敵な情報をありがとね? あ、お姉ちゃんなら事務所に来れば何時でも会えるよ。いつ来るか教えてくれれば伝えておくけど?」
     IAは茜に直接会いに行く、その光景を想像しただけであたふたと目線が動き、顔を赤らめる。
    「い、いい……っ」
    「……なら、サインでも貰ってきてあげようか?」
    「う、うん。欲しい」
     葵は笑みを浮かべ、背を向ける。
    「分かった。覚えてたら今度来るとき持ってくるね」
     IAは葵の背に文句を垂れる。
    「ダメ。絶対」
    「はいはい、分かりました」
     葵はポケットから500ダヨネ硬貨を取り出し、マスターの正面に置いた。
    「ご馳走様でした」
    「いつもありがとうございます。これからも私たちをご贔屓に」
     マスターは滑らかに一礼した。葵は会釈を返す。
     続いて常連のもう一人──こちらもフードを被っている──の背を横切る際、声を掛けられる。
    「いつもいつも、姉がすみません……」
    心底、申し訳なさそうな擦れ声だった。
     葵はぴたりと足を止め、苦笑する。
    「お互い、姉に苦労するね? 護衛お疲れ様」
     その人物はフードをめくり、振り返る。このお店の護衛役──ONE(オネ)である。
     ONEも葵と同じような笑みを浮かべ、言う。
    「また今度、ご飯食べに行きましょう」
    「いいね、この事件が落ち着いたら行こうか」
     姉被害者同盟を結ぶ二人は初めて会った時から妙な親近感を覚え、今では時々食事を共にするくらいには仲良しになっていた。
    「……」
     そんな光景を羨ましそうに、いや、恨めしそうに薄目でじぃ、と見つめているのはIAである。
     気づいた葵は肩をすくめる。
    「ONEちゃんのお姉さんが拗ねちゃうからもう帰るね。今日はありがとう、とっても助かったよ」
     三者三様の見送りを受け、葵は気分良く事務所への帰路に着いた。


     同時刻、ロイドボイス警察署、資料室。
    ゆかりは独り、調査を進めている。
     光量が足りないせいで少し薄暗い室内で、ファイルを手に取っては開き、中を確認しては戻す。時々、目ぼしい内容を見つけた時は室内の机に置いていく。
     顔を見れば、それはもう酷い有様だった。
     もうとっくに瞼の操作権利は奪われ、ふと気づけば完全に上下が引っ付いては、ハッと目を覚ます。
     直近で口に入れた物は何だったかさえあやふやだ。最後に水筒を開けたのは何時だっただろう?
    「さすがにそろそろ、休んだ方がいいですね……」
     ゆかりは選別したファイルを置いた机に向かい、椅子に座る。
    「────ぁ」
     その瞬間、身体が受ける重力が強くなったのではないかという程に、全身の疲労を自覚する。 体調管理には気をつけろ──上司はもちろん、友人たちにも耳にタコができるくらい怒られていることを思い出し、反省する。
     それでも目は閉じない。数秒でも維持すれば、すぐさま熟睡してしまうだろうという確信があったからだ。
     パチパチと瞬きを繰り返して目の霞を緩和して、ゆかりは積み重ねたファイルをてきとうに、一番上のものを手に取る。
     中身の内容は既に把握しているので、特に意味のない行動だ。ゆかりはそれに気づき、ファイルを机に放り投げる。
     ──とはいえ、有力情報は見つかっていない……。
     天井を見上げ、思考を整理する。
    ゆかりはこの二日間、まずは識者たちに聞き込みを行った。そしてその後はずっと情報収集を進めた。
    魔物にあのような魔法を扱える個体は居ない。知識に富む人々でさえ、誰も明確な名詞にて答えを言うことができなかった。
     では禁忌魔法──人が扱うには危険すぎると認められ、存在はもちろん、魔法陣の模様、詠唱等の情報流出を固く禁止されている類では?
     ──それもない。私が魔法で調査して得られた結果は解読が完全に不可能ではなかった。全部……とは言えないけど、50%は読み取れてる。そんなものが禁忌魔法なわけがない。
     ゆかりの胸に、焦り似た感情が募っていく。
    「──もう半日も残っていない」
     探偵事務所に向かうのは明日の午前中だ。今は深夜、既に日を跨いでいる。
     それに気づいた時、もう無理かな、と目を閉じかけた。
     その時、とある光景が見えた。
     のどかな村だ。人々は協力し合って暮らしていた。どこかの家で子供が生まれれば村総出で祝うような村だ。
     しかし突然、未知の存在により時間が凍結する。彼らは何が起きたのかもわからずに命を絶やす。きっと中には、明日は何をして遊ぼうか、とワクワクしながら眠っている少年少女もいるのだろう。
    「……っ、諦めるもんですか」
     ゆかりは吐き捨て、新たに気合いを入れ直した。
     すると、ふと、ある日の葵の言葉が頭に響く。
     ──「ゆかりさんはもっと自分の解析魔法に自信持ちましょうよ。そうすれば推理の時、選択肢を大幅に削れますよ」
    「別に自信がないわけじゃありませんけどね……。今の状況なら、どうすればいいのかな」
     ゆかりは考え込む。
    「解析魔法の結果を信頼する……ということは、あの氷の魔法は人の手によるものじゃない。あとは妖精も違う。妖精ならすぐに分かってるはず」
     声に出し、考えを整理していく。
    「魔物は……あの教授が知らないんだから違うでしょう。魔法生物も同じく」
     結局辿り着くのは、何も答えが得られないということだった。ゆかりは天を仰ぐ。
    「全然だめじゃないですか葵さん、証拠が残っていないのだから私の解析魔法が本当に凄いものだとしてもどうしようもない────あ」
     電撃が走った。
    「そうか、証拠が残っていなかったということは、消すことを思いつく知性……人間、もしくは妖精が関わってる。でも妖精は無し。人であの魔法を使えるのも考えにくい。なら考えられる線は────そうか、そういうことですか……!」
     ゆかりは調べるべき情報をかなり局所的に限定することができた。
     まことに残念なことに、未だ手を付けていなかったところである。
    「これは……寝られませんね」
     ゆかりはほっとしたのか、自然な笑みを浮かべ、立ち上がった。

      △△△

     翌日。茜の運転する車内。
     後部座席に座るゆかりは、扉に頭を預け、スヤスヤと眠っている。
     そんなゆかりを見て、葵は息をつく。
    「まぁ、やっぱりか、て感じだね、ゆかりさん」
    「せやなぁ。どうせ今日もロクに寝てないで、事務所来た時は寝てきたって言うてたけど」
     寝不足で睡魔と戦っている葵と、今日の運転のためにしっかり休養を取った茜の元へ訪れたゆかりは、誰がどう見ても徹夜明けだった。
     葵は渋い顔で目を閉じ、言う。
    「でも、ゆかりさんが頑張ってくれたおかげで、こうして確信を持って移動できてる。今回は頼りきりだったなぁ」
    「そういう葵だってけっこう夜遅くまで頑張ってたんやろ?」
     葵はIAに写真を渡した後ろめたい事実に、視線を泳がせる。
    「えっ、ま、まあ、ソウダネ……」
     葵とゆかり、そしてオマケの茜の三人による議論は、特に異議が飛ぶことなくすんなりと整合が済んだ。
     葵の意見もゆかりの意見も、どちらもがお互いに論理構築を補強し合う結果となった。
     今向かっているのは、二つの現場のどちらでもない、ロイドボイスから離れた南の山である。 二つの現場には地理的な共通点があった。それは、その山から流れてくる川に隣接していることである。
     そして、その川と共に、山から流れるオドの通過点──霊脈でもあった。
    「そこに居らんだらどうする?」
    「川の最上流から下っていくしかないかな……」
    「うへぇ、山登りかぁ。ウチはともかく、寝不足の二人はしんどいやろ」
    「まあ、近くまでいったら何かしらの反応はあるだろうしその心配はしてないけどね」
    「そんなもんか」
    「うん」
     車の中は静かに、人影一つと見えない野原を走っていく。


     数時間後。川沿いを走る。
     誰も居ないどころか、ここに人間がやって来たのは何時以来かも分からない僻地である。
     茜はそんな場所で車を走らせながら、抱いた違和感を口に出す。
    「……なんやろ、全然魔物が出てこんな」
     目を覚ましていたゆかりは、前方を眉間にしわを寄せながら見つめる。
    「既に嫌な予感しかしないんですけど」
    「私も」
     茜の予想では、こんな視界の開けた草原ならば視界一周どこでも魔物が目に映り、その間を車で駆け抜けていかないとダメかと思っていた。
     しかし現実は、見かけだけは至ってのどかで平和な平地だった。
    「……んん?」
     そして、見かけさえも異常になる。
     茜が捉えた視界の前方は、川の岸から伸びるように、事件現場を覆っていた氷が──
    「停まってお姉ちゃん」
     葵は冷静な声音で指示を飛ばした。
     車が停止する。
    「あ、葵?」
    「ここからは徒歩で、気を引き締めて進もう。単なる勘だけど、この先に何かがいる」
     二人は頷いた。
     外に出る。茜とゆかりは自身を両手で抱き、震え声を出す。
    「さ、寒っ! これはアカン!」
    「こ、これは寒いですね……! 葵さんは平気なんですか?」
     葵は小さく首を傾げ、言う。
    「うん、全然。私の魔力特性もあって、寒さにはめっぽう強いんですよね」
     羨望の目線が葵に集中する。
     葵はふと気が緩み、

     気づけば。
     空に何かがいた。

    「ッ!」
     葵は身構え、空を見上げる。
     それに気づいた茜も一瞬にして臨戦態勢へ。
     何が何やら、といった様子なのはゆかりだ。
    「えっ、え? どうし────て、あれは……」
     ゆかりは空を見た。
     確かに、そこに居る。ただそこに存在するだけで、圧倒されるこの感覚。
     まるで氷の彫刻のような、全体が薄い青色の大きな鳥。
     あれが資料に残っていた、この霊脈を司どり、数百年前に姿を消したという”氷の不死鳥”────!
     ゆかりは震える声で、言う。
    「あ、あれは神獣クラスですよ!? どうしてそんなのがいるんですか!」
    「分からない……でも一つ分かるのは、あれが凄い機嫌を損ねていることですね」
    「ヤバいってあれ……完全にウチらを補足してるで」
     ゆかりは頼りにしていた二人の震え声に、ますます不安になってくる。
    「ちょ、どうするんですか!? 敵わないなら逃げましょうよ!」
    「いや、逃げたら解決できないですよ」
     葵は氷の不死鳥に向かって歩き出す。
    「……とりあえず、私が行く。近づいただけでマズいだろうからお姉ちゃんは相性悪いだろうし」
    「あ、葵……無理だけはしたらアカンで」
     葵は振り返り、何のことかと視線を持ち上げる。
    「え? ……あ、そういうこと? 大丈夫、無茶はちょっとだけに留めるから。危ないと思っても来ないでよ?」
    「ちょっとも駄目やて!」
     茜の叫び声を無視して、葵は氷の不死鳥の元へ歩く。
    「────」
     明確に、葵へと意識を向けたことが分かった。
     葵は見上げる。
     脳に響く、甲高い咆哮が辺りに響いた。
     何とか対話を試みようとしていた葵だったが、氷の不死鳥は翼を振りかぶる。
    「くっ!」
     そして氷の不死鳥は翼を振り、風を起こしたと思えば。
     氷柱の波が地面を這うように、葵へと襲い掛かる────!

     すぅ、と葵の心境が凍り付いていく。
     心はしばしば、火や炎、水たまりと比喩されるが、今の葵の心情風景は──生命の絶えた極寒の銀世界。
     この世全てを、感情、私怨、あらゆる琴葉葵というフィルターを介さず、ありのままを捉えられる感覚。
     飲まれれば死ぬ。そんな恐ろしい氷が迫るにも関わらず、葵は寝起きでボソリと時計の時間を読み上げるように、呟く。
     
    「────”私は、銀世界をただ独りで歩く”」

     それは詠唱だった。
     まず変化が見られたのは、髪。
     気づけば、蒼い髪色は白が強くなっていて、キラキラと氷の粒が付着し、日光を反射して輝いている。
     魔力が漏れ出しているのか、薄く白煙を身に纏っている。
     これが葵の氷魔法の力を引き出した姿であった。
     葵は迫りくる氷柱を見つめる。
     ──冷気、魔力がそのくらいなら。
    「────”召喚:銀世界の竜”……お願い」
     葵の前に掲げた右腕から大きな魔力の動きが起こった。
     すると前方にゲートが生成、白煙と共に現れるは──全身を氷で構成された飛竜。
     サイズこそ氷の不死鳥には及ばないものの、その咆哮は大地を揺らす。
     雄叫びと共に、銀世界の竜は白銀の光線──冷気を込めた魔力を口から放った。
     間もなく氷の不死鳥の氷柱と衝突する──!
    「…………」
     光線が氷柱を食い止める……かと思いきや、じわじわと押されている。
     このままではいずれ、銀世界の竜もろとも葵は飲み込まれてしまうだろう。
     それを凍てついた冷静さで把握した葵は、右腕に更に魔力を込めた。
    「頑張って」
     銀世界の女王の加護を受け、気張らないしもべが居るものか。
    「────────!!」
     銀世界の竜が吐き出す光線の威力が増した。
     そして今度こそ、逆に氷の不死鳥の氷柱を飲み込んで──凍り付かせていた。
     葵は光線を止めた竜の足元へ向かい、左手で優しく撫でる。
    「お疲れ様、ありがとう」
     銀世界の竜はまるで頷くような仕草を見せ、身体が魔力へと変化、やがて空間へと霧散していった。
     氷の不死鳥は地面に降り立った。それだけで地面が揺れ、川の水面が荒れ狂う。
    「…………」
     葵は顔を見上げ、見つめる。
    「──その力……どうやって手に入れた?」
     頭に響く声だった。いや、人間のように声帯を介して発生したかも分からない。
     葵は答える。
    「まだ小さな頃、よく分からない妖精が自分勝手に送り付けてきたんです。そんなことより……とりあえず、お話を聞いていただけますか」
    「──構わぬ」
     葵は二人を呼ぼうと振り返ると──
    「葵っ!!」
     飛び込むように、茜が葵の両肩を掴んだ。
    「大丈夫か!? ウチのこと分かるか?」
     葵はキョトンとして、やがて、微笑む。
    「うん、平気。これくらいなら制御できるようになったよ」
     茜は葵の瞳に光があることを確認して、心底安心したように、大きく息をついた。
    「はぁ~~良かった! またあの時みたいになったらどうしようかとヒヤヒヤもんやったで」
    「心配かけてごめん、でもこうしないと危なかったから」
     葵の髪色がじわじわと元に戻っていく。
     茜の後を走ってきたゆかりが、息も絶え絶えに、言う。
    「あ、葵さん、今のは……?」
     葵は頭を掻く。
    「あー、まあ、ゆかりさんなら話してもいいかな。後で教えますけど、絶対に秘密ですよ」
     そう言って、葵は再び氷の不死鳥に向き直り、
    「でもその前に、まずは事件調査の協力をお願いしましょうか、警察さん」

      △△△

     数日後、ロイドボイス、とあるスイーツ店。
     午後三時頃、おやつの時間である。
     葵はONEとの約束通り、一緒に食事をしていた。
    「それでどうなったんですか?」
    「とりあえず事情を話して調査させてほしいって頼んだよ。受け入れてくれたから、一旦私たちだけで調査したらすぐに諸悪の根源は見つかって」
     ONEはケーキにフォークを刺して、ぼんやりと言う。
    「へぇ、ということは霊脈から魔力を吸い取っている犯人が居て、それに怒った神獣が生き物を襲い、魔力を補充していたというのが真相ですか」
     葵はチョコミントのショートケーキを咀嚼し、頷く。
    「うん、今回はちょっと調査の視点が行ったり来たり、検討違いな方向ばかり気になってたから苦戦しちゃった」
     あの後、魔力を奪い取る禁忌魔法を解除して、魔力を元に還すと、氷の不死鳥は怒りを鎮め、その姿を消したのだった。
     ONEは尋ねる。
    「それで、犯人を捕まえてめでたしめでたし、てわけですね」
    「え? 犯人は捕まってないよ?」
     ONEは顔を上げ、のんきな顔で、言う。
    「へっ? 仕事が終わったって……」
     葵はフォークの柄尻をONEに差し、諭すように言う。
    「いい、ONEちゃん? こんな格言があって──『誰でもよかったは完全犯罪への近道である』。私の師匠、マスターの言葉だよ。今回は無差別ではないかもしれないけど、禁忌魔法を発動してから時間も経っちゃって、ゆかりさんでも全く跡が追えなかったし、探すだけ無駄だよ」
    「探偵って……」
     ONEの呟きを聞いて、葵はニヤリと笑う。  
    「それこそ、もしONEちゃんたちが尻尾を掴んだら、私に教えてよ。証拠探して、警察に突き出すから」
    「それこそ探偵の仕事じゃないですか! ……それにしても、犯人は何がしたかったのでしょうね?」
    「さあ? どうせろくでもない魔法を実験するための材料集めでもしてるんじゃない? ん~! 美味しい!」
     ONEは気が緩みっぱなしな葵に、この人大丈夫だろうかと顔をしかめた。
     ふと、話題を切り替える。
    「ところで葵さん、ウチのばか姉用の茜さんのサイン色紙は……」
     身をよじっていた葵はぴたりと静止する。
    「……あ」
    「あ、って。忘れちゃいました? まあそれならまた今度で──あっ」
     ONEは店の外を向く。葵は釣られてONEの視線の先を見る。
     物陰から顔を出し、じぃ~~と葵を睨みつけるIAの姿が映った。
    「うわ、あれ多分、葵さんがサイン忘れたの気づいてますよ」
    「え、ちょ、どうしよう、また噛みつかれちゃう!」
     葵は逃げようかと席を立ちあがる。
     すると、救いの神が舞い降りた。
    「──あっ、お姉ちゃんだ!」
     何という奇跡。偶然、茜が店の前を通りかかっている。
    「あ、本当だ」
     ONEも気づいた。
     葵は必死に手を振って、小声で言う。
    「お姉ちゃん、気づいて!」
     想いは通じた。茜は店内の葵に気づいて、手を振り返す。
     カモンカモン、と葵はジェスチャーで伝える。茜は少し戸惑いながらも、店の入り口へと向かい始める。
     その一部始終を見ていたIAはといえば────気づけば、居なくなっていた。
    「姉ちゃん、また逃げたな……」
    「あはははは! 今回は私の勝ちだね、IA!」
    「んん? 一体どうしたんや?」
    「何でもないよ、ただ、お姉ちゃんに憧れるファンが居ただけ」
     呼ばれて入店した茜は、状況を把握できず、ただ首を傾げるのだった。
     
       
     
      
      


     
      
     
      
     
     
     
      
     
      

     
     
     
     
     
      
     
     

     
     
     
       
     
     



    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。