いっちさん のコメント
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上半期最後の月になりました。
日中は半袖で過ごすことが多くなり、日傘や日焼け止めが鞄の中で陣取っています。
日が暮れるとひんやりと夜風が腕に纏わりついて春がそこに居たんだと移ろいが身に染みます。
六月の和名は水無月と言いますね。
梅雨なのに水が無い月?となりますが、そうではないみたいです。
水無月の無は連体助詞の「な」で「の」に変換でき「水の月」という文体で見ると真逆の意味になるんですね。
諸説はありますが、田植えで水を引く時期ですし梅雨ももうじき迎えます。
そう考えると水の月というのも頷けます。
でも無という字を使うのはなぜだろう。。
昔聴いていた曲を不意に聴きたくなる時があります。
最近は黒子のバスケの一期OPとなったGRANRODEOさんの「CAN DO」をよく聴きます。
小学生の頃バスケ部に所属していたこともあり黒子のバスケは流行の最先端でした。
スラムダンクではなく黒子のバスケが
神無月も神様が出雲に集まるから「無」が使われている
というのは後付けの俗説で、
沢口さんが仰るように連体助詞が関係しているようですね。
全訳漢字海という辞書には
『「無」という字は~中略~文のリズムを整える言葉で実質的な意味はない』とありました。
無という字は当て字で使われている可能性も考えられますね。
言葉って奥が深くて面白いなぁって思いました。
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