私的人間失格 第一の手記
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 私的人間失格 第一の手記

2019-08-17 22:47

                  

     恥じの多い生涯を送って来ました。
     自分には、他人の生活というものが、見当つかないのです。自分は九州のドと言われるほどの田舎に生まれました。小学生の頃でしたか、そこからよく何十キロもある大きな街に、車で親や兄弟と一緒に度々行くことがありました。それは、親戚のうちに寄るときや、買い物で行くことが多かったのですが、病院やよく分からない用事で行くこともありました。その大きな街は、飛ばしても1時間はかかるような街です。歯医者などの一般的な病院なら、30分程度で行くことのできる小さな街にもありました。しかし、母は結構な頻度で、自分を連れてその遠くの街の病院や商業施設に買い物に行くことが多かったのです。当時はあまり深く考えず理解できなかったのですが、今思えば理解できます。その理由とは、ずばり家にいたくなかったからです。母は実家を出て農家の家に嫁ぎました。やはり所詮他人の家ですから、いづらいはずです。その頃母と、父方の母と父との関係はあまりよくありませんでした。喧嘩のようなものも時折していました。だから、言い方が悪いですが、何かと理由をつけて遠方に行き、現実逃避ならぬものをしていたんだと思ったのです。
    また、自分は、暴力や怒りというものを知りませんでした。いや、それは、相手に暴力を振るう、怒るという感情がないという意味ではなく、その感情が出ても実際行動に出てしまう思考がさっぱりわからなかったのです。当時の友達や学校の先生は、何かあるごとに叩いたり怒ったりしていました。そんなにひどくは無かったのですが、気に入らないことがあると殴ったり蹴ったりする人もいました。自分は体が小さく、大人しいのでそういう標的になりやすかったのです。そういう輩に仕返しなるものを考えた方ことはいくらでもあるのですが、実際目立った行動することはありませんでした。しかし、やられっぱなしだとそこらへんにいるイジメられっ子と同じです。自分は、当時から今でもあまり変わっていませんが、一泡吹かせることが好きでした。そんな自分がよくやったイジメっ子の仕返しといえば、相手にそう思わせといてやらないことです。例えば、パシリにされて、ある物を買ってこいと言われ、わざと別の物を買ってくるという類です。相手は当然怒ります。でも、その怒った様子がおかしく、家路に帰るときなどに思い出し笑いをして、楽しんでいたこともありました。
                       
                                   続く

                       (この話は事実に基づいたフィクションです)


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