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記事 4件
  • 情報と情熱のあいだ

    2018-05-30 07:00  
    100pt
    会社を増床してカフェスペースができたので本棚を新たに設置した。本棚というのは地味に重要だと思う。これまで買いためた技術書はもちろん、写真集や同人誌、外国の本など、僕が独断と偏見で集めた蔵書が自慢である。本というのは、基本的に眺めるだけで価値がある。眺めるためだけに本を置いてもいいくらいだ。改めて蔵書を見てみると、面白いタイトルの特集を見つけた。10年ほど前の日経サイエンスの記事だ。この記事によると、量子宇宙は過去から未来へとただ分裂していくのではなく、未来から過去へと導かれているのだという。物理の世界にはこの世はできた瞬間から結末が決まっている、という考え方がある。反対に、人間の意志で世界はどうにでも変えられる、という考え方もある。現在を形作るエネルギーなり理由なりが、過去からの蓄積だけであるという考え方に反して、未来からも影響を受けているという考え方そのものは、リチャード・ファインマンも
  • 自然言語と手書きの類似性

    2018-05-29 07:00  
    100pt
    誰も賛成しないと思うが、ふと、手書きと自然言語には共通点があると気が付いた気がする。どういうことかというと、手書きと自然言語には共通した欠点があるのだ。それは、不完全性である。手書きされた文字は、読めないことが多い。もちろん読めるように書くこともできるが、自分にしか読めないような字を自分にしか読めないようなスピードで書くことはけっこうあるはずだ。特にホワイトボードなんかだとそのあたりが顕著である。さらにいえば、ホワイトボードには文字だけではなく数式や図を描くことが多い。むしろ図だけを書いているのかもしれない。会議などで、その場にいる人にしかわからない文字というのがある。あとからプリントアウトなり写真なりを見ても、その場を共有していないと、なにが書いてあるのかわからなくなることはよくある。最近、VRカメラでいろんなものを撮影していて気づいたのは、食べ物を撮影しておいて、あとから見ると、その食べ物の味を鮮明に思い出すことだ。要は体験を思い出すための情報量が、実はVRカメラで撮影された映像は圧倒的に多いのである。肉の大きさ、器の大きさ、柔らかさ、といった情報が思い出され、それが鮮烈な記憶を呼び覚ますキーになる。人間はすべての情報を覚えられないから、記号化して長期記憶化する。記号化された記憶は、たとえば「肉、美味かった」しか残らないかもしれない。食べ物の味や香りが鮮明に記憶に残るというケースはむしろ少数派であるはずだ。しかしVRで記録しておくとその記憶が呼び覚まされる。そこが実はVRカメラの本当にすごいところなのではないかと思うのだ。 
  • 「おまえの日本語は間違っている」という考えが間違っているのだ。今や、きっと、たぶん

    2018-05-28 12:20  
    1pt
    「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」という文章が伝わらないと嘆いてるツイートを見たが僕も何を言ってるのかよくわからない。
    というような書き込みが流れてきて、「あーあ」と思った。でも残念なことに、僕もどちらかというと、そっち側の人間だった。「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」という言葉は、日本語として文法にツッコミどころがあるかもしれない。「そんな日本語はない」というセリフは、よく言われたし、残念ながら僕も言ったことがある。なんでそんなふうに考えてしまうのか、自分なりに分析してみると、要は「言語の厳格な運用」が可能であるという仮説があるからだ。実際それは可能だ。そして、厳格な運用をしなければどうにもならないものもある。プログラミング言語だ。プログラミング教育によって得られる恩恵が「言語の厳格な運用」だとすれば、その弊害は「あらゆる言語に厳格な運用を期待してしまう」というものかもしれない。しかし大多数の人たちは厳格な運用などしていないので、これはプログラミングの間口を大幅に狭めることになる。自然言語解析がどうして限界が低かったのか。現実に、厳格に運用されている日本語などほとんどないからだ。契約書の条文や法律の条文くらい慎重かつ丁寧に練られた文章であっても、齟齬やツッコミどころはある。自然言語解析は、「厳格に文法にのっとった文章」にしか使えない。てにをはを省略したり、新語には対応できない。しかし現実の世界では、奇妙奇天烈な新語や珍語が日々生まれているし、コミュニケーションの進化にとって新語が生まれることはむしろ自然な現象であるとも言えるはずだ。「新語やスラングなどは、知能の劣った人間しか使わないから顧みる価値はない」というのが昔の価値観の根底にあったのかもしれない。しかしTwitterが普及した結果、権威と言われるような人物でも厳格な日本語の運用をするのが極めて困難であることがわかった。知能の高い低いに関係なく、新語や珍語は発生するし、運用される。新語や珍語は従来のような、特定の年齢層や地域のコミュニティに閉じられたものではなく、自然発生しては猛烈な勢いで全世界に拡散されるような性質のものに変わっている。たとえば昨年マストドンが流行ったときにうまれた「おはドン」という言葉は、何の説明を受けなくても日本人ならそれは「おはよう」と「マストドン」が隠されていると想像できる。従来の形式的な自然言語解析では、このような主語も述語もない新語は誰かが辞書に登録するまで理解することはできなかった。挨拶などどうでもいいと思うかもしれないが、挨拶はコミュニケーションの第一歩である。挨拶すらきちんと認識できないようなものが知能情報を処理していると言い切れるだろうか。深層学習を用いた言語解析なら、新語にも対応できることがドワンゴのニコニコ生放送によって示された。文字単位のLSTMを使うと、極めて短い文字列でも、それがネガティブなものかポジティブなものか判定できることが分かっている。それに関しては昨年マストドン用クライアントNaumanniを開発したときに、実際に「クソリプ」かどうかを判定するときも役立った。そもそも自然言語というのは、まさしく自然に発生した言語を指すのであって、日本語の文法と呼ばれているものは、あとづけで理解され、解釈された仮説の一つに過ぎない。実際、日本語自身も変化しているし、時間をかけて意味が変化したり、誤用がそのまま広まってしまったりした言葉は無数にある。我々の世界で有名なのはVirtualを仮想と誤訳してしまって、それがそのまま広がってしまったという事件だ。実際にはVirtualには「かりそめの」とか「現実には存在しない」という意味はなく、「エッセンス」とか「本質」という意味しかない。Virutual Realityは、「本質的な現実感」を意味する言葉であり、「嘘の現実感」を意味しない。Virtualが最初に誤訳されたのは、IBMがVirtual Memoryを翻訳したときだが、Virtual Memoryを仮想記憶と誤訳してしまったのが広まっていったと言われている。そうすると、実のところ、おなじ「VR」という言葉でも、欧米圏と日本語圏では微妙に異なるイメージを持っていることになる。日本人にとってVR=仮想現実感とは、あくまでもニセの体験であり、本物ではないが、欧米人にとってのVR=Virtual Realityとは、現実感の本質を取り出して純化させたもの、という意味合いになる。これは例えばVirtual Realityコンテンツにも如実に現れていて、欧米圏では圧倒的に360度動画が多い。これは現実世界であっても、「本質的な体験」のエッセンスを取り出せば間違いなくVRと呼べるという感覚からうまれているもので、日本的な「仮想現実」という設定で考えると、そもそも現実を写真に収めて360度を見渡せるだけでは、「仮想現実」という言葉のイメージとはかけ離れてしまう。十年くらい前に、藤井直敬先生が理化学研究所でSR(代替現実感)という言葉を生み出した背景には、そうした「VR=仮想現実感」という誤訳とは異なる本質を説明したかったのだろうと今ならわかる。しかし、藤井先生がSRという言葉を作ったことによって、「それってVRと同じじゃね?」とみんなが思うようになり、結果的に日本語圏におけるVRとSRの区別をなくしたことは藤井先生の功績と言って良いだろう。それでも、日本人はいまだにVRというと、完全な嘘の世界を体験する、という発想が強くて、たとえばそれはVR ZONEというゲームセンターにいっても感じてしまう。そこにあるのはすべてCGで作られた「嘘の世界」の物語であり、本来はそこまでしなくても、もっと良い体験になりそうなものはたくさんあるのに、そこになかなかたどり着かないのは言霊が今も我々日本人の意識を縛っているからだろう。 

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  • 【ポエム】ルーローハンを食いに遠藤さんと金沢へ行く【食欲】

    2018-05-01 07:00  
    1pt
    君はルーローハンを知っているか?漢字では魯肉飯と書く。台湾料理である。台湾では一杯150円で食える庶民の常食だが、これが食える店が都内にはない。正確には、都内には「ルーローハン」と称する食べ物を出す店はあまたあるが、あれは台湾のルーローハンとは似て非なる食べ物であるその台湾に本店を持つ、ひげちょう魯肉飯の支店が、なぜか日本では唯一石川県金沢市にあるという。大の中華料理研究家である、カウボーイファミリーのご意見番、遠藤諭さんがそういう噂を知っているという。ならば行くか、加賀百万石!!というわけで行くことにした。東京駅で待ち合わせ、駅弁を買う。最近、すっかり明太子にハマっている自分としては博多めんたい弁当をチョイスするのは当然の流れだった。キレイなピンク色の明太子がウレシイ。しかしこれ、和牛要素いるかな。ちょっとToo muchじゃねえか和牛。美味いけど今回のメンバーは遠藤さん、俺、大先生、そ