作詞家はコード進行を教えるもの
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作詞家はコード進行を教えるもの

2020-11-29 03:45

    前回の続き。

    Buddies
                 櫻坂46

    (Yo) 元気かい?君に逢いたかったよ
    (Yo) ごらんよ、こんな真っ青な空
    (Yo) 世界は何も変わっちゃいない
    (Yo) 僕達はあの頃と同じだろう
    (Yo) 季節の風、花の香り
    (Yo) 緑の木々、漏れる日差し

    生きよう 生きよう 生きよう 生きよう 生きよう

    全てを奪った嵐はもう通り過ぎた
    (通り過ぎた)
    何事もなかったようにこの大地は穏やか
    (Everything is over)

    (Yo) ここには立ち止まってられない
    (Yo) 踏み出そう、今こそ自分の足で
    (Yo) 心は遠い何処かを見てる
    (Yo) 希望なんて本当にあるのだろうか?
    (Yo) 君とならばきっと行ける
    (Yo) 僕とならば辿り着ける

    歩こう 歩こう 歩こう 歩こう 歩こう

    We are Buddies We are Buddies We are Buddies
    We are Buddies We are dreaming
    We are Buddies We are Buddies We are Buddies
    We are Buddies 仲間だ
    We are Buddies

    何かを失ったって また明日は来るよ
    (明日は来るよ)
    悲しみの雨風は止み 新しい夜が明ける
    (The sun is rising)

    (Yo) ここからもう一度始めよう
    (Yo) 自由だ何も持ってないから
    (Yo) 僕らはどこへだって行けるさ
    (Yo) 絶望は涙と一緒に捨てよう
    (Yo) 君をずっと待ってたんだ
    (Yo) 僕をずっと待っていたか?

    未来へ 未来へ 未来へ 未来へ 未来へ

    We are friends We are friends We are friends
    We are friends We are feeling
    We are friends We are friends We are friends
    We are friends 友よ
    We are friends

    (Yo) 元気かい?君に逢いたかったよ
    (Yo) ごらんよ、こんな真っ青な空
    (Yo) 世界は何も変わっちゃいない
    (Yo) 僕達はあの頃と同じだろう
    (Yo) 季節の風、花の香り
    (Yo) 緑の木々、漏れる日差し

    生きよう 生きよう 生きよう 生きよう 生きよう

    We are Buddies We are Buddies We are Buddies
    We are Buddies We are dreaming
    We are Buddies We are Buddies We are Buddies
    We are Buddies 仲間だ
    We are Buddies

    櫻坂46 『Buddies』 - YouTube

    
    赤字で示したサビの部分が気になるんですがね。
    というのも、もしこの部分を歌詞をつけてくださいと依頼されたと仮定して、作詞家がこんな歌詞をつけるはずはないからね。多分自分ならサビ最初の「We are Buddies~」の部分は「素直に~」とか「笑顔に~」という言葉をあてるだろうし、他の作詞家も、似たようにするだろう。「We are Buddies~」というフレーズをただ連呼させることは絶対にしない。

    櫻坂46 『なぜ 恋をして来なかったんだろう?』 - YouTube

    では何故このような歌詞と曲との不一致が生まれるかと言えば、それは詞先曲だからなんだろう。つまり曲先で書けば上手い下手こそあれここまで酷くなることはない。しかし秋元康は無理矢理詞から書いているので、作曲家がメロディを間違える。だから歌詞と曲とが変になっている。つまりこの間違いは作詞家である秋元康側に極めて大きな責任がある。

    更にもっと言うならば、秋元康はコード進行の伝え方が下手なのだろう。一般的に詞から書く場合には、作曲家に良いメロディーが沸きやすいように書かないといけない。よく昔の作曲家が「阿久悠さんの歌詞はどんなメロディーを作ればいいか教えてくれる」なんて言われたように、良い詞先の作詞家は、ここは強くしてここは弱めで、この部分は悲し目にして最後は壮大で明るめにというように、曲の作り方のメッセージを教える力がある。

    でも秋元康の歌詞からは、全然そういうメッセージが伝わって来ないんだろうね。いや、あるいは作曲家的に無理なコードを歌詞で要求しているからなのか。とにかく無茶苦茶で意味不明なメッセージを受け取った作曲家が、結果として歌詞と合わない曲を作ってしまうんだろう。思うにそんな作詞家が、恋するフォーチュンクッキーを詞から書けるとは思えないんでね。その点でも代筆を雇っていた可能性は、極めて高いと思うよ。
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