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前回の続き。
とまと船さんからコメントいただきましたので、それにお返事しますね。
まず仰られるように比較生産費説を適用した場合には、両国において生産が効率化されるので、全体の生産量は増えることになりますね。
しかしだからといって、必ずしもオールラウンダー型の先進国の生産量が減るとは限らないわけです。実際出していただいたURLの例においても、オールラウンダー型のイギリスは生産量を2から2.25に増やしているわけですので。
ただし生産量が減らず赤字にならなかったとしても、差が詰まったり広がったりことがあるわけです。例えば先ほどの例を見ると、特化する前においてはイギリスとポルトガルの生産量は2単位で一緒だったのにも関わらず、特化を行ったせいでイギリスは2.25単位、ポルトガルは3単位と0.75単位の差がついてしまっている。
そうなるといくら全体の生産量が増えたからと言っても、手放しでは喜べないだろうということです。相手国の国力が高まれば自国にとっては脅威になりますから。政治的軍事的圧力が高まったり、自国企業がシェアを奪われ苦境に陥ることが考えられる。
だから相手国とのリードをキープするためにも、産業の特化には慎重になった方が良いということです。そして
>ココで疑問なんやけど、生産量は、その生産物の種類によらず、量に比例したお金を生み出すと捉えてしまってええのやろか?
とのことですけど、議論を分かりやすくするために、遼に比例したお金を生み出すと捉えるのが一般的ですね。つまり参照urlの例では、ワインとウールは等価値と仮定されています。
>実際問題は、先進国は途上国に対し、常に貿易赤字ってわけでもない気がしたからなのぜ。
そうですね。必ずしもリカードが言うような産業の特化は行われてはいないでしょうから。必ず貿易赤字が発生するということにはならないですね。
ということで質問への回答を終わるのですが、でも考えてみると比較生産費説には不可解な点があるんですよね。というのも比較生産費説はよく「自由貿易を推進するための理論である」などと言われることがあるんですけど、でも比較生産費説は前述のように産業の特化をしようという話なんであって、関税なしで自由に貿易しようという発想とは、本来は何の関係もないんではないですかね。
例えば日本のコメには高い関税がかけられているという場合、「その関税を無くして世界のコメと対等条件で戦わせようよ」というのが自由貿易ですけど、比較生産費説は「コメ農家は全員廃業しようぜ」というものであって、似て非なるものですよね。まあ確かに関税がなくなれば廃業する人は出るでしょうけど、でもその中でコメを作り育てようとする人達を徹底して粛清することを、自由貿易は求めているわけではない。
にも関わらず何故かどのサイトの説明を見ても、リカードの比較生産費説が、自由貿易を推進するための論拠として用いられている。これはおかしいと思うんですけどねえ。
とまと船さんからコメントいただきましたので、それにお返事しますね。
まず仰られるように比較生産費説を適用した場合には、両国において生産が効率化されるので、全体の生産量は増えることになりますね。
しかしだからといって、必ずしもオールラウンダー型の先進国の生産量が減るとは限らないわけです。実際出していただいたURLの例においても、オールラウンダー型のイギリスは生産量を2から2.25に増やしているわけですので。
ただし生産量が減らず赤字にならなかったとしても、差が詰まったり広がったりことがあるわけです。例えば先ほどの例を見ると、特化する前においてはイギリスとポルトガルの生産量は2単位で一緒だったのにも関わらず、特化を行ったせいでイギリスは2.25単位、ポルトガルは3単位と0.75単位の差がついてしまっている。
そうなるといくら全体の生産量が増えたからと言っても、手放しでは喜べないだろうということです。相手国の国力が高まれば自国にとっては脅威になりますから。政治的軍事的圧力が高まったり、自国企業がシェアを奪われ苦境に陥ることが考えられる。
だから相手国とのリードをキープするためにも、産業の特化には慎重になった方が良いということです。そして
>ココで疑問なんやけど、生産量は、その生産物の種類によらず、量に比例したお金を生み出すと捉えてしまってええのやろか?
とのことですけど、議論を分かりやすくするために、遼に比例したお金を生み出すと捉えるのが一般的ですね。つまり参照urlの例では、ワインとウールは等価値と仮定されています。
>実際問題は、先進国は途上国に対し、常に貿易赤字ってわけでもない気がしたからなのぜ。
そうですね。必ずしもリカードが言うような産業の特化は行われてはいないでしょうから。必ず貿易赤字が発生するということにはならないですね。
ということで質問への回答を終わるのですが、でも考えてみると比較生産費説には不可解な点があるんですよね。というのも比較生産費説はよく「自由貿易を推進するための理論である」などと言われることがあるんですけど、でも比較生産費説は前述のように産業の特化をしようという話なんであって、関税なしで自由に貿易しようという発想とは、本来は何の関係もないんではないですかね。
例えば日本のコメには高い関税がかけられているという場合、「その関税を無くして世界のコメと対等条件で戦わせようよ」というのが自由貿易ですけど、比較生産費説は「コメ農家は全員廃業しようぜ」というものであって、似て非なるものですよね。まあ確かに関税がなくなれば廃業する人は出るでしょうけど、でもその中でコメを作り育てようとする人達を徹底して粛清することを、自由貿易は求めているわけではない。
にも関わらず何故かどのサイトの説明を見ても、リカードの比較生産費説が、自由貿易を推進するための論拠として用いられている。これはおかしいと思うんですけどねえ。
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akiさん、お返事ありがとうございますのぜ!
前記事で参照したブログで、色々な読み飛ばしがあって誠にセンセンシャル!ご回答のとおりと理解できましたのぜ!(淫夢用語なら読み飛ばさない目を持ってるんやけど・・・比較優位な淫夢モノ書きにシフトした方が有利?)
>リカードの比較生産費説が、自由貿易を推進するための論拠として用いられている。これはおかしいと思うんですけどねえ。
確かに、「比較生産費説が成り立つから自由貿易」というのは変やねっ!どちらかというと、「自由貿易にした結果、比較劣位の業種の人が食えんようになって、結果的に比較優位に転職する」・・・または、「自由貿易が成り立っている環境のもとでは、比較生産費説に従って、特化させたものを輸出した方が良い」ということなんやろかね。
前記事で参照したブログで、色々な読み飛ばしがあって誠にセンセンシャル!ご回答のとおりと理解できましたのぜ!(淫夢用語なら読み飛ばさない目を持ってるんやけど・・・比較優位な淫夢モノ書きにシフトした方が有利?)
>リカードの比較生産費説が、自由貿易を推進するための論拠として用いられている。これはおかしいと思うんですけどねえ。
確かに、「比較生産費説が成り立つから自由貿易」というのは変やねっ!どちらかというと、「自由貿易にした結果、比較劣位の業種の人が食えんようになって、結果的に比較優位に転職する」・・・または、「自由貿易が成り立っている環境のもとでは、比較生産費説に従って、特化させたものを輸出した方が良い」ということなんやろかね。