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【第155回 直木賞 候補作】『海の見える理髪店』荻原浩
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【第155回 直木賞 候補作】『海の見える理髪店』荻原浩

2016-07-11 11:59
     ここに店を移して十五年になります。
     なぜこんなところに、とみなさんおっしゃいますが、私は気に入っておりまして。一人で切りもりできて、お客さまをお待たせしない店が理想でしたのでね。なによりほら、この鏡です。初めての方はたいてい喜んでくださいます。鏡を置く場所も大きさも、そりゃあもう、工夫しました。

     その理髪店は海辺の小さな町にあった。駅からバスに乗り、山裾を縫って続く海岸通りのいくつめかの停留所で降りて、進行方向へ数分歩くと、予約を入れた時に教えられたとおり、右手の山側に赤、青、白、三色の円柱看板が見えてくる。
     枕木が埋められた斜面を五、六段のぼったところが入り口だ。時代遅れの洋風造りだった。店の名を示すものは何もなく、上半分がガラスの木製ドアに、営業中という小さな札だけがさがっていた。
     人が住まなくなった民家を店に改装したのだろう。花のない庭には、支柱も鎖も赤く錆びついたブランコが置き忘れられていた。ドアの両側には棕しゆ櫚ろの木が番兵のように突っ立っている。
     これから髪を切るというのに僕は、ガラスに映る髪の乱れを直す。ボタンダウンシャツの第二ボタンを留め、細く息を吐いてからドアのノブに手をかけた。モビールチャイムが赤ん坊をあやす玩具じみた音を奏でた。
     店の中は古びた外観を裏切るたたずまいだった。こぎれいで、清潔で、整然としている。浮かし模様のある白い壁紙はアイロンをあてる前の洗い立てのシーツのようで、よく磨かれたダークブラウンの床はスケートリンクにだって使えそうだ。ラベルの向きがきちんと揃えられた薬剤の容器が、完璧主義の演出家に立ち位置を決められた舞台役者に見えた。
     店主は客用の椅子の脇に付属品のように立っていた。予約時間を見越して、僕が来る前からずっとそうしていたのかもしれない。自分のヘアスタイルには頓着がないのか、白髪のめだつ髪を染めもせず、短く刈りこんでいる。高齢だが背筋はしゃきりと伸びていた。
     椅子に座るなり白い上掛けを着せかけられた。他人に、それも自分よりずっと年上の人間に袖を通してもらうのは、小さな子どもになったようで気が引けて、片袖には自分から手を突っこもうとした。が、向こうの動きのほうが素早かった。場所はすぐわかりましたか。問いかけられたから、頷いた。そうしたら唐突に話しだしたのだ。ここに店を移して十五年になります、と。

     お客さまは、この町の方じゃありませんね。いえ、なんとなく。身なりもきちんとされてらっしゃいますし。どちらからお越しになられたのですか。ああ、それはそれは。こんな田舎までどうも。インターネットってやつですか、私はパソコンはからっきしですけれど、ここが少々噂になっているなんて話は、人づてに聞いています。長くやってるっていうだけの年寄りの店を面白がって、遠くから来てくださるお客さまがいらっしゃるのは、まぁ、ありがたいことです。

     ありがたい、口ではそう言っても、本当は迷惑がっているふうに見えた。鏡に映る店主の顔には、ほかの表情が想像できない完璧な微笑みが浮かんでいるのだが、唇の両側に深く刻まれている笑い皺じわが、目尻にはなかった。
     髪に温水がスプレーされ、頭に蒸しタオルが載せられる。
     床屋で髪を切るのは何年ぶりだろう。高校を卒業してからは、流は行やりのヘアスタイルにしたくて、いつのまにか美容院でカットするようになった。なにしろ行きつけだった床屋のオヤジは、いつも僕の髪を自分と同じ七三分けにしようとするのだ。
     店主がタオルを頭皮に押しつけてくる。熱い、と声を漏らしそうになるほど熱い。だが、不快じゃない。そうそう、この蒸しタオルの、毛穴のひとつひとつにしみ入る熱さが床屋の醍醐味だったっけ。久しく忘れていた懐かしい感触だ。
     蒸しタオルからはかすかにトニックの香りがした。この匂いも懐かしい。大人の匂いだ。子どもの頃、床屋へ行くたびに、自分の知らない世界の手がかりのように嗅いだ、大人の男の匂い。

     どのようにいたしましょう。お客さまはお若いから、ふだんは床屋をご利用になっていないのではありませんか。ええ、わかりますとも。美容師さんと我々では切り方が違いますから。こんな田舎の床屋までわざわざ来られるなんて、何か思うところがおありなのでしょうか。
     失礼、よけいな詮索でした。何かを決断したり、変えようとする時に、床屋に行く、そういう方、案外に多うございますもので。長年この商売をやっていて私、つくづく思うのです。転機に髪を切るのは女性の専売特許ではなくて、男も同じだと。
     ご心配なく、古めかしい髪型にはいたしませんから。なんなりとご希望をおっしゃってください。

     髪型にあれこれ注文をつけるのは苦手だ。いまの髪を少し切り戻すだけで。いつもの言葉を口にしかけたが、トニックの香りを嗅いでいるうちに気が変わった。
     せっかく評判の理髪店にやって来たのだ。僕は言ってみた。どんな髪型がいいでしょうか、お任せしてもいいですか。そのとたん、店主の目尻に皺が浮かんだ。

     嬉しいご注文ですね。床屋冥みよう利りにつきます。ですが、お任せいただくなんて、とんでもない。ちゃんとご相談のうえで切らせていただきます。
     そうですね、お客さまは細ほそ面おもてでいらっしゃるから、もう少し両サイドにふくらみをもたせたほうがいいかもしれませんね。利き目はどちらですか。右ですね。では分け目も右にいたしましょうか。人の視線というのは分け目のほうに向くものなんです。利き目と視線が合えば、その方の表情もいきいきして見えますので。
     どんなお仕事をされているんですか。立ち入ったことをお聞きするつもりはありませんが、大勢の人と接する仕事なのか、清潔感が大事な仕事なのか、信用が第一の仕事なのか、そのあたりだけはお聞かせください。仕事の柄とでもいいますか。
     男の髪というのは、仕事の柄によって変えるべきだと私は思うのです。お顔だちや服装にだけでなく、日々の仕事にも髪型を合わせるべきではないでしょうか。昨今はほら、スポーツ選手とホストとの見分けもつきませんものね。古い考えですけれど。
     グラフィックデザイナー? ああ、なるほど、本や雑誌なんかのデザインをねぇ。

     店主が僕の前髪をひと束つまみ、指先でさすった。小さく頷いてから、頭全体を骨董品の壺でも扱うような手つきで撫でまわしはじめる。ときおり首をかしげていた。毛質や頭の輪郭を確かめているのだろうけれど、この店で髪を切るのにふさわしい人間かどうか、資格試験を受けている気分だった。
     妙な位置にある僕のつむじのところで、手が止まる。店主はひとしきり髪をまさぐってから、小さなため息をついた。何を言われるかと緊張したが、皺のひとつみたいな薄い唇から出たのは、僕の新しい髪型に関するいくつかの選択肢と提案だけだった。
     僕が口を開く前に、店主が反論を断ち切るように、いつのまにか手にしていた鋏はさみをかしゃりと鳴らした。そして、最終弁論といった口調で、たいていの方は、と切りだした。

     たいていの方は、なぜか、わざわざご自分に似合わない髪型をご希望になるのです。もうお若くないのに、若い頃のままの髪型をとどめようとなさったり、いかつい顔だちの方が、ヤサ男風の髪を望まれたり。私なんぞが言うのもなんですが、こうありたい自分と、現実の自分というのは、往々にして別ものなのでしょうねぇ。ちゃんと鏡に映っているんですけれど。



    ※7月19日18時~生放送
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