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芥川賞・直木賞の候補作を無料で試し読み!
2019-01-08 12:00新進作家の最も優秀な純文学短編作品に贈られる、「芥川龍之介賞」。 そして、最も優秀な大衆文芸作品に贈られる、「直木三十五賞」。日本で最も有名な文学賞である両賞の、
ニコニコでの発表&受賞者記者会見生放送も17回を数えます。
なんと今回も、候補作の出版元の協力によって、芥川賞・直木賞候補作品試し読み部分のブロマガでの無料配信が実現しました。【第160回 芥川賞 候補作】上田岳弘「ニムロッド」 (群像十二月号)鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(新潮九月号)砂川文次「戦場のレビヤタン」(文學界十二月号 )高山羽根子「居た場所」(文藝冬季号)古市憲寿「平成くん、さようなら」(文學界九月号)町屋良平「1R1分34秒」(新潮十一月号) 【第160回 直木賞 候補作】 今村翔吾「童の神」(角川春樹事務所) 垣根涼介「信長の原理」(KADOKAWA)真藤順丈「宝島」(幻冬舎)深緑野分「ベルリン -
【第160回 直木賞 候補作】森見登美彦「熱帯」
2019-01-08 12:00第一章 沈黙読書会
汝にかかわりなきことを語るなかれ
しからずんば汝は好まざることを聞くならん
○
この夏、私は奈良の自宅でそこそこ懊悩していた。
次にどんな小説を書くべきか分からなかったのである。
奈良における私の平均的な一日はじつに淡々としている。朝七時半に起きて、ベランダから奈良盆地を見まわして朝日に挨拶、ベーコンエッグを食べ、午前九時から机に向かう。午後一時に執筆を切り上げ、昼食を取って少し休憩、夕方からふたたび机に向かって執筆以外の雑用や読書。午後七時になったら妻といっしょに夕食を取る。そして日記を書き、風呂に入り、グータラして寝る。執筆がうまくいっているなら何も言うことはない。
しかし書けないときには社会的に「無」に等しい。路傍の石ころ未満である。
あまりにも書けない日々が続くので、しばしば私はロビンソン・クルーソーの身の上に思いを馳せた。あたかも難破 -
【第160回 直木賞 候補作】深緑野分「ベルリンは晴れているか」
2019-01-08 12:00一九四五年七月、ドイツ ベルリン
Ⅰ
呼び鈴がけたたましく鳴らされ、私はコカ・コーラの瓶とコンビーフ・ハッシュの大皿を右A卓に、潰したじゃがいもの大皿を左D卓に置いて、音のした方へ向かった。つま先でターンすると、U.S.ARMYのロゴ入りエプロンの裾がひるがえる。
アメリカ軍の慰安用兵員食堂〝フィフティ・スターズ〟は夜のバータイムとあって盛況だ。昼間は作り置きの料理で大食らいたちを迎える配膳カウンターはバーになり、普段の芋洗い状態が嘘のようにしっとりした雰囲気の中、白いクロスをかけた丸テーブルが澄まし顔で並んでいる。濃い青色の照明にミラーボールの銀がきらめき、ホールの中央で女性と頬を寄せ合い踊る軍服姿の男たちの顔や体に水玉模様を落とした。ウェイトレスの私が空いた席のグラスや皿を片付けていると、再び呼び鈴が鳴った。尻が椅子からはみ出さんばかりに大柄なアメリカ兵が、太い指をくいくい曲げ、早 -
【第160回 直木賞 候補作】真藤順丈「宝島」
2019-01-08 12:00われらがオンちゃんは、あのアメリカに連戦連勝しつづけた英雄だった。
地元のコザでも、島の全土を見渡しても、ふたりといない豪傑だった。
焼けつくような暑さのなかで、オンちゃんはいつだって皆の先頭を走っていた。
あの夜もそうだったよな。
地元のさとうきび畑を突っきって、夜の天幕がひろがるヤラジ浜まで。
奪ってきた〝戦果〟をどっさり抱えて、四人そろって海辺へと出てきた。
濡れた砂は太陽の余熱を残していて、島の子たちの蜂蜜色の皮膚を汗ばませる。海岸線を下ったところにとっておきの場所があって、砂浜が高い岩場に囲まれたそこでなら、すぐそばの米軍基地からも見つからない。抱えてきた〝戦果〟には照明弾や信号拳銃が交ざっていて、オンちゃんがまっさきに撃ち上げた。シュボッと着火した青色の照明弾が、魚のように尾を振りながら頭上の星座めがけて駆け上がっていった。
雄々しい眉毛、角張ったあご、その美ら -
【第160回 直木賞 候補作】垣根涼介「信長の原理」
2019-01-08 12:00私たちがいま住む世界についての理解はもともと不完全であり、
完全な社会などは達成不可能なのだ。
ならば、私たちは次善のもので良しとせねばならない。
それは不完全な社会であるが、
それでも限りなく改善していくことはできる社会である ――ジョージ・ソロス
第一章 骨肉
1
少年は蟻を見ていた。
暑い夏の午後、しばしば飽くこともなく足元の蟻の行列を見続けていた。
しかし、そんな少年の様子に興味を示す者は、家中には誰一人としていない。
生まれた時から、異常に癇の強い乳児だった。
ひとたび何か気に入らぬとなれば、声を限りに泣き叫ぶ。周囲の空気を切り裂かんばかりであったという。泣き方にも乳児に見られる可憐さや愛嬌などは欠片もなく、ひたすらに周囲を戸惑わせ、苛立たせるだけだった。自然、奥向きの侍女はむろん、実母からも疎まれた。
ある時、この乳児がまたも疳の虫に襲われ、 -
【第160回 直木賞 候補作】今村翔吾「童の神」
2019-01-08 12:00序章
陽が欠けていく。蒼天に突如現れた何ものかに喰われている。凄まじい速さで影が地を進み、砂埃の立つ往来も、壮麗な寝殿造りも、分け隔てなく呑み込んでいく。
「天帝がお怒りじゃ」
牛車の物見が開き、公家が戦慄声を上げた。従者も天を指差し顎を小刻みに震わせる。
「京を離れるぞ」
大きな荷を馬に背負わせた行商人は、一刻を争うように轡取りに命じて来た道を引き返す。陽が消えていくのは京だけという保証もないのに。
奇怪な現象に怯えているのは、例外なく何かを「持つ者」であった。地位、領地、銭、物、その多寡こそあれ、それら全てをまとめ、栄華という言葉に置き換えてもよかろう。
飢えに堪えかねて蹲る男がいる。朝から春を売らんと男に媚びる女がいる。京の外から連れて来られ、放逐された。しかし帰るにも路銀がない、あるいは帰るところすらない。多くがそうした者たちである。
「お迎えが来た……」
男は己の膝に
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