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  • 宇宙よりも遠い場所: THE Place Further than the Universe

    2018-09-20 16:39
    そうだな、なんと書けばいいか。


    このブロマガを見ている幽霊の皆さん、お久しぶりです。
    諸君らはすでに死んでいるかもしれないが、私はまだ生きています。

    最近※になって、ようやくよりもいを全話視聴しましたが、
    解約していたニコニコ会員を復活して、今ここです。
    ※ この記事を書き始めたのは2018-09-20 16:39で、
    ※ 半年以上経過して2019-04-27 16:25にようやく書き終えました。ダラダラと書いているのはそのせいです。


    最初に「宇宙よりも遠い場所」という日本語の英訳を考えてみよう。
    公式的には、a place further than the universeとなっている。
    それはどんな場所か、どんな物語かの興味を寄せるいいタイトルだと思います。

    英語の中で、不定冠詞[a]は、「ある」の意味に近く、
    「ある、宇宙よりも遠い場所」という意味が付け足されることになる。
    それは最初には、中盤にも、たぶん、ちゃんと見てない人からしても、
    まぁ、そうなんじゃないの?というタイトルだと思う。確かに、誰かと、
    どこかに行きたいという願望が、キマリちゃんのモチベーションだった。

    では定冠詞にするとどうなるか。
    The Place Further than the Universe
    こう書くと、「あの、宇宙よりも遠い場所」という意味になる。
    不特定な、あいまいな、どこか行きたいのようなどこか、ではなく。
    ここじゃないどこかに行きたいって。

    どこかじゃない、南極だって。

    私、みんなと南極に行ってッ…!
    少しネタバレになりますが、これは4話らへんのキマリちゃんのセリフですね。
    この物語は、最初こそあいまいな、気まぐれそうに見えるが、
    貯めた水が一気に流れ出すような、すべてがつながっていくシナリオになっていて、
    まぁ、なんだ、あれだ。言い出すと止まらないのでまたあとに残しておこう。

    であるからして、日本語は、冠詞というものがないので、どっちにでも解釈できますが、
    英語はどっちにしか解釈できないので、最終的に英語タイトルは
    A Place Further than the Universe -- The Place Further than the Universe
    と、両方書いてもいいんじゃないかって思います。が、両方書くと強調することになるので、
    日本語のあいまいだけどあいまいじゃない!みたいなニュアンスともまた違います。
    翻訳って難しい。

    さてはて、それでは肝心のシナリオとキャラディスカッションに入りましょう。

    >> これ以下超ネタバレ有り <<

    1. Introduction
    最初に序論と行きます。
    Q. 本論文の背景
    近年、いいアニメが減少しつつあり、2018年でいきなり増えた
    Q. 本論文の目的は?
    A. よりもいがアニメ史上まれに見る、
    萌えカテの最強シナリオアニメであることを論述すること
    Q. 本論文の提案は?
    A. 本論文の提案は以下にまとめることができます。
    1. キャラづくりが非常にリアル
    2. シナリオの進行が非常にスムーズ
    3. 音楽とアニメーションの完成度は非常に高い
    4. エンディングでちゃんと終わる←ここ重要

    2. Character Design
    では最初に、かのガンナイトガールのようにキャラからと行きますか。

    玉木マリ
    いわゆる主人公ですね。ステレオタイプ的には元気いっぱい、脳内お花畑娘的な存在。
    違うんです
    記念すべき初主張で、これからおそらく何度も出てきますが、
    よりもいは普通のアニメじゃない。キマリちゃんは普通の主人公じゃない。
    キマリちゃんを見て、あーはいはいよくある熱血アニメですねーパスパスみたいな人、
    たまにいるじゃないですか。違うんです。違います。
    そうなの。全然違うんです。元気こそ元気だが、普通の人間です。
    脳内お花畑では全然ありません!

    人並み以上に繊細で、それでいて勇気を持って、踏み出す一歩のきっかけを待っていた。
    人に支えられるのではなく、人を支える人間になりたいと。
    自分の決定で、自分の意志で、歩みだすと。
    それを、言葉にして言うのではなく、
    最初に散らかっている部屋でベッドから落ちて、
    どこかにいく電車に乗ろうとしても学校に戻って、
    めぐっちゃんとの過去からの現在、そして絶交の直面して、
    そこから、新しい人達と、新しい旅に出る。
    そして最後の、「友達はたぶん、ひらがな一文字だ!」
    行動一つ一つ、物語一つ一つで、
    平凡ではあるが、勇気を持って前に進んだ人の成長を、
    鮮明かつリアリスティックに描くと同時に、そうした人間が、
    どのように成長したのかを、最後の最後でめぐっちゃんとの写真を見て、
    物語を結いだ。

    ここで重要なのは、玉木マリは決して最初から成功している人間ではないが、
    最期まで負けている人間でもないところです。
    最初は、どこか行きたいのに、結局学校に戻ってしまう、我らみたいな存在。
    最後は、南極に実際行った、すごい人に見えますが、
    最初のオーロラを見るという夢を実現せずに帰還し、また来るって決心してから、
    本当のオーロラが見えたポンコツ。いわば、我らみたいな存在だ。

    物語が進むにつれ、彼女は成長するが、彼女は最初から最後まで彼女自身であり、
    自身の力で、より違う自分に、ただしそれは自分が目指すものに、
    一歩だけだとしても、進んだという事実を、
    この旅で刻むことができたという描き方なので、キマリは
    自我
    を代表するキャラクターではないかと考えます。


    小淵沢報瀬
    マリちゃんはオレンジで、報瀬ちゃんの方が燃える赤なんですね。
    そのイメージカラーに答えて、外見こそクールだが、内側では燃えています。
    Semblance of Sanity[1]を引用すると、最初にキマリと出会った時の彼女は、
    「一生懸命消えかけた火種に吹きかけるが、そんな彼女もすでに疲れている」
    個人的には、最初というよりは、本当の最後まで、彼女は消えかけていた。
    そして鳳凰のように火を浴びて再び生まれる。
    [1] SOS Bros Reacts - A Place Further Than the Universe Episode 13 - Return Home

    小淵沢報瀬はものすごい面白いキャラクターだと思います。
    まず、少しお題から外して、正しさというものについて議論してみましょう。

    大体日本のアニメ主人公は、守る側に回りガチです。
    どういうことかと言いますと、主人公は必ず「正義」を「守る」側につきます。
    ちょっと滑稽だと思いますね。正義を挙げること自体は問題なく、
    自分が定義した正義のために努力して勝つのはとてもいいことだと思います。
    でも、守る、ってなに?奪う、のではなく?
    自分の道を貫くってことは、誰かの道を防ぐこととほぼ同義である。

    自分の目標、あるいは既得権益のために別の誰かの利益を奪うこと自体、いいと思います。
    しかし、それが「日常」で、「正しい在り方」であって、
    その正しい在り方を、何か邪悪な、よくないものから、
    守らなければならない」というのは、
    きわめて利己的で、偽善的で、卑怯で、気持ちが悪いと思います。

    それが結構いろんなのに入っていますよね。小説もアニメも映画もドラマも。
    意図的に入れている場合もあれば、無意識で自己主張がやたらと激しいやつもいます。
    結局、適当にシナリオを描くと大体そうなります。
    しかもそういうのは、一般受けがいいですかね、分かりやすいから。

    よりもいの「歪み」というのは、そういうところにあります。
    至って正当なテーマを扱っているこのアニメ。挑戦、友情、青春。
    ですが、小淵沢報瀬がそうであるように、このアニメの主人公たちは、
    「正しさ」を「守って」いない。

    強情で、意固地で、根に持つタイプの報瀬ちゃんは、
    いわゆる友情アニメの理想的人格者たちとはだいぶ違います。
    そして彼女はその事実を自覚しており、
    「意地になって何が悪いの、私はそうやって生きてきた」
    と5話で日向ちゃんに言っていました。
    なんというか、やはりゆるふわもえもえきゅんアニメなところがあるので、
    そこまでえぐいことをやっていなく、せいぜい人前で悪口言ったり、
    目標達成した時の最初の感想がざまぁ見ろ、だったりするぐらい。

    ですが、報瀬ちゃんを通して、よりもいはいくつか重要なメッセージをはっきり伝えている:
    1) 挑戦というは、必ずしもいい動機と目的があるわけではない
    2) 単に意固地になっているだけでも、人を傷つけても、信じる道を貫け
    3) 恐れるな、笑え
    彼女が高校生活をすべて費やして得られる百万円、
    友達を使ったセクシーアピール、初めて南極に行けそうになった時のうれしさ。
    そして実際南極に行ったときの、「ざまぁ見ろ」。
    その、行くことが不可能とも思えた、星の見える場所、宇宙よりも遠い場所。
    その母の眠る場所で、自分の意志で、自分の力で、自分の手で、自分の声で、自分の涙で、

    母に永別を告げた。

    脱帽ですね。

    一言でいえば、小淵沢報瀬は
    意志
    を代表するキャラであると思います。


    三宅日向
    私は日向が好きだ。

    私は、日向が、好きだ。

    好きなんだよ!

    よりもいのキャラクターの中で、彼女が一番愛おしく思いますね。
    のわりに、彼女について言えることはそこまで多くない気がします。

    知識と経験で自分を武装し、弱いくせにいつも強がろうとする。
    強く見せようとして失敗した時、弱い本当の自分が剥き出しそうになる時、
    逃げ弾正になる。とにかく逃げる。
    誰もいないところに逃げる、何もないところまで逃げる、南極まで逃げる。

    そんな彼女に必要なものを見せてあげたのが報瀬ちゃんだった。
    周りから指さされ、反対され、指さされても、南極に行く意志。
    パスポートをなくしても、百万円全部つぎ込んでも日程変更をする意志。
    「自分」のために「怒れる」意志。

    三宅日向は間違いなく変わってしまった。最後の彼女は相変わらず強気で、
    「手だけでいいって言っただろう」と、さぞ人を助けているようにも見えたその口調。
    しかし、その時彼女は確かに、助けを求め、それに頼った。
    一人でなんでもできてしまっても、時には、ほんの少しだけ、他人の力を借りる。
    人に支えられながら、強く生きることを覚えた。今まで以上に強くなることができる。
    彼女は囚われていたあの場所から、歩みだし、高校受験の前に、
    ちゃんと何かでかいことを成し遂げることができた。

    三宅日向は
    強さ
    そのものであると私は考える。

    白石結月
    結月ちゃんは、そうですね。
    個人的には比較的に味が薄かったんですね、最初は。
    正直最後も、お誕生日会で終わった結月のお悩みは、一番雲の上にあるというか、
    そもそも友情というのは、口先ではなく、実行動によって表すものだという趣旨とは、
    少し違った方向の進み方だったので、
    それがどうメインシナリオにフィットするかはよく見えなかった点はあります。

    表から見えるポイントとしては、彼女は仕事よりも友情というものを知りたいがために、
    他の三人を南極に誘った。
    結果としては、友情だけでなく、仕事の意味も、お母さんの気持ちへの理解も深め、
    本作の大きいテーマである「強い意志を持って自我を挑戦する」をよく表している。
    だが、その中から、彼女はどれかを強調しているというか、
    その中に一番どの概念をよく代表しているかという点では、結月は一番薄い気がします。
    悪い言い方をすれば、物語から彼女を導くことはできるが、
    彼女から物語を導くことはできないという点で、結構悩んでいました。

    Mother's Basementなどは、結構バッサリ切り捨てて、他のキャラの補強とか、
    つなぎ合わせみたいな言い方をしているが、
    私はそれをあまり納得できない。

    なので、日向ちゃんと報瀬ちゃんのように、
    結月ちゃんはキマリちゃんのセットキャラとして、
    考えた方がより自然じゃないかと思います。

    要するに、強さは意志の体現のように、友情そのものは、自我の体現であると考える。
    白石結月には、自我がなかった。三宅日向が意志を持たなかったように。
    彼女は「人の友達にどうすればなれるか」こそ考えたことはあるが、
    「どういう自分になれば、人を魅せることができるのか」を考えていなかった。
    なぜかというと、彼女にとっては、人を魅せることは仕事そのもので、
    それは友情ではなく、お母さんの言われたことをしているだけのことであると考えた。
    では、友達とはいったいなんだと問いかけた。

    自然に友達ができるキマリちゃんも実はそれで悩んでいた。
    いつも友達に支えられて、友達をちゃんと支えたこともなく、
    果たしてそれは本当に友達なのか、絶交って言われたら、そこれ終わりなんじゃないかって、
    だからキマリちゃんにもはっきりとして結月ちゃんの質問を答えることができず、
    それを結月自身が分かった時に、ひらがな一文字だということがキマリにも伝わった。
    それは即ち、契約書の用いらない
    信頼
    であることが、それを通じて二人はわかったような気がします。

    ファンからの信頼、お母さんからの信頼、友達からの信頼、
    そのすべてのものからの期待。
    それは金銭目的ではなく、単なる仕事による結果ではなく、
    間違いなく白石結月が自我を持って得られた友情そのものであるという、
    物語をつなぐことができる。

    2. Plot
    マンガやラノベを原作にしたアニメには共通の特徴があります。
    それは、最初こそ面白く、途中の展開も熱いけど、
    マンネリに終わるか、二期にご期待と言ってそれ以降ゾンビ化する。
    その原作をたどると、最初こそ面白く、途中の展開も熱いけど、
    売れたから無理やり5巻構成を15巻に伸ばしたり、150巻に伸ばしたりして、
    金対時間効率がマイナスになりそうなところでいきなり終わる。
    そういう傾向があります。全部が全部そうであるとは違いますが。

    個人的にアニメの一番好きなところは、はっきり終われるからというところがあります。
    何分マンガと小説とは違い、アニメを作るのに大変お金がかかるので、
    最初からエンディングを意識して作らないといけない制約となる。

    結果として、アニメオリジナルシリーズは大体ちゃんと終わる。
    ダリフラみたいなやつでも、それはそれでちゃんと終わっているので、
    なかなか終わらなくて見ることすら忘れてしまうぐらいマンガや小説よりは、
    よほどよくできていると思います。

    なんでこんなことだらだら書いているかというと、
    よりもいのストーリーは、マトリョシカのように、小さい物語が一つずつ終わり、
    その物語自体がより大きいテーマを描き、そのより大きいテーマも、
    テーマごとに終わり、全体の物語の起承転結を成す。
    それもまた、このアニメの趣旨である「繋がる」をエコーしているように思えます。
    さすがこれは褒めすぎではあると思いますが。

    いつもの日常にうんざりをして、
    なかなか踏み出せない自分にいらいらすることぐらいは誰でもあります。
    それで異世界だったり、空から女の子が降ってきたりしていますが、
    それは現実では到底起こり得ないことで、
    読者はその異世界ライフを羨ましく思いながらも、現実ではないから、
    自分には到底できることではなく、
    自分は努力をしなくてもいいという安心感に浸かって読むだけ読んでおく。

    逆に、普通の人が頑張って勝つというような熱血系シナリオを描く作品もたくさんあります。
    スポーツ系とか、僕のヒーローアカデミアとかが典型的にそういうタイプで、
    異世界ものとは真逆なアプローチで売れていますね。
    結果的に、この二つのジャンルの読者層は人種すら違ってきた気がします。

    よりもいはどっちかといえば、熱血系であると思われがちですが、
    個人的には、全く熱血系ではないと思います。
    一番の違いは、目的の正当性が全くないところにあると思います。

    熱血系は大体正義を守りたかったり、相手に勝てたかったりしてます。
    よくわからないが、彼らにとってはそれは命と引き換えにしてもなすべきことであり、
    平たく言えばそれは全然面白くないです。
    そりゃ、世界は君が守らないと崩壊してしまうんだって言われたら、
    やるしかねぇって思うけど、そんなことはまずないし、
    バスケットボールをやるために命かかってんだよって言われても、
    あそうですかで終わります。

    そういう極端な人には意味のある目標かもしれませんが、
    普通の人には全く理解ができない動機であると思います。

    じゃあ南極に行くのはそうでないのか。
    そうでないと思います。

    キマリはまず南極に行きたいと思っていなかった。
    彼女は、単純にどこかに行きたいだけですね。
    異世界にいかねって言われたら、異世界に行くと思います。
    報瀬ちゃんは確かに南極に行きたいっていつも言っていて、
    お母さんとお別れをしないとっていう典型的な極端な目的を持っていますが、
    最後まで観ると、それは違うとはっきりわかってくる。
    彼女は、人にバカにされて悔しくて、非常に攻撃的な性格になってしまって、
    いざ南極にたどり着いてざまぁ見ろって言ってしまうと、
    自分がそもそもなんで南極に来たのかがわからなくなってしまっていた。
    それは、お母さんとお別れをしないといけないが、どうすればいいかが、
    全然わかっていなかったですね。
    日向を言えばもっと分かり易くて、彼女は逃げるためにどっか行きたかっただけだった。
    結月はそもそも行きたくなかった。

    ここでよりもいの重要なポイントとしては、
    「目的を与える」のではなく、
    「目的を探す」のが、実際のストーリーになっている。
    彼女たち四人は、南極に行きたいから行ったんじゃなくて、
    何かを探していて、たまたま南極で見つかってしまった、そういう話なだけである。

    だから南極という概念にこだわっても全く意味がないことが見えてくる。
    よりもいが注目しているのは、あくまでも動機であって、結果ではないから、
    一般的な、最初からこいつバスケしたいだけやろってわかってて、
    最後になって主人公がようやくそれを理解して、
    勝って終わるような薄っぺらい話とは全然違います。

    何かしたいけど、何をしたらわからない。
    どこか行きたいけど、どこに行けばいいかが分からない。
    そしたら適当に南極というところを選んで、
    行ってよかったってなりましたというストーリーこそ意味不明であるが、
    そのストーリーの中に、何をすればいいのか、どこに行けばいいのかを、
    しっかり教えてくれていて、それは全然南極でなくてもよく、
    正義を守らなくてもよく、バスケに勝てなくてもよく、
    先の見えない道に進め、自分の意志で、
    自分の力で、たとえ評価されることがなくとも、と
    よりもいは言っている。

    だから舞台は南極で、タイトルは、
    宇宙よりも遠い場所となっている。
    普通行こうとしない場所に、行くのに大変苦労する場所に、
    行っても、正義を守った英雄でも全国大会の勝者にもなることはなく、
    普通の人間として戻ってくるだけの話をしてくれました。

    それを、どっかの主人公が、棒読みでセリフを読み上げるんじゃなくて、
    ストーリーが進むにつれ、その起承転結を見て、
    視聴者自身がそれを理解させる仕組みなっていて、
    大変によくできているなぁと感心してしまいました。

    3. Animation and Music

    これについては、専門な外人さんも詳しくレビューしてあるので、
    簡潔にまとめると、とにかく完成度は高い。

    よりもいはマンガラノベ原作じゃないから、収益の見込みがかなり不安定の状態で、
    OPからぬるぬるで、作画も繊細で、キャラソンもたくさん作っている。
    よくこんなんできましたねぇと思いました。

    その上に!音楽につれ、テンポよくシナリオが流れていくので、
    まるでAMVやMADを見ているように、こみ上げてくる感情に乗じて、
    絵と曲が流れていくわけなので、芸術性うんぬんより、個人的には、
    作品のことを本当に愛して、それをよくしたくて頑張っている人たちが作ったものだなぁと、
    そう感じていて、とても温かい気持ちになりました。

    個人的にうんうんしながら見ていたOPのreviewはMBのやつで、
    What's in an OP? - A Place Further Than the Universe
    彼のよりもい自体に関するレビューもいいねって思いました。
    You NEED to Watch A Place Further than the Universe

    4. The Endings
    誰にも、自分なりの宇宙よりも遠い場所があり、
    行こうと思えば、行けるかもしれないが、なんとなく夢物語で、
    結局仕事しないと、親孝行しないと、お金を稼げないと、
    現実のいろんな葛藤によってなかなかそこに行くことはできず、
    また、自分でも、行っても意味ないだろうとどこかで考えていて、
    日常に囚われてなかなか動くことができないことは多々あると思います。

    行けと言っている。彼女たちは、とにかく行動しろと言っている。
    意地になれって言っている。
    私が言っていたこと、私が決めたこと、とにかく間違っていないからって、
    やって見せろと、彼女たちは言っていて、彼女たちはそうしていた。

    南極にたどり着いて、各々の人生の意味を悟って、
    何をしたかったのか、また、何をしたくなったのかを、
    はっきりわかって、また日本に向かう。いつかまた、
    その宇宙よりも遠い場所へ目指すことを信じて、
    それぞれの新しい旅に出る。

    幕引きまでも完璧な物語というのも、少ないものであると思います。

    最後に、感想というか、自分語りというか、
    私はどちらかというと異世界系読者で、
    努力することは嫌いです。面倒くさいしつらいです。普通に。
    それでもなんとなく頑張らないといけない時が多くて、
    なんのためにやっているんだろうっていつも考えています。
    だから異世界系が好きなんですよね、明確な目的があって、
    大体チートも付いてるから結構楽で。

    宇宙よりも遠い場所が教えているストーリーは、成功者のことではありません。
    上から目線で、大衆から見て普通の人間になって、大衆から見て普通の努力をして、
    大衆から見て成功者になれ、という話をしているわけではないと思います。

    確かに女子高生で南極に行ったことがあるともなれば、業績欄はある程度映えるし、
    大学入試にも強い経歴になるかもしれませんが、果たしてそれはどれほど意味があるのか。
    業績欄の一行で、彼女たちがこの旅を通じて見たもの、知ったもの、感じたもの、
    考えたものの1%も表すことはできないと思います。

    順当な社会は、こういった人間にまともに評価するシステムにはなっていない。
    南極経験の副産物として、一般人から見ての成功につながることも起きるかもしれないが、
    それはこの旅の目的でもないし、この旅自体の意味でもありません。
    南極というのは、行ったぐらいで成功者面はできません。

    そこでまた、その旅の意味を問う。その旅の結論を問う。
    何が得られたのか。
    何か、一般人から見て、スペシャルで、おしゃれで、金ぴかで、何かあるのか。

    ないと思います。
    行きたいから行った。したいからした。
    それまでの話である。
    努力して、我慢して、泣いて、うれしくなって、幸せを感じる。
    それがこの旅の意味であり、この旅の結論である。

    普通の人に、こういうことをしようというと、
    それは社会の役に立たないからやめとけ、と言われる。

    それでもやる。

    「宇宙よりも遠い場所で、真っ白な世界を見渡して、
    ここから始めよう。さあ前を向いて、間違いなかったんだって、
    言ってやるんだ、この想いが。
    勇気出して、進んでいこう」




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  • 社会的存在と個体的存在の自由意志

    2014-06-08 05:153
    について語るはずはないだろう。

    今日いきなり書きたくなったのはそう、ココロコネクトを見終えたこの境であります。
    一見普通な学園ラブコメにちょっとした哲学を隠した、良作について
    ちょっと話したいと思います。

    んと、アニメについてですから。原作見たことないですから!




    ココロコネクトは、そうですね。

    私のGスポットにどつく作品です

    いやはや、困ったものですな最近の若者は。

    ココロコネクトを最初に見たのは実際結構前の話でしたんですね。
    この作品が上映されるのも2012年のことじゃなかったっけ・・・
    年を取ると記憶力がねぇ(;^ω^)

    取り敢えずDe libero arbitrioについて語りたいのですが、
    その前に言っておきたいことはもちろん、私が好きなのは永瀬伊織だ(胸を張って)
    まぁ一般高校生の皆さんが持っていないトラウマ持ってたり
    奇妙な現象と出会えたり、英雄と美女の愛を描いた美しい物語は其処に在る、
    みたいなシナリオなんだが、普通のラブコメよりはちょっと頭を使ってますね。

    以下ネタバレ有り

    私が好きなのは永瀬伊織だ(二回目)。物語にも語られた通り、伊織ちゃんはね、
    ちょっと自我が危ういんですよね。
    ほいで15話までは大丈夫だったけどいきなりだいじょばなくなっていましたが、
    それまで曹操関羽劉備織田信長徳川家康だった太一がいきなりハムスターになりましたね。
    それで伊織ちゃんがちったぁ腹黒でして、なんかこう演じきれなくなって凹んでましたね。

    青春のこっ恥ずかしい演説に心を打たれ、
    伊織ちゃんはこう語った

    俺達はみんな生まれた時から自由だ
    それを拒むものが、どれだけ強くても関係ない。
    炎の水でも、
    氷の大地でも、
    なんでもいい。

    それを見たものは、
    この世界で一番の自由を
    手に入れたものだ。

    イッッケエエエエエエエエエエエエエエエエエエエレエエエエエエエエエエエエンンンンンンンンンンンンンンンン

    あ、申し訳アーリマセン。アニメをマチガッテマシタ。

    そこで、伊織ちゃんはこう語った(撮り直し)

    うまく出来なくても、理想通りじゃなくても
    それでも、肯定してくれる人が居た
    うまくやることが人生の目的じゃない
    ただ、自分は何をやりたいか、どうなりたいか
    目指すべきところはそこなのに

    (心臓を捧げよ)

    もういい、もういい。
    素直に感情に従おう
    永瀬伊織は永瀬伊織になる
    さぁ、自分は何をどうしたい

    もっと自由に
    もっと、もっと自由に
    私はッ!

    これが、社会的存在の自由意志と、個体的存在の自由意志の衝突であると私は、
    Desiderius Erasmusは誰だか全然知らないけど私はそう思いますね。

    Aura(魔竜院の人)と中二病とか見て、個性と自我を謳歌するアニメを沢山見ててですね、
    日本人は一体どれだけ社会に強いられているんだよと
    つくづく思いますね。

    私はこういう考え方は嫌いではないです。むしろ好きです。
    私は自由に前へ進む人でもなければ、
    失敗しても肯定してくれる人もあんまいないですし、
    うまくやりゃお天都様の御光眩しいと思う然り(sm19627717 いい曲です)ですよ。

    基本的に毎回毎回この個体的自由意志は社会的自由意志と真逆になるんですよね。
    日本社会は世界範囲で社会的不自由意志が強いとこだと思いますね。
    礼儀とか、常識とか、空気とか。
    それを無視しろと。それを超えて、本当の自我を求めよと。
    己が作った鉄格子に囚われるのでないと、強く、生きろと。

    なんて、美しいのでありましょうか。

    私自身は、そうですね、たぶん73分の29ぐらいはそのような人だと思います。

    伊織ちゃん、よく頑張ったよ!!!!!!!!!!!!

    一枚目の画像は、はい。私が盗みました。私です。私を責めてください。
    二枚目の画像はニコニコ静画からの転載です。原作はこちらです。

    ちなみに伊織ちゃんと腕組んでる人はです

  • ネトゲ三昧でエロゲをやるどころではございません

    2014-02-28 08:57
    というわけで、
    次の神作を見つかる前に、
    しばらくは休止しまする

    貼ったもののTeraはもうやらなくなりましたけどね。
    最近はFF14を始めましたが、これもまたNA鯖です(´・ω・`)
    悲願の日もそう遠くはない、今しばらくの辛抱であります!