【ネタバレ注意!!】ドラゴンクエスト~YOUR STORY~ を見て、怒りで攻撃力が二倍になった
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

【ネタバレ注意!!】ドラゴンクエスト~YOUR STORY~ を見て、怒りで攻撃力が二倍になった

2019-08-04 23:42
  • 4
まず大前提に
本記事は映画本編のネタバレを多分に含みます。
まっさらな気持ちで映画を楽しみたい方は「ひきかえせ!」「ひきかえせ!」










































「自分は 勇者ではない」
ドラゴンクエストⅤ(以下ドラクエⅤ)を初めて遊んだ時に味わったこの衝撃を、僕はきっと一生忘れることができないと思う。
また、この映画が僕の心につきつけた“こおりのやいば”の衝撃も、忘れることはできないだろう。

本映画はコンピュータロールプレイングゲーム「ドラクエⅤ」を原作としたCGアニメーション映画であり、ドラクエⅤの物語は主人公の幼少時代から始まる。その幼少時代を描くために、なんと映画ではドラクエⅤのゲーム画面をダイジェストで流してくれるのである!

いや、映画にしろよ。

別にゲーム画面みたくて映画館に来たわけじゃないんだわ。それだったら有名実況者のプレイ動画見れば十分面白いし、なんなら自分でゲームしたらいい。
ダイジェストにすることくらい、尺的には想像つくから、そこは妥協しないでこども時代の三つ編みツインテビアンカや、レヌール城のおやぶんゴーストをCGでみてみたかったと思う。

ドラクエⅤは幼少時代、青年時代、父親時代。と大きく分けて3つの年代を冒険する。そして、幼少時代は数々の伏線を見つける時代なのである。映画でも取り上げられた「実は子どもの頃に、大人の自分に出会っていた」というお話もそうだし、ベビーパンサーのゲレゲレがなつくのも、大人になった主人公が魔物使いとして能力を開花させる伏線である。(ゲーム内では「幼体とはいえ、地獄の殺し屋と呼ばれるキラーパンサーが人間になつくなんてありえない」と言われたりする。)
映画では巨大なモンスター“ブオーン”をてなづけていたが、なぜそんなことが主人公にできるのか。という説明は一切なかったし、そもそもパパスが何者なのかも説明されない。実はパパスはグランバニアという国の王様である。だからラインハットの兵士が大げさにかしこまるのだ。つまり主人公リュカも王子さまである。

ドラクエⅤを原作とする以上、仮に大人時代から映画のお話をはじめようとしても、幼少時代のお話は切り離すことはできない。でも、幼少時代からじっくりとやる尺もない。
映画の尺にドラクエⅤのストーリーを収めようとする上での苦肉の策が、ゲーム画面ダイジェストだったのだろうけど、それってつまり「この映画はゲームを遊んだ上で見てね」ってこと? それってさすがに原作に甘えすぎじゃない? ハリーポッターの映画で「小説読んでから見てね」つって小説の文章流すか? という気持ちになってしまう。
まあ映画の尺にRPGのシナリオを全て詰めろ。というのが無理な話であり、そこをどう編集するかというのもこうした原作つき映画の楽しみ方である。オソマツな部分は感じるものの、物語のキーアイテムをドラゴンオーブと天空の剣だけにまとめたりという部分はよくやったなあと思った。(もちろん実際はもっと沢山ある。そもそもレヌールの城で手に入るのはドラゴンオーブじゃない。)

主人公リュカの言葉遣いも気になる。ついて来ようとするモンスター”スライム”に対して「スライムのお供なんか要らないよ」と言ってしまうのは、ドラクエⅤで主人公が魔物使いとして能力を発揮する条件である「たとえ魔物でも愛をもって戦い、赦す心がある」ようには見えない。更に父パパスの旅の目的が“魔物にさらわれた母を助けること”だと知り、世話係のサンチョに「ぼっちゃんならできます!」と持ち上げられるも「僕は父さんじゃない」「父さんの剣は僕には重すぎる」からの「行きゃいーんだろ!行きゃ!」という発言。投げやりな旅立ちである。母親を探すという目的のために、ドレイに身をやつしながらも目から光を失わなかった、という自分が持っていたドラクエⅤの主人公像とはかけ離れているように感じた。(一応、コレにはこの映画なりの理由がある)

映画中盤、伝説の武器“天空の剣”を手に入れるも、主人公リュカは剣を引き抜くことができない。そう。勇者は自分自身ではないのだ。4作目まで主人公は「伝説の装備を扱う勇者」としてきて5作目でそのオヤクソクを破ったのだからドラクエプレイヤーの衝撃たるや。であり、このシーンは必須なのである。また、そこのガッカリ感を払拭してくれる、リュカの息子が剣を引き抜くシーンはカッコイイ。原作ドラクエⅤの時点では石化を直してくれた時に息子が「ぼく、天空の剣を装備できたんだよ!」と軽く言ってのけるので、それに比べればドラマチックな展開だ。鞘から引き抜かれた剣が、ドラゴンの翼を思わせる刀身を開くシーンはこうした映像作品でなければなしえなかっただろう。(スマブラで緑髪の勇者「ソロ」が持つ天空の剣の鞘は、鞘というよりホルダーのような形状であり、あの独特の刀身をそのまま収める形になっているが、鞘については映画の演出の方がカッコイイと思う。)



だが、映像美だとか物語の編集だとか、そんなものは些細なコトである。この映画はラストシーンにとんでもない爆弾を、それこそメガンテクラスの爆弾を隠していた。

魔物の拠点であるセントベレス山の神殿での決戦。宿敵ゲマを倒し、天空の剣の力で魔界を封印する(映画オリジナルの設定)ことに成功したのもつかの間、無機質な…マインクラフトを想起させるブロックが魔界の門から飛び出し、世界はリュカを残してすべてが停止する。

魔界から現れたのは、ドラクエⅤ経験者が知る大魔王ミルドラースとはまるでかけ離れた、CGモデルの骨組みのようなキャラクター。戸惑うリュカを前に「マッピングオフ」だとか「グラビティオフ」だとかプラグラム言語のような言葉を発し、世界から色を、重力を、質感を失わせていく。そもそもこの映画で演出されているのはドラクエⅤを最新VR技術でリメイクしたゲーム世界であり、主人公はかつてドラクエⅤを遊んでいたプレイヤー。ビアンカもブオーンもパパスもゲマも、何もかも作り物であり、彼はゲームのプレイヤーに「いい加減にオトナになれ。」「夢から覚めろ」と言うためだけに、ドラクエが、ゲームが嫌いなプログラマーによって生み出された作られたコンピューターウィルスであるという。

そう、リュカの投げやりな旅立ちの言葉は、「自分はゲームの主人公であり、冒険しなければならない」という無意識から出てきた発言だし、幼少期をゲーム画面のダイジェストですっとばしたのは「映画の主人公が遊んだドラクエⅤの記憶を思い出している」という演出からなのだ。

この演出がなされた時に背後から聞こえた「え?」という声を僕は忘れない。
なにやってんだ!!と思ってしまった。
いやわかってるよ!自分は勇者じゃない。これを書いてる自分だって、30歳にもなって嫁どころかカノジョもいない、毎日スマブラしてるだけの冴えないオッサンだよ。
それわざわざ言う必要ある!?
そんなの見たくてこの映画見に来たんじゃねえんだよ!!

ゲームからの強制ログアウトをしかけるウィルスに対して、仲間モンスターのスラリンだけは姿を失わずにリュカに言葉を伝える。「私はこの世界を監視するアンチウィルスプログラム。あのウィルスへの対抗プログラムを託す。ウィルスを消してくれ!」
いやいやいやいや! お前もお前でなんなんだよ! 確かに時々急に出たり消えたりしてたけど、それがプログラムだからだと? だから! 
そういうの見たくてコレ見てるんじゃねえんだよ!!!

言われるがままにロトの剣を思わせる形状の光り輝くつるぎを握りしめ、ウィルスにたたきつけるプレイヤー。ミルドラースの立場を奪ったウィルスは消滅し、ゲーム世界は再び動き出す。仲間に「お前こそ真の勇者だ!」などとたたえられ、この映画はエンディングを迎えてしまう。

この段階でドラゴンクエスト~YOUR STORY~は「ドラクエⅤを原作にした映画」ではなく「ドラクエをネタに弄った映画」になってしまった。


オタク知識の浅い筆者でも、こうしたメタ要素を織り込んだゲームや娯楽作品が数多くあることは知っている。かつて大旋風を巻き起こした「アンダーテール」なんてまさにプレイヤーとしての遊び心、いたずら心を逆手にとった傑作だったし、そのアンダーテールが影響を受けたとする「MOON」ではそれまでに出来上がった「勇者のものがたり」のオヤクソクを弄りに弄り倒している。

だが、ドラゴンクエストではこうした演出はほとんどされてこなかったハズである。(ほとんど、としたのは一部なされているからだ。リメイク版のドラクエ6では、とある宝物を手に入れるときに適切なフラグ処理をせずに過去のプレイ記憶をたよりに宝を探し当てると、仲間の一人から「どうしてこの場所を知ってるのかは、聞かないでおいてあげるわ。」と言われたりする。ただしコレはリメイク版だからこそであろう。)

なぜセーブデータをわざわざ ぼうけんのしょ と呼ぶのか。
なぜパスワードをいちいち ふっかつのじゅもん ともったいつけるのか。
それは、この世界を、たかがゲームと思って欲しくない。子どもたちにこの世界に浸ってほしい。君たちはぼうけんのしょを開くことで、あるいはふっかつのじゅもんを唱えることで、勇者として、主人公としてこの世界を歩くんだよ。という想いからではないのか。
そうした「主人公はきみ自身だ」という前提があるからこそ、「世界の半分が欲しくはないか」という悪魔のささやきに戸惑い、「どちらを花嫁にするのだね?」という究極の選択に悩み、「そして 伝説がはじまった!」という一文に鳥肌をたたせてきたのではないか。
そうしたゲームを作った人の想いまでも踏みにじられた。そう感じてしまったと言うのは、言いすぎなのだろうか。

ゲーム原作の映画として、「この世界はたかがゲームだ。お前は勇者なんかじゃない。」「違う!この世界の僕も僕自身だ!もう一つの現実を生きるのがRPGだ!」という対立をさせるのは、ありえない演出ではないと思う。言いたいことは大いにわかる。
だが、だがしかし、ドラクエにこれは求めてない。それが筆者の率直な感想だ。
勇者としての冒険の夢を見せてくれる。そして夢を見せることに妥協が無い。細部までこだわる。そんなドラクエを題材にして、「たかがゲームから卒業しろ」と言い放つキャラクターは、そもそも必要ない。

きっとこの映画のことは、この記事を最後に語ることはもうないだろう。
来月末には、「ドラゴンクエストⅪS」がニンテンドースイッチで発売される。
まだⅪを遊べていなかった僕は、ゲームショップに予約をして、胸を躍らせてゲームソフトのケースを握りしめ、夕飯も早々にカセットROMを突きさし、
そして、勇者には似合いもしない自分の名前を付けるだろう。
そうして目の前に広がる冒険は、誰が否定しても消えることが無い、「ドラゴンクエスト~MY STORY~」なのだから。
広告
×
とんでもない~YOUR STORY~でしたね...
4ヶ月前
×
ドラクエ5をプレイしたことのない人が監督だったらしいですね。
どうしてそんな人がこれを題材にしようとしたのか。
人気作品を使えばそれでいいと思ったのか。
映画を見ていないし、見ることはないでしょうが、見に行った原作ファンにとっては受け入れられるものではなさそうですね…
4ヶ月前
×
>>1 コメありです!誰のストーリーだよって感じです…
4ヶ月前
×
>>2 コメありがとうございます。
後でそれを知って まあそれならそうなるかって思いました。
ゲーム原作の映画として、やりたかったことはわかる。だがドラクエでそれをする必要があるか?という想いが強いです。
イレブンやろうイレブン。
4ヶ月前
コメントを書く
コメントをするには、
ログインして下さい。