おはようございます!アニメ業界のあいさつは昼でも夜でも、おはようございます!
多分、みんな遅れてる(スケジュールが)から「お早うございます」と言って鼓舞しあうのではないでしょうか?(違うか)
なにを書くか決まってないのに、まくらを書くと書くことがなんとなく決まるのは不思議です。さて、今日はムッシュムラムラPの自己紹介をします。
 
1964年大阪市に生まれる(還暦!)。大学1〜2年生は、DAICONⅣ(大阪の伝説的おたくサークル。まだおたくと言う言葉が普及してない)のスタッフとしてろくに学校に行かず入り浸る。おかげでプロ化していた先輩方から誘われ大学をほっぽりだしアニメを作る会社GAINAXに入社、親には「休学」と嘘をつき、実際問題仕事をしちゃうと数週間で大学時代の2年間以上の成長を実感した。庵野秀明監督とアニメを作らせていただき、素晴らしい体験だったが色々あって退社。(エヴァンゲリオン前)
樋口真嗣さんや前田真宏さんらに「事務所が欲しい。むっちぃ(Pのこと)ならできる!」とおだてられGONZOを創立。25〜26歳だった。(アニメ制作会社は少数の非クリエイターが20-30歳代で数億円の予算配分や管理をする。それが普通だと思っていた。)
腸が捩れるような思いでサターンのRPG「LUNAR SILVER STARSTORY」のアニメパートを制作し、なんだかんだあって、売り上げが年々倍増し、会社が大きくなって「青の6号」「戦闘妖精雪風」「LASTEXILE」等のミリタリーSFのラインを主導した。
会社が株式上場できたので一時、小金持ちになり(今は無い)、調子にのっていた。いろいろあって会社がおかしくなってきて多分ここにおったら死ぬな。と思い退社。
その後もじゃんじゃんアニメ作ったりしていたが、中咽頭癌(カテゴリー3)になって、マジで死にかけたが神の手(癌研有明頭頸科)で悪性新生物(癌)を取り除かれ生きてる(ニクマレッコヨニハバカル)。すごいよ癌研。ありがとう癌研と家族。
右側の首の筋肉がなくなり、耳鳴りが鳴りっぱなし(ベイビー・ドライバーみたいw)だがロードバイクを始めて平常体温が0.7度爆上がりなどして極めて健康!
 
人生についていろいろ考える・・・
(中略)
創業時から東北ずん子運営会社SSS合同会社の共同社員(業務執行役員)。その後一旦離れたり、戻ったりして、おそらく世界初の商業音声合成ミュージカルアニメーション「ずんだホライずん」のプロデュース。「ずんパラ」投稿祭企画、「ずんパラじお」企画プロデュース、「ずんだホライずん」続編製作プロジェクトを始動中(イマココ)
 
なんか「ずんホラ」なみにはしょって、よくわからなかったかもしれませんが、
皆様の推し活ライフがハッピーでありますように!ムッシュムラムラPでした!