壮絶半生 レスラー長与千種“1億円の借金と深夜のボコられ事件”をコピー
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壮絶半生 レスラー長与千種“1億円の借金と深夜のボコられ事件”をコピー

2019-12-11 09:51
    「身体はボロボロですよ。ただファンの声援があるからやめられない。貴重な時間を削って観にきてもらっている以上、お客さんには楽しんでもらいたいですからね」
    こう語るのは、女子プロレス界のレジェンド長与千種だ。12月8日、長与は55回目の誕生日を迎えた。’05年に引退を宣言したが機会があれば今でもリングにあがる。バースデーに後楽園ホールで行われたイベントでも2試合に参戦。迫力あるパフォーマンスで観客を魅了した。

    ‘80年に15歳でデビューして以来、長与は40年近く第一線で戦い続けてきた。ライオネス飛鳥と’84年に結成した「クラッシュ・ギャルズ」は、中高生を中心に一大ブームに。だが人気の裏で、長与の歩んだ道は苦難の連続だった。知られざる彼女の半生を振り返る――。

    「突然、災難が降ってきたのは私が小学生の時です。父親が借金を背負い込んだんですよ。友人の保証人になっていたんですが、その人がトンズラ。1億円近い負債を抱え親戚の家を転々とする日々です。親戚には毎月数万円渡していたんですが、『少ないおカネしかくれないのによく食べるね』などと嫌味を言われてね。家にいるのが気まずくて……。迷惑にならないよう、常に周囲に気を遣っていました」

    幼い頃は喘息ぎみで身体が弱かったという長与。当初プロレスには、まったく興味がなかったという。転機は中学生の時におとずれる。

    「たまたま読んでいたアイドル雑誌に新人レスラー募集の広告が載っていたんです。月給は10万円。15歳の子どもにとっては大金です。悶々とした居候生活から抜け出したくて、すぐに応募しました」

    身体の弱さを克服するため母親の勧めで空手を習っていた長与は一発合格。だが練習のキツさは想像以上だった。

    「午前中は20kmのランニング縄跳びなどで基礎体力作り。午後は技の稽古やスパーリングと一日中練習漬けです。初めてブリッジ(手を使わず首と足だけで身体を支える練習)をした翌日はヒドい筋肉痛で首が曲がらない。するとトレーナーが、おもむろに『Tシャツを脱げ!』と言うんです。上半身裸になり恥ずかしさでモジモジしているとマットの上に寝かされた。何をされるんだろうと不安でたまりません。するとトレーナーは軟膏クリームを手にたっぷりつけ、私の身体に乱暴に塗りたくりました。有無を言わさないやり方です。レスラーは、女性として扱われないことがよくわかりました」

    スパーリングでは日によって先輩レスラーから200回も投げ飛ばされる。時には「オマエの代わりはいくらでもいる。荷物をまとめて(長与の出身地)長崎へ帰れ!」と厳しい言葉を浴びせられることもあった。

    「毎日、本当にツラかった……。一度、夜逃げしたこともあります。寮を飛び出して、山手線に乗ったんです。田舎から出てきたばかりだったので、山手線に乗れば羽田空港に行けると思っていたんですよ。当然、空港に行けるワケがない。終電まで山手線に乗り続け夜中に歩いて寮に戻りました」

    試合では結果を出せずセミファイナルやメインのゲームにも起用されない。「もう辞めよう」と考え、「最後の試合」として戦ったのがライオネス飛鳥だ。長与は、同じように伸び悩んでいた飛鳥と意気投合。2人で結成した「クラッシュ・ギャルズ」が人気を呼び、女子プロレスブームを巻き起こした。

    ◆ライオネス飛鳥との大ゲンカ

    「人気が出ると、猛烈に忙しくなりました。昼間はテレビ局やラジオ局を飛び回り夜はイベント会場で歌ってプロレスして……。年間310試合はこなしていた。家では十分な睡眠時間を確保できず移動の車の中で眠るような生活でした」

    精神的に余裕がなくなり、飛鳥と衝突することも徐々に増えていった。

    「いくら仲が良くても、四六時中一緒にいれば関係は悪化していきます。あれは結成3年目頃だったかな。プライベートのない生活に疲れた飛鳥が地方公演中に突然、新幹線で帰ってしまったんです。『帰るなよ!』『うるせぇ、心が折れた』と怒鳴り合い、周囲が必死に止めるほどの大ゲンカに。飛鳥は、当時を『千種が箸を上げるのを見ているだけでイライラした』と振り返っています」

    ‘89年、人気絶頂の中、長与と飛鳥は相次いで引退を発表。「クラッシュ・ギャルズ」は解散する。再結成は、2人がプロレス界に復帰した後の’00年まで待つことになる。

    「今は、飛鳥に感謝の念しかありません。当時は精神的に余裕がなく相手を受け入れられませんでしたが冷静に考えると最高のパートナーでした。彼女の安定感のおかげで、私は好き勝手にやれたと思います」

    ‘05年に正式に引退した長与は新団体を設立。後進の指導にあたってきた。ようやく若いレスラーの育成が軌道に乗ってきた’18年11月、事件がおきる。北海道・札幌での興行後、大ケガを負ったのだ。

    「後輩レスラーたちとジンギスカンを食べ深夜の街を歩いていると近くの立体駐車場から『もうやめて!』『助けて!』という女性の悲鳴が聞こえたんです。考えているヒマはなかった。『レイプされていたら大変だ』とスグに警察に通報し駐車場の3階まで上がると、男が馬乗りになり若い女性を抑えつけていました。女性は素足でヒザから血を流し、スカートははだけ、あたりにはバッグなどが散らばっていた。私は『女のコに何やってるの! 離れなさい!』と怒鳴りました」

    男は「いやいや、わかったから」と言って一旦は女性から離れる。そして、長与が女性を起こそうとした時だ。男が長与の頭に掴みかかる。ブチブチブチブチ! 長与の髪の毛が大量に抜けた。

    「男の手を振りほどこうとすると、彼は私の小指を一気にひねったんです。『ヤバいな』と感じると同時に、『このヤロー』と猛烈に腹が立ちましたよ。ただ私はレスラーです。反撃したら、こちらが加害者になり女子プロレス界に泥を塗ってしまう。警察官がかけつけるまで防御に徹していました」

    女性と男は夫婦だった。警察は男を暴行容疑現行犯逮捕。長与は左手小指を骨折する重傷を負ったが、相手に手を出さなかった態度はファンの喝さいを浴びた。大借金に相方・飛鳥との大ゲンカ、そして深夜のボコられ事件……。女子プロレス界のレジェンドは、壮絶な道を歩み伝説を作り続けている。

    ながよちぐさ ’64年12月、長崎県大村市生まれ。父親の繁さんは競艇選手。’80年に全日本女子プロレスに入団。’84年にライオネス飛鳥と結成した「クラッシュ・ギャルズ」が爆発的人気に。
    ダンプ松本らの「極悪同盟」との抗争が注目される。「クラッシュ・ギャルズ」として発売したレコードは、シングル8枚、アルバム7枚でいずれもスマッシュヒット。’89年に引退し芸能界に転身するも’93年に復帰。’05年に正式に引退してからは、興行プロデューサーや実業家として活躍している

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