遠北千南がいなくなったということ/いくつかの記事を書いてきて:編集後記
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遠北千南がいなくなったということ/いくつかの記事を書いてきて:編集後記

2020-04-01 00:50

    遠北千南が卒業した。
    そこでこの記事を見てもらいたい。

    遠北千南を知れということ

    筆者が過去に書いた記事である。この頃、遠北千南は存在していた。デビューしてから半年と経たない、まだ駆け出しと言ってもいい頃だった。数あるアーカイブの中から際立って彼女らしさ、その面白さが色濃く出ていた配信を選出し、紹介文とともに掲載した。当時でも残す配信をよく吟味していた彼女は、作業枠や雑談、歌配信などのアーカイブを非公開にしたり削除したりしていた。それでもなお余りあるくらいに、彼女はいくつもの配信でその魅力を溢れさせていた。
    そのほとんどが今はもう見れない。上記の記事を見れば分かるように、本人のチャンネルにあるアーカイブは卒業を機に非公開――直に削除になるだろう――されてしまったからだ。インターネット上に自分の判断で取り下げることのできないデータを残す。そのリスクは計り知れないほど大きい。それを考えれば、アーカイブを削除するのはとても合理的な判断と言えるだろう。当然の選択と言える。
    理性ではそう分かっていても、現実に何も残らない光景を見ると胸が苦しくなる。彼女はここに確かにいたのだと叫びたくなる。幸い、コラボ配信等で他のチャンネルの配信に参加したアーカイブは残っている。唯一投稿した歌動画も、一本だけ公開設定で残されている。こうして文字に書き起こせば、遠北千南がいたという痕跡を刻むことはできる。しかし大部分の記録は消滅し、時間とともにその記憶も薄れていくのだろうと思うと、ただただ寂しく感じてしまう。
    時間とともに記憶は風化していく。記録がなければ存在の痕跡さえ残らない。何より自分が覚えている彼女の姿が、声が、いつかすっかり消え去ってしまうことが怖い。思い出すこともなくなって、思い出せることがなくなってしまうのが怖い。この記事は彼女のために記したものではない。忘れていく自分への、せめてもの抵抗だ。かつて彼女がいたということ、そしていなくなったということ。確かに胸に痛みを抱えていたということを、記録することで思い出させるために。
    お前は遠北千南が好きだったのだと、全部消えてしまった記録を残すことで、忘れてもまた思い出したい。ただそれだけのためにこれを記す。
    遠北千南がいなくなったということ。この胸の痛みが、彼女の存在証明になる。
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