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    2020-02-01 20:44
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  • 日記:堕落した日々(20200106)

    2020-01-06 04:18
    あれだけストイックな自分になりたいとか言ってたのにめっちゃ怠惰な日々をおくってる。

    院試の準備もゼミの準備も仕事の準備もなにひとつしてない。

    5時間後には出勤してるのに。

    やばすぎる。
  • ストイックを求めて

    2020-01-02 18:34

    2年と10ヶ月ぶりの更新になる。

    このブログは私にとって内省的なもので、
    しばらく更新をしなかったのは
    後ろめたかったからだと思う。
    だから自己の内側を表現するに至らなかった。

    ざっくりと3年弱を段落で振り返ると下記になる。

    1.転職で環境(忙しさと自己に求められる姿)の変化があり、心も影響を受けていく
    2.自分に求めていた心の在り方にストイックになれなくなり、過去の自分を信頼して頼ってきてくれた5年来の知己を裏切る(ここから歯車が狂い始める)。
    3.孤独との付き合い方が下手になり、自身の心の支えを人とのつながりに求めるようになるが上手くいかない。
    4.自己肯定感を完全に失い、会社を辞めようか考える
    5.今の会社でやれることがあること、学べることがあること、自分の人生は自分次第で彩れること、それらに改めて気づきメンタル回復、再スタートする。

    細かいことも含め気づきのたくさんあった期間ではあったが、印象に残った学びを記していく。


    もともと前の職場はストレスというか、精神的負荷がかなりある環境で、理不尽や閉塞感があったが、それでも道を踏み外す(人の心を踏みにじる)ことはなかった。
    むしろ人から疑問に思われるくらいには、僕の心の在り方は真っ直ぐで頑固だったし、”自分のやっていることが相手のためになっているのか?”という想像力もかなり働いていた。そこの感性は鋭かったように思う。
    今よりも幼い精神性だったけど、私の目指している理想の自分がいて、その発展途上であるという状態だった。だから、”道を踏み外してはいなかった”。


    しかし私は”道を踏み外した”
    具体的な内容の記述はできないが、人の信頼を大きく損ねた。
    当たり前だが犯罪ではない。
    でも罪だという認識はすごいある。
    ここから本当にあらゆるものが狂った。

    この二度と取り返しのつかない過ちの原因を私は以下に受け止めている。


    ひとつはとにかく鬼のように忙しくなった。今は仕事以外のことが考えれる環境になったけど、当時は環境も今よりもハードだったし、自己の能力も追いついてなかった。私は休みの日も目の前の仕事のこと以外のことを考えれなかった。
    目の前に降ってきたことをただ捌くという毎日の中で、物事を深く感じたり、考えたりすることをしなくなり、感性が鈍くなっていった。

    もうひとつは、求められる自己の在り方が変わった、ということ。
    前の職場では結果を出すためには”正直であること”、”人よりも人のことを考えること”というのが求められていた。”あの人は人間的に信頼ができる”ということにとても価値があった。私はそれに応じるような人間像に自分を導くことができていた、そういう古い働き方でもよかった。
    現職ではそれらのことは”備わっていると尚良し”というもので、それよりは隙がないことや、甘さのないことがより求められた。

    自分が望んだ環境とは言え、
    私の当時の能力では感じたことや考えたことをスピード感をもってなんとか最低限のラインを超えていく、という仕事しかできなかった。
    その過程で”深く”、”時間をかけて”、物事を捉え、表現するということができなくなっていた。
    これは心の在り方に大きく響いた。
    ”最低限のことだけをやる”ということの繰り返しは”理想の在り方”とは遠いものになる。
    それは、自分に甘くなることを許し、自分を認めることができなくなるという二つの作用をもたらした。
    そういうのが1年続き、この期間中に私は”道を踏み外した”。

    だが、私もまだ”モラル”は失っても”反骨精神”は残ってたので、仕事で結果をだし始めていた。
    仕事で結果を出して、自分に自信を取り戻し、人間関係を通じて自己の精神の安定(思いやりの心を取り戻す)を図ろうとした。うまくいかなかったけど。
    その試行錯誤の中でまた新たな忙しさがやってきて私は対応しきれなくなっていき、ミスが増えていった。

    今の職場で働き始めてちょうど2年に差し掛かる頃、
    ある日突然、自分の中で溜まっていたものがあふれ出した。
    どうしようもないミスの連発、人の期待に応えられないという後ろめたさ、求めている自分像と今の自分の在り方のギャップ。

    もう辞めようと思った。

    SNSをみてもつらい時は逃げてもいいという言葉が並んでいるし、周りの知人も退職を薦めてくる。
    でも私はすんでのところでやっぱり辞めることをやめた。
    「環境のせいにしたくない。このまま辞めてもきっと次でうまくいかない」
    明確な根拠はないけど、そう思った。
    気に食わないと思ったのだ。

    「あなたはこの環境で通用しませんでした。辞めるのが賢明です、誰も文句は言いません、大丈夫ですよ。どうぞどうぞ。」
    神のお告げというのだろうか、私に用意された運命というのだろうか。
    そういうものに支配されたくないと強く感じた。
    ”みんなが私のことを許す”であろうことがどうにも違和感があった。

    ーだって、おかしい。

    ーそうやって自己をただ正当化した未来に何が待っているのだろうか?
    「しょうがないね、仕方ないよね」
    ーそうやって人に赦されて、受け止められた際の行く末は?できないことを赦していけばいくほど、私は誰に対する影響力も持たないまま歳月を重ねることになる。

    そういった問いかけの中で、少しずつ自分のことが、自分の大事にしていることが、自分の考えるべきことが明らかになっていった。

    過去の良かった自分を取り戻すでもない。
    最近の良くなかった自分をなかったことにするでもない。
    「人によい影響を与えられる、価値のある人間になりたい。」
    自分の中で明らかになったものに応えていこうと思った。

    「今この瞬間から、やってみたいと思ったことをやってみよう。
    そう思ったからこそ、辞めるという選択肢が消えた。

    つい半年前まで様々なものに対して自分に報いてくれないなと思っていた。
    自分に問題があることは本当はわかっていても、どこか納得のできない日々が続いた。
    自分の心の貧しさに比例するようにあらゆるものが自分にとってうまくいかなかった。

    でもそういった
    世が自分に応えてはくれなかったという感覚こそが、
    僕の心をあるべきレ
    ールへと戻してくれたように思う。

    この気づきを得るまでに、失ったものもある。
    ”道を踏み外した”際に傷つけた
    当事者とはもう連絡も取れないし、それを知ってる周りの人とも元
    の関係に戻れるとは思えない。謝れる機会、償える機会が訪れることはない。
    残滓の念がないわけではないですけど、後悔ではないです。
    が私らしく生きているのかを、都度僕の心に問いかけ続けるようなもの、そういう念だと思う。

    人が成長していくとか人間が太くなっていくというのは、こういったものがどれだけ自分の胸の中にストックされて、決断や選択の時に参照されるのかということになるのかもしれない。

    ネット上に転がっていた言葉の中で私の好きな言葉がある。

    ー答えはしょっちゅう変わるけど、質問は変わることがない。ジョブスが毎日「もし、今日が人生最後の日なら、今日やる事は、本当にやりたいことだろうか?」と自分に問いかけたように、ブレない軸となるのは、変わらない信念ではなく、変わらない問いかけなのかもしれない。

    私は都度自分に「今の自分は好きですか?」と、問いかけることがある。

    私は私の生き方を変えられないのだと思う。