• このエントリーをはてなブックマークに追加
【自然災害メモリアル】第119回:三陸はるか沖地震(1994)の日[防災]安全の確保は一番に行え
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

【自然災害メモリアル】第119回:三陸はるか沖地震(1994)の日[防災]安全の確保は一番に行え

2018-12-28 21:00
    どうも、
    管理者のNDです。

    12月28日は、
    平成6年(1994年)三陸はるか沖地震から24年です。


    1994年に発生したこの三陸はるか沖地震は、
    まさにこの記事公開直後の午後9時19分に発生し、
    M7.6という規模の大きな地震が三陸沖で起きました。
    ただ、この地震では実はそこまで津波の被害もなく、
    規模の割に高さは岩手県で観測された55cmが最高で規模の割に津波の被害は軽微でした。
    しかし、地震動自体は激しく揺れて、気象庁が命名した地震というだけの被害は起きています。

    当時の東北本線は、八戸市を走っていましたがこの区間の路床が崩落してしまい、
    この時期に被災して復旧こそ早かったものの、年末年始の帰省客に大きな影響を及ぼしました。
    また、この地震による死者はこれでも3人でしたが、
    このうちの2人は割と悲惨な死を遂げています。


    今回はその2人の死亡事故にちなんで、
    「安全の確保は一番に行え」をテーマにお伝えしていきます。

    青森県内に存在したパチンコ店がこの地震で倒壊しましたが、新装開店から間もないこともあり、
    午後9時を回った地震当時でもかなりにぎわっていたそうです。
    この地震は揺れが長い間続いたため、当時ホール内にいた客や店員は天井のコンクリートに
    次々亀裂が走り、明らかに崩壊する兆しが見えていたそうで、それに気づいた人々が怒号をあげ、
    床中に大散乱したパチンコ玉を掻き分けるようにしてなんとか脱出したそうです。
    この建物の良かったところは、地震後すぐに倒壊はせず揺れが収まった数十分後に倒壊しました。
    しかし、この時に不幸にして大当たりを引いてしまった客2人はハンドル(ゲームでいう、
    コントローラー)を離すことができずに、最終的に天井の崩落から2人は逃げ遅れて死亡しました。

    東日本大震災でもありましたが、その時すごく夢中になるものがあったとしても
    自分の安全だけは守るようにしてください。
    「FPSやめられないんだけど」という言葉、
    あれは本当に危険です。今でも時々無事の代わりにかっこつけて使っている人もいますが、
    馬鹿すぎるのでやめてください。
    人の命はたった一つです。そりゃあ死ねば終わりですが、
    その時のノリが後遺症を残して今後の人生に支障をきたしたら、間違いなく一生涯後悔します。


    今日の記事は以上です。
    申し訳ありません、今回の記事はこの震災にちなんだ記事に急遽予定を変更しました。
    それだけ、皆さんには娯楽中でも震災が起きた時に、
    すぐ切り替われるだけのメリハリをつけてほしいです。楽観視は絶対NGです。

    皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。

    明日もどうぞお楽しみください。
    尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。
    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。