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<菊地成孔の日記 2025年4月27日記す>
2025-04-28 10:00220pt2Blue Note北京はコロナ前に出演した時以来だが、特に何も変わっていなかった。逆に言えば健在であるとも言える。僕は香港がBlue Noteを持つべきだと思うが、まあギリギリだ。大韓民国がBlue Noteを持った時の話は随分前に擦り倒したけれども、要するに短期で閉店した(3ヶ月!すげえ韓国っぽい)。今、香港に出来ても(ソウルとは全く別の意味で)短期閉店するような気はする。一時、Blue Noteは我が国の中だけでも4店舗あった。
にも関わらず、である、上海店と北京店は盤石であって、かつ、現在Blue Noteは本店(もちろんニューヨーク)、を除けば、安定操業中なのはブラジルのリオとサンパウロなのだ(あと、ワイキキ、ミラノにもあり、独特な路線で=フランチャイズなので、健在である。ジャカルタとラスヴェガスにもあったが潰れた)、僕はニューヨーク、ワイキキ、ミラノ店に呼ばれる予感は全く -
<菊地成孔の日記 2025年4月20日記す>
2025-04-20 10:00220pt8上海公演は、とにかく熱狂的に終わった。僕の音楽を知っている方ならば僕がハードヒットを善しとしているわけではない事は理解されているとは思う。DCPRGの最初期ですら、アレはハードヒッティングではなく、時間の爆発的発生と重合に次ぐ重合によって(耳が潰れるぐらいの)エグい音圧になっていた訳で、そもそも6人の演奏でハードヒットしていたら保たない。のだが、観客席の消費と興奮への欲望が底なしすぎてスクイーズされてしまうのである。坪口が東京の最後のステージ後に「爪が全部割れた」と言っていたが、特にトランペッターは過酷だ。
類家くんはこの10年間の間にサーキュレーション・ブレッシング(循環呼吸法)を採り入れ、ワントーンではなく、フレーズ・ルーピングしながらサークルするのだが、ハイノートのピークが20年前より3度ほど下がっている。彼ほど内向的でマイペースでなければ、トランペッターはピーク音が2度下がるだけで鬱病になる奴もいる。陽気なトランペッターがどんどん鬱になるのを僕はいくつか見た。
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<菊地成孔の日記 2025年4月9日記す>
2025-04-11 10:00220pt4ホテルからブルーノート上海までは徒歩5分だった。完全な繁華街で、東京換算で赤坂とかそういう感じだ。交通量に比して、恐ろしいほど街は静かで、到着すると何とビルの5階であり、やや仰け反るが、さらに仰け反ったのはその大きさだ。エントランスの段階で東京の4倍ぐらいある(因みに北京は東京と同じぐらい)。
全人代会場や毛沢東記念館を擁する巨大な天安門広場、その中にあったアメリカ領事館を居抜きにしたブルーノート北京は、ビルボード横浜をぎゅっと半分以下に圧縮した、要するに洒落た感じだったので、満を持して魔都上海に開店したブルーノート上海は、一体どんだけのモンだろうか、どうする李香蘭とかが出てくる映画みたいな、ダンスホール付きの巨大キャバレーみたいなモンだったら。と目眩を感じながらいざ入店してみると、出ました外装キンキラキンで中は安普請が炸裂。何せテーブル席が無い笑。
一番似ているのは高校の文 -
<菊地成孔の日記 2025年4月5日記す>
2025-04-05 18:00220pt6上海上空から地上を見る。あれ夕焼けか?もうそんな時間だっけ?と思ったら黄砂だった。太陽光線がオレンジ色なのである。メンバーだと珠也と木村さんも花粉症である。僕を含め全員が憂鬱そうな顔をしている。上海は20年ぶりだ。
以後、花粉と関係が(ありそうで)ないので、気をつけて頂きたいのだが、20年前、僕は岩澤さんの次のヴォーカリストを探すべく、上海に行ったのだった。宿泊したのは何とフォーシーズンズのデラックススイートである。1人で行ったのに。単に贅沢というだけの話に還元するならば、あれ以上のことはもう僕の人生に起こらないだろう。僕はとてつもない着心地のバスローブを着て、日本に手紙を書いて送った。すげえ暇だったので(郵便用一式が切手まで全部揃っていて、部屋から投函できるのである)。
ドミニク・ツァイは大変な御令嬢で、どのくらいご令嬢かと言えば、フォーシーズンズのデラックススイートを用意したのは彼女の父親であり、僕は行く前に「フェアモントとフォーシーズンズのどっちにする?」という連絡を貰っていた。父親が両方の株主だったのである(出資者だったかも知れない忘れた)。
彼の仕事は京劇のオーナーだった。歌舞伎や宝塚のオーナーだと思えば良い。「京劇」はJING JU(ジンジュー)と発音されるのだが、英語ではその昔pekinese operaと言われたりしていて、ペキニーズは愛玩用犬種の一つ(チャウチャウみたいな中国圏ではなく、単に名前がペキニーズなので蔑称と言うのが正しいだろう)なので今はclassic chinese operaだけれども、要するに北京が本場で、観光客は北京京劇を観に行くのだけれども、上海にも京劇はある。そのオーナーが、70年代に<上海京劇史上最高の女優>と言われた伝説の女優と結婚した。ものすごく良くある話だ。
その夫妻の娘がドミニクだった。K-POPのケの字もない時代に、父親の判断には凄い先駆性があった。娘を日本で歌手デビューさせようというのだ。説明は無用だと思うけれども、このアイデアはアグネス・チャンやジュディ・ウォングとは違う。当時の香港と中華人民共和国についてちょっと調べてみると良い。
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