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2025年9月の記事 3件

<菊地成孔の日記 2025年9月24日記す>

 飯を何杯食ったとか、酒を何升飲んだとか、セックスを何時間したとか、道を何キロ歩いたとか、金を何十万使ったとか、僕はカウントしたことがない。カウントしなくてもわかるからだ。こう、物質的なことは。    中でも、演奏している時間に関して、時間は物質ではない、のだが、「まるで物質のように」というのが最適切だと思う。僕は演奏中によく時計を見ているけれども、あれは時計を見ているのではない。カッコつけているのだ。青春期に「時計を見ている菊地くんカッコいい」と言われて、ものすげえびっくりした。「え?時計?」と、僕は汚いものでも見るような表情で聞き返してしまった。    つまり、思春期の甘酸っぱい思い出なんかどうでもいい、要するに、僕は時計を見る素振りをしていれば間違いないと思い込んでいるだけで、実際は時計は必要ない全く本当に。イージーライダーは時計をカッコ良く捨てたが、あれはヒッピーが無理しているだけで、だから最後、南部の人々に殺されてしまうのである。時計なんかわざわざ捨てなくたって良い。時計を捨てたからって時間から解放されるわけがない。これだからな。ヒッピーはな。    なんだって「どっちでも良い」という状態が一番スムースで自由だ。要するに、時計はあったってなくたって良い、手帳もあったってなくたって良い、飯も食ったって食わなくたって良い、日本人は戦争を禁止されていて、よしんば、したくてしたくて仕方なくても、出来ない。これは不自由だが、今は不自由が良くないから戦争をできるようにまずは9条を改正しよう、とか言いたいわけがないじゃないか。戦争も、したってしなくたって良い。  

<菊地成孔の日記 2025年9月15日記す>

 もう彼女たちに会うこともないだろうな。というのはあまりにセンティメントなのかどうか、自分でもよくわからなかった。僕は彼女たちの本名すら知らない。去年は本当にチビッコだったんで、saekoさんの天才的なコレオグラフも含め、コドモスパンクハッピーはオモチャみたいに面白い存在で、安心して作り上げることができた。ペドフィルと言う国民病に対する強い批評でもあった。小学校の教員が、今日も日本のどこかで、盗撮のカメラを買っては必死に設置している。今日も日本のどこかで、自分の娘や息子を、欲情がどれほど含有されているか計測できないまま目を細めて見つめている親がいる。恐ろしいのは、そういう者どもを「おぞましい、信じがたい存在」と切って落とすことが、誰にもできない社会になっていることだ。    コドモスパンクハッピーはそのすべてを2回の空爆で爆破してきた。彼らの見たいようにならないことで。フェティシストの「どんなものからでも、一滴でも自分の見たいものを見てやる」という狂った情熱の一瞬一瞬に、足払いをかけ続けることで。血族であることを元手に、インセストタブーの関門が半開きになっている親たちの仮託に、フルラウンド、ボディブローを打ち込み続けることで。  

<菊地成孔の日記 2025年9月4日記す>

 寝ている間に9月になっていた感じだ、まだ還暦2年生とはいえ、還暦になって、いきなりいくつかの事故や怪我に恵まれてから笑(僕は「骨折」「靭帯損傷」「筋挫傷=肉離れ」「交通事故」を還暦になるまで一度もしたことがなかったのだが、60になった1年間で全部やった)、極端にいえば人生観が変わるぐらいのことになった。なんかどんどんパンキッシュになって行くのを感じる。少しずつ少しずつ壊れてゆく。少しずつ少しずつ壊れて行くのと並行して、少しずつ少しずつ賢者になり、と共に少しずつ少しずつパンクになっているのを感じる。62にもなって、脳内で呟く言葉で最多のものが「やっちまえ」になった。ひどい老人だと思う。トム・ウエイツは「オレの楽器と武器はボキャブラリーだ」と言った。    もちろん、世の中、下を見たらキリがないというか、様々な事故や病気によって、下半身付随の車椅子生活をなさっている方々を前に言えるか、と言えば、言えないけれども(僕は実の両親ともに、晩年が車椅子人生だったので)、下半身が孫悟空のように自由で、僕は40代ぐらいまで、部屋をダーっと走ってきて、そのまま壁を90度で駆け上がって、トンボは切れない(回転はできない)ものの、身長より高く駆け上がって、そのまま着地できたし、DCPRGでオルガン弾きながら、あれ、ほとんど狂っているのと同じだが、昔の動画とかみると、我ながら凄い。30分ぐらい、機械かよっつうぐらい、同じ動きをして、目がバキっている。それでも頭の中はクリアで、誰が何をしているか、全部聞こえるし、見えた。演奏が終わってから、体のどこかが痛い。などということはなかった(音量で失神しそうには毎回なったが)。    もう、全力疾走もできないし、何せ困ったのは体が捻れないのだ。捻れないことがどれだけ僕にとってハンディキャップになるか理解できる人はいないと思う。僕は自分より身長が小さい女性よりも、さらに手が小さいのだが、フィンガースナップの音量は誰よりもデカい。サントリーホールに2回出たことがあるが、面白いのでどれだけ響くか鳴らしまくってみたら、残響がぐるぐる回って止まらなくなったのでやめた。    あれは、手首を捻っているのではない。肩からでさえない。どんな音も、全身を綺麗に使わないと音量と音質は稼げない。あれは、どこから捻っているかといえば、足の親指の付け根からなのである。でも今は、腰のところの回転がそのまま上半身に来ないで、一回制御がかかるので、最盛期の70%ぐらいの鳴りになっている。またこれは、我ながら書くに忍びないが、前歯をインプラントにしたら、口笛がほとんど鳴らなくなってしまった。  

ビュロ菊だより

「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。

著者イメージ

菊地成孔

音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。

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