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2026年6月の記事 6件

「菊地成孔のアンダーグラウンドX (26/6/29=No.44)」

<虹と海>   ルドルフ・シュタイナーに関して、ちょっとだけでも良いので学んでもらいたい。何故なら、ほんの少し前の「今」が非常にわかりやすく、そして、たった「今」との比較対象によって、リベラリズムの意味が少しは立体的になるだろうからだ。エコは平成の文化である。第二次UWFと同じ平成文化だ。何せ、前田日明さんは、かなり長い間、思想的に影響を受けた人物としてシュタイナーの名を挙げていた。前田さんのご子息はどっちの学校に進んだのだろうか。    平成ヒット曲とか、平成カルチャーを振り返り、「意外と全然良かった」「今より全然良かった」「昭和よりわかりやすく輝いていた」という人々は驚くほど多い。そしたら、環境汚染の解決が先か、ガザを含むあの一帯の停戦が先か、ひょっとしたら順番が決まるかも知れないのだ。    <環境改善にはそれなりの時間がかかるが、イスラエルとハマスの問題は場合によってはすぐに決着する>という夢も<環境問題はAIによって、あらゆる資源と廃棄物の変換可能性をもたらしてあっさり解決し、ユダヤとパレスチナの問題は永遠に解決しないかも知れない>というのも、また、夢の一つだろう。  

「菊地成孔のアンダーグラウンドX (26/6/27=No.43)」

<海と虹>    僕は子供がいないので、これから書くことは1文字も正鵠を射ていないかも知れない。また、よしんばそれが正鵠を射ようと射まいと、これを読む人は、絶対に他言は無用としてもらいたい。たまに「内容が良かった」からだと思いたいが、SNSにこの日記欄のリンクを貼る人がいるけれども、今回ばかりは絶対にやってはいけないし、それは、読めばわかるはずだ。   僕は、複数回結婚しているのにも関わらず、ご存知の通り、親子関係について、徹底的に否定している。それはフロイディアンだからだと思う。親子関係が生じた瞬間に、フロイディズムはその家庭を取り囲み、生じる諸関係を全て(しかも他視点で)把握しようとする。シンプルに言うと、僕は自分に子供ができたら、その子供がジェンダーや思想と無関係に、必ず人殺しをすると半分信じている。フロイディアンだから言うが、この神経症的な「信じ」は、トラウマに由来するものだ。   その責任が取りたくないと言っているのではない、むしろ逆だ。子供が殺人を犯した場合、親は責任を取りきれない。泣いて謝っても、自殺しても責任は取れない。鏡面的に、自分の子供が殺されたとして(その可能性は、不自然なほど考えないのだが)、親に責任は問えない。  

「菊地成孔のアンダーグラウンドX (26/6/20=No.42)」

  自分から取りに行かなくても入ってくる情報。それがポップ(広告)だ。と口に出してみるも、もうかなりノスタルジックである。勿論、これは原理に近く、今でも通用する構造である(どころか、今、<全部それ>状態に近い)こともわかっているのだけれども、流石に63年と5日も生きていると、僕がこのセリフを心中で誦んじる時、頭に浮かんでいるのは<渋谷PARCOのグランバザールが今季は何月何日から何月何日まで>とか(当然ながら、僕はこれを、テレビから流れてくる音声として「暗記」していた。スケジュール帳すら持たなかったから当然なのである)、ずーーっと後になるが、<今、J-POPチャートを席巻しているのはビーイング、ビーグラムというレーベルのタレントさん=多くはバンド>で<サブカルに当たる「渋谷系」にはフリッパーズギターという、ものすごく若くて顔が可愛い王子様が2人のユニットだ」とか(つまり僕は、21世紀になるまで「フリッパーズギター」のアルバムはガッツリ聴いたことがなかった)、「秋葉原の小劇場みたいなところを拠点にしていたのがAKBで、センター取りのためにファン投票を総選挙と呼んだり、腕相撲?で決めたりしているようだ」とか、そういうやつだ。一瞬、古すぎて目眩がした読者も多かろう。   ただ前述、この情報理論は原理ぐらい普遍で、最近だと「アイドルマスター=アイマスのアーケード版ができると、270兆円産業が300兆円産業に膨れ上がった」というのがある。  

「菊地成孔のアンダーグラウンドX (26/6/2=No.40)」

 菅原洋一が亡くなって、そりゃあ故人がシャンソン出身の歌謡歌手として(亡くなるまで現役で、シャンソニエとしてジャンルミュージックに殉じた、生涯バイウエイの歌手だったことは言うまでもないけれども)テレビに毎日のように出演していた頃、それはテレビジョンの黄金期で、僕も毎日のように見狂っていたのでよく覚えているし、紐づけられた記憶がどさーっと山のように引きづり出されるような所はあるのだが、僕は90過ぎた人間というのは、ほとんどが半分は死んでいると思っていて、良くもまあ「人生100年時代」という、楊貴妃不老不死のプロレタリア版みたいな事をメディアは言うよなあと思った。    前にもちょっと書いたが、日本人の平均寿命は、医学の発展&公衆衛生の向上とガッツリ関わっている。戦後の高度成長期に、日本人の平均寿命は50代から80代へと一気にハイジャンプした。少しずつ少しずつと伸びていったのではない。これには「乳幼児の死亡率」という、これぞまさに数のカラクリ、というポイントを抜けば(各自検索)、結核に対する治療法の確立(抗生剤という概念の結実と使用開始)、公害の減衰と一般的な公衆衛生の激的向上(オリンピックに向けて)、更には問答無用の死病とされていたガン治療の発達、等々によって、大ジャンプを果たし、21世紀に入って、全く同じ構造で、60が80へ、そして80が100へ。という形で伸びているのだが、これはつまり、社会風俗、政治経済の預かり知らないところで(国民皆保険の制度化は大きいだろうが、医療法などは後付けであって、何せともかく薬品開発をはじめとした医療テクノロジーの向上が押し上げているのである。    何が言いたいのかというと、我々は環境とテクノロジーによってどんどん長生きさせられているわけで、これは、人間側の要請というか、人間が「誰だって1ヶ月だって長生きしたい」という前提に立たないと実行できない。この件は例の「誰だって反戦であって、好戦者はいない」が前提になるかどうかの話と同一線上にある。社会風俗、政治経済以前に、人間側の多様性と個人の尊厳が失われている。    僕は、もし人間の平均寿命が100になったら、90超えの人々には尊厳死の権利を国が与えるべきだと思う。ゴダールが示したことはこれだ。  

ビュロ菊だより

「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。

著者イメージ

菊地成孔

音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。

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